本日は能楽鑑賞記です。

 

 

令和6年3月20日(水・祝)、香川県県民ホール小ホール、全席指定一般 5500円、開場13時15分、開演14時。

香川県高松市出身の女性能楽師、伶以野陽子さんが葵上を舞うという。

ちなみに伶以野さんは筆者より一つ年上の方だそう。

 

当日は高松まで電車で来ようと思っていたのだが、天気が悪いのと昼飯の関係上、車で来ることに。

誕生日特別で、イオンモール高松の鎌倉パスタからハガキが来ていたので、それを食べに行こうと。

で、イオンモールに寄るのだと電車より車だなということで。

 

鎌倉パスタで美味しいバースデーコースを頂いた後、13時20分過ぎ会場入り。

会場にはすでに大勢の人が。

ロビーでは、本日出演なさる安田登さんの本なども売っていたりして。

なんで一冊買ってみた。

これから読むのが楽しみ。

 

公演後、書籍購入者にはサイン会があるとのことで。

筆者もサインしてもらった。

間近で見る安田さんは、とても聡明で、その上に年齢から来る深い智慧をお持ちの方という感じ。

そして非常に謙虚な方だなと。

 

会場に入ると、舞台上にはきれいな能舞台が設えられている。

筆者の座席は前目の列の右端。

ちょっと見づらいのが難点だが悪い席ではない。

 

能ということで、お客さんの中の着物着用率は高め。

特に女の人に着物姿の人が多く、見ているときれいな凝った衣装を、皆着て来られている。

筆者も着物を着ていったのだが、安物を着ていたのでちょっと恥ずかしい感じに。

座席は満席、大入り満員。

 

まず最初に香川県の政治分野における偉人である中野武営さんについての講演があった。

幕末から明治にかけて活躍された方で、江戸時代に高松藩の勘定奉行を務めた家に生まれたそう。

と書くと名家のボンボンのように思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実態はそうではなく、中野家は代々勘定奉行を務めた立派な家柄でも何でもなく、江戸時代の初期から官職を求めて二百年以上も浪人生活を送っていた貧相な家柄だったらしい。

 

そして武営さんの父の代にして初めて仕官が叶ったのだそう。

それも最初は勘定奉行ではなく、足軽のまとめ役から。

そしてそのような端役からの仕事が認められ、やがて勘定奉行に取り立てられることになったという。

だから武営は決して順風満帆の名家の子弟というのではないとのことである。

 

その後、明治になり、日本全国で県の数が増えたり減ったりしている中で、機を捉えて香川県の独立に尽力したのが何を隠そう中野武営その人。

その武営さんは能を愛し、朝に夕に稽古を欠かさなかったという。

 

この武営さんの話の講師の先生が持ち時間を遥かにオーバーする感じで喋られていて、実際かなり時間が押してきていたのだろう、やがて客席がざわつき始め、やめてと叫ぶ人や退場を促す強制的な拍手が鳴り始めたりと一時会場は騒然とした雰囲気になった。

 

話そのものは面白かったのだが、やはり与えられた尺に話を収めるのが最低限の講師の仕事ではあろう。

私見だが、この講師の先生は二時間くらいの尺で講演を務めることが多いのではないか。

で、今回もそのような感じで喋り始めて尺が長くなってしまったようなそんな感じだった。

でも二十分なら二十分に話をまとめてくるのも講師の腕の見せ所なわけで。

まあ、せっかくのいい話がちょっとした不注意で台無しになっていたのは残念だった。

 

その後、仕舞が一つ。

「隅田川」。

5分くらいの短い演目だったが、謡の低音の響きと舞手の舞姿の美しさが絶品であった。

 

その後、後半の「葵上」の解説があって、狂言へと。

 

狂言「清水」。

主人にお茶に使うための水にちょうどいいという清水を汲んでこいと命ぜられた太郎冠者。

しかし、どうも気の進まない仕事のため、一計を案じて、行った先の川で鬼が出たと嘘をつく。

それで秘伝の桶を失くされて怒り心頭の主が川に向かうと。

思わず付いてしまった嘘を全うするため、太郎冠者演ずる鬼が出てくるのだが。

 

亡くなった加藤周一先生だったか、狂言の民主的センスということを書いておられたと記憶するが、この演目などまさにその通りの内容で。

主客が一つの嘘をきっかけに入れ替わり、普段使役される側の人間が使用人に対して日頃の鬱憤をぶつける。

その様が何とも面白く、また痛快でもあり。

しかし最後にはその嘘もばれてしまうのだが。

そして大爆笑の中、舞台はハネていく。

 

15分の休憩後、後半へ。

 

後半は本日のメイン、能「葵上」。

鼓に笛に謡とフルスペックのお囃子陣の登場に早速胸が高鳴る。

源氏物語に題材を取ったお能。

しかし源氏の正妻、葵上は舞台には一切登場してこない。

代わりに着物の小袖が一着、能舞台の床に置かれるだけなのだが、それが葵上を表しているのである。

まさにないない尽くしの芸術、お能の真骨頂である。

 

源氏の子を孕んでいる葵上だが、昔の出産と言えば母体にとっても命がけ。

そんな中、重い病気に臥せり具合のよくない葵上の心配をする左大臣が巫女を呼んで、葵上に取り憑いた物の怪の正体を探らせる。

するとどうやらその物の怪の正体は六条御息所であるらしいと。

そこで伶以野さん演ずる六条御息所が舞台に登場してくるわけである。

 

源氏物語では気位の高い嫉妬深い年増女として描かれる六条御息所。

花見の宴での席の取り合いにまつわる諍いも含めて、今、生霊となって葵上に取り憑くのである。

 

この巫女の役の人も女性能楽師で、伶以野さんとの女声二人での二重唱はとても美しかった。

能は男性が演ずることを前提に作られていると言われているが、女の人二人の声の重なりは独自の味わいがあって絶品だった。

 

六条御息所が自分でもどうしようもない醜い嫉妬に駆られた様を表現している伶以野さんの演技もとてもよくて。

まさに女の情念が燃え滾っているような。

 

そして舞も後半に入るとワキの比叡山横川の聖(安田登さんが演ずる)が出てきて鬼と化した六条御息所と一騎打ちになり。

ここら辺りはシテを男がやった方が迫力が出て、より映えるのだろうなとは思ったが、伶以野版の闘争シーンもなかなかのもの。

行きつ戻りつ、命のやりとりを繰り広げる御息所と聖。

 

そして最後、御息所が手に持っていた杓を力なく放り投げて身心脱落。

ついに成仏したのである。

ひっそりと肩を落として舞台を静かに去ってゆく御息所の後ろ姿の寂しさよ。

しかしそのどうしようもない孤独こそは真の悟りの証。

人は皆、一人で生まれてきて一人で死んでゆく。

 

でもね、もう一人じゃないんだよ。

だって「徳は孤ならず、必ず隣り有り」というじゃないか。

だから戻っておいでよ、命のふるさとへ。

辛く苦しい時はもう終わったんだよ。

 

大人なら誰でも一度は経験しているはずの人生の大悟。

己の古傷を思い出しながら、舞台の恍惚に身を任す。

ああ、能っていいもんだなあ。

宗教の、いや人生の、一番いい部分を写し取っていて。

圧巻の一時間。

 

 

最高の舞台を見せてくれた玉藻能2024の皆さんに感謝。

香川県県民ホールさんに感謝。

能楽師、伶以野陽子さん、安田登さんに感謝。

お囃子の皆さん、謡の皆さん方に感謝。

その他、本日お世話になった皆さん方に感謝。

そして今日も最後まで読んでくれたあなたにありがとう。