【2023年】子供の頃の気持ちを大切に。 | 主夫作家のありのまま振り返り日記

主夫作家のありのまま振り返り日記

奥さんと出会ったとき、女の子は5歳で。
今はもう10歳になった。
2020年には弟もできた。
あの頃を思い出したりしながら、過去を振り返る日記を書くことにしました。
今の様子も書いたりしています。



三連休の最終日。

11月に夏日になったり、すごいですね今年は。

今日も今日で、11月とは思えないような気候で。

 

奥さんが愛知県でものまねのお仕事だったので、

4時半に起床し、玄関まで見送って。

 

朝は、掃除や洗濯をしていたらこどもが起きてきて、一緒に朝ごはん。

昼に娘と息子と公園に行き、遊具で遊んで

家で、昼ごはんを食べた後、

娘の学習を後ろで見守り、

夕方前に、息子ともう一度違う公園に行き、ひたすら息子が蹴るボールを取ってくるという過酷なスケジュール。

 

公園とご飯のミルフィーユ休日。

 

息子の蹴るボールを追いかけて取ってくるのは、本当にいい運動になった。

なんなら、高校時代の部活を思い出した。

なぜなら、家に帰る理由が、

「ボールが見えないから」だったから笑い泣き

 

 

うまくなろう、レギュラーになろう、3年になろう、と思わせた1年生の球拾い。

 

高校時代の部活はソフトボール部に所属し、インターハイと国体に出ることができた。

春の選抜大会は全国ベスト8、関東大会は準優勝と、

そこそこの結果を残した。「大学でやらないか?」スカウトさんから声までかけてもらった。

(教師になろうと思っていたので断った。結果、漫才師になったのだが)

 

顧問が日本代表のエースピッチャーを務めた方で、なかなかに厳しい先生だった。

試合に応援に来た親の前でも、下ネタを言う感じの人(笑)

もう今はそんな人いないって感じの先生だった。

詳細はなかなか書きにくいが、あえて言うのなら、最後の昭和の部活とでも言おうか。

 

僕はその顧問に、ありがたいことに、やたら気に入ってもらえた。

背番号5番をつけてサードを守っていたが、試合に出れたのは、僕がバリバリのムードメーカーだったからだと思う。

 

ファールゾーンのフライも頭からダイブしてキャッチしたり、

デッドボールが肩に当たったのに、コールドスプレーを足にかけたり、

相手チームのヤジと大声で会話したり、

チェンジなったら相手チームのベンチに帰ってみたり、

そんなことばかりやっていた笑い泣き

 

普通はメンタルに影響を与えるためにピッチャーや配球を考えるキャッチャーをヤジることが多いと思うが、

うちだけは、サードに集中していた(笑)

 

相手の応援席から(おそらく相手チームの親御さん)

「5番おもしろいぞ!頑張れ!」

と応援してもらうことも多かった。

自分の息子もいるのに、なかなかありがたい応援だった。

 

インターハイでは僕が取材を受けたこともあった。

 

はっきり言えば、僕はうまくない。

でも、ほかのメンバーはうまいから、

僕がチームを盛り上げてみんながやりやすくなれば勝てるという思いでやっていた。

少しでもほぐせたら・・・それが自分の存在意義。

 

一度、全国大会を控えた当日の朝の散歩で、

顧問に声をかけられた。

 

「お前って、何番目にうまいサードなの?」

 

なんだ、この質問。

「どうしようかな、なんて言おうかな」と僕は、少し考えてから

 

「そうっすね、僕よりも下手な奴が何人かいると期待して、45番目くらいと言ってもいいでしょうか。」

 

と答えた。すると、顧問は僕に

 

 

    

「”僕が一番です”と言えよ」

 

 

 

僕は、ハッとした。

起き抜けで頭が回っていないというのは理由になっていなくて、

おふざけな回答をした自分が恥ずかしくなった。

 

「明らかに自分よりうまい人がたくさんいますが・・・僕が一番ですって言ってもいいんですか?」

 

と聞くと、顧問は

 

「まだ負けてねえんだから、別に間違っちゃいないだろ。負けるまではみんな一番だ」

 

 

    

やる前に、負けること考えるな。

 

 

強く心に残っている。

 

そして、

 

「お前は別にうまくないが、お前がこのチームを勝たせてるのはほんとだよ」

 

そう言ってもらい、すべてが報われた気がした。

朝から感動したのを覚えている。

そうやって、僕は気持ちよく試合に入っていけた。

 

この、僕がお世話になった顧問のことを、とても分かりやすく言うと、

『苦手だと思う』生徒も親もある程度いた。

それは、なんとなく理解できるし、

好き嫌いと言うのは人それぞれあっていいと思うんだけど、

僕は嘘のないこの顧問がわりと好きだった。

 

そんなことを思い出した・・・。息子の蹴るボールを追いかけながら(笑)

 

「僕はまだ負けていない」

そう思った。

だってまだ終わってないんだから。

終わるまでは、俺は一番だ。

 

あの頃、18歳だった、今42歳になった。

でも、おんなじ。

 

 

やるっきゃない。