今年はクリマスカードを年賀状のかわりで送りました。親戚と友人周りには年賀状を送りました。でも、やはり今年は年賀状に戻そうと思っています。反響はクリマスカードのが多いけど、やっぱり日本人だし。

今年は年賀状を含めると400枚ぐらい出したのですが、その中でも印象的な1枚の話を書きたいと思います。

私は大学時代に現在の会社を起業しました。23歳の時になります。ですが、19歳あたりからバイト経てブローカー(一人親方という下積み)をして仕事にはまっていたので、学業がおろそかになっていました。

結論から言いますと、私は大学を6年かけて卒業しました。ですが、親にも迷惑をかけれないので、留年した2年間は自分で学費を払って通っていました。私立なので学費だけでも1年で100万ぐらいかかるんですよね…。

その過程での苦労は現在の糧になっております。その時は自分の私物を色々と売ったり資金繰りも大変でした。学費も学校でローンが組めるシステムがあったので、もちろんローンで払っていました。春学期三分割、秋学期三分割でした。

話は戻りますが、仕事を頑張っていたので、私は毎年単位を取得することと戦って来たわけです。そして、下手するともう一年留年!?みたいな感じになった時がありました。仕事も立ち上げる1歩手前だし、7年目なんてありえないと思いました。お金も無いし…。ちなみにほとんどの大学は8年在籍が限度です。それ以上は自主退学となります。

その最終科目が必修科目の「英語」だったわけです。実は英語はそんなに不得意ではないんですが、出席日数が足りなくて試験を受けさせてもらえない状況でした。本当は足りてる計算だったのですが…。

さすがに私も先生に直談判に行きました。しかもこの先生は教務課に内緒で勝手に休校にする癖があって、それがカウントされていなかったので。簡単に言えば、不当に金儲けしてたんですね。個人的にはあまり好きじゃない非常勤講師でした。

教務課に頼み込んだ経緯もありますが、英語の先生は「追試」に応じてくれることになりました。でも、すごい嫌々でした。なぜなら条件はテストは受けさせるけど、「100点満点じゃないと通しませんから。」と言われました。

私も必死でしたので、「それでも受ける。」と言いました。ただ、テストは自宅に持ち帰り、期限までに何を見て回答をしても良いと言う、試験方法でした。でも、間違いなく100点を取りたい、卒業をしたいと強く思っていました。これはどうしたものか…と悩んでいた時に、中学生時代に通っていたECCのI先生を思い出しました。

事情を説明し、アドバイザーになって欲しいと思ってI先生にお願いしに行きました。I先生もECCの上位の先生に、再度、目を通してもらうほどの熱の入れようで本当に助かりました。

結果は合格でした。これは今でも鮮明に覚えている事です。
そんなI先生に久しぶりに年賀状で近況を報告しました。

「俺、結婚して子供が産まれました。あの時の感動と感謝は忘れません。」的な文面を書きました。そして、返事来ないし、寂しいなぁ~と思っていたら今日こんなものが届きました。



手紙の内容は大まかにこんな感じでした。

前略。年賀状ありがとうございました。
すぐに返事をと思っていたのですが、今頃になってごめんなさい。
娘さんのかわいい写真を見せてもらって、とても嬉しかったです。

もうパパなんですね…私も年を取るわけですね。
市川君は私の初めての生徒さんで今でも印象に残っています。

今年は我子たちにカウチンベストを編みました。ちょうど子供用のベストを編むぐらいの毛糸が残っていたので市川君の娘ちゃんに編んでみました。

よければ寒い日にでも着せてあげて下さい。

以上になります。

今の僕があるのは、そんな優しい人たちと関わり、10代から色々と学ばせて頂いたお陰です。本当に多くの優しさと人間身というものを僕に教えて下さいまして、ありがとうございました。

というか、また借りを作ってしまったような…。
嫁さんにも電話でお礼をいれてもらいました。

その優しさや親切心は今度は僕が後世にも必ず伝えます。

また久しぶりにお礼がてら伺おうと思っております。
人の優しさって素晴らしいですね。

僕は間違いなくI先生の優しさに憧れていたんだと思います。
本当にありがとうございました。

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