こんばんは
早福依千架と申します。【そうふく いちか】です。
メンタルクリニックの通院が近付いてきたので、自分の気持ちを整理したいと思います。
私最近、自分の過去を認めてあげられるようになったのです。
というか、もっと深く、包み込んであげられるようになったんです。このブログでも何度もお話しているかと思いますが、私は本当に自己肯定感が低くて。無意識に「私なんて」思考になってしまうのです。
人の心の内側もものすごく気になってしまうし、顔色も気になってしまう。「自分が人からどう思われるか」は正直どうでも良くて、その人が「快適に過ごせること」を無意識に考えているんだと思います。口悪く簡単に言えば、いかに「都合良い人間でいられるか」に重きを置いているんです。
自分のことを大切にしてあげられない。
この思考は、一体どこから始まってしまったのだろうと、私は考えました。だって、家族にも友達にも大切にしてもらっているはずで、そんな自分を大切にしてあげてもいいはずで。それなのに、永遠と自分を下に見ているのは、自分自身だということに気が付いたんです。
じゃあ、その始まりはといいますとね。
それはきっと、小さいときからの積み重ねなんだと思います。いじめられていた経験が、積もり積もって、自分を下げていったんだと思うのです。私はそれを大事だとは思わずに、「大げさにして悲劇のヒロインぶったらダメ」って、無意識に笑っていました。小学生の頃の話です。その頃から、少しずつ始まっていたのでしょう。
小学生の時の「いじめ」は、小さな妬みからくる、本当に些細なことでした。問題は、高校生の頃です。ここが、大きな人格形成のターニングポイントだったのだと思います。今考えると「苦しかったね」って言ってあげたいような出来事が、本当にたくさんありました。そのときはやっぱり、笑っていたけれど。
いつだって、私は自分を責めていました。
「いじめられないように変わらなきゃ」と努力しました。陰口を言われているなら、その内容を塗り替えられるように、自分の言動を変えてみたり。「男子に気に入られたいからって…」と言われていれば、言葉遣いを粗くして男っぽくしたりもしました。「運動できなーいって可愛こぶってる」には、常に真顔で体育を受けるように。変えられることなら、できることはしました。でも、できないこともあります。一方的な悪口と、暴力です。耐えるしかないことは、耐えました。
きっと、こうやって、私はできていったのです。大切にしてくれた人たちもいたけれど、心を引き裂かれたことの方が、深く深く残ってしまったんだと思うのです。あのとき、「ごめんなさい」って謝っていたのは、どうしてでしょう。誰にでしょう。
もしも私を形成したあなたがこれを見ることがあったら伝えたい。
今の私を形成しているのは、あんただ。
あんたたちだ。
そのせいで私はものすごく遠回りをしているけれど、そのおかげで人生ときちんと向き合えています。
どうも、壁を与えてくれてありがとう。ものすごく苦しかったし、苦しいけれど、やっと光が見えてきました。
いつか本当に笑い話にしてやる。
二度と関わり合うことのない人生を送りましょう。
と。まぁ、見られても嫌なんですがね。私の決意表明です。
あ〜!なんだか思いがけず重い話になってしまいました!ごめんなさい!
気持ちをまとめたかっただけなのにな〜。まぁ、これが私の本音ってことなんですよね、きっと。
皆さまも。たまには自分の気持ちを書き出してみてくださいね。私のおすすめは、紙になぐり書きで書くことです。その時の気持ちを、文章がグチャグチャでいいから、一回書き出してみるんです。そうすると、とってもスッキリしますよ。ぜひやってみてください!
ではでは!今日も一日お疲れさまです。ぐぅ〜たらしましょ