本日は展覧会レビューです。

 

 

令和6年2月25日(日)。

「川瀬巴水 旅と郷愁の風景展」、高松市美術館、開館35周年記念特別展。

会期 2024.1.24(水)より3.6(水)まで、休館日・月曜日、開館時間 9時半から17時まで、入室は閉館30分前まで、金曜日・土曜日は19時閉館、観覧料一般1200円。

 

それではここで川瀬巴水の紹介を簡単に。

 

生誕1883年-1957年没 (明治16年-昭和32年)。

大正から昭和にかけて活躍した木版画家。

近代化の波が押し寄せ街や風景がめまぐるしく変貌していく時代に、巴水は日本の原風景を求めて全国を旅し、庶民の生活が息づく四季折々の風景を描いた。

巴水とともに木版画制作の道を歩んだのが、新時代の木版画「新版画」を推進した版元の渡邊庄三郎や彫師、摺師といった職人たち。

四者は一体となって協業し、伝統技術を継承しながらもより高度な技術の活用を求めた。

そして新たな色彩や表現に挑み続け、「新版画」を牽引する存在として人気を博した。

 

車に乗って高松へ。

昼飯の後、展覧会へと。

 

 

解説で知ったのだが、巴水は有名な日本画家鏑木清方門下だったそう。

しかし日本画というのは洋画と違って独特の味がある。

西欧近代のアカデミックな絵画が究極的には写真のようなリアルな写実を目指すのと違って日本画はあくまで絵画としてそれらしく見える、いわば虚構を虚構として認めた上で追求できる絵画独自のリアルを目指すことで、洋画のリアリズムと違い「描き過ぎない」ことにその特長があるように思う。

じゃあ日本画はリアルじゃないのかというと全く違って、むしろ本物より「本物っぽい」のだ。

 

そんな日本画の良さを巴水もしっかりと受け継いでいる。

しかも展覧会を見ると、年を追うごとに技術レベルが確かに進化し続けているのがよく分かる。

 

 

1930年代、巴水は有名になり過ぎて多作がたたりスランプに陥ったそう。

その時、作風がマンネリだという批判も随分受けたみたいだが。

 

まあ近代の歴史観というのは一直線の原理、つまり前の時代より後に来る時代の方がより素晴らしく、そして歴史は常に以前を否定して未来へと、先へ先へと進んでいくものだという進歩史観が支配的であった。

冷静に考えれば何ともアホ臭い縛りと言えようが。

しかしそんな近代の価値観からすると、巴水の日本画は一カ所にずっと止まって同じ所をうろちょろしているだけかのように見えたのだろう。

 

 

が、伝統的な東洋の歴史観というのは、円形の循環型である。

一年は春夏秋冬と規則正しく進み、一年経つとまた元に戻る。

しかしその一方で、去年と全く同じ春、一昨年と全く同じ夏というのは存在しない。

時間が経てば規則正しく春は巡ってくるけれど、今年の春はあくまで今年だけのものである。

規則正しく循環しつつ、しかも季節の一回性というのもしっかり担保されている。

それが東洋の歴史観。

 

巴水の絵というのも、どこかそんなところがある。

技術の向上は年を追うにつれ確実に進化してきているが、一方で同じ季節が毎年巡ってくるようなそんな独特の味わい、停滞もある。

つまり一直線ではなく螺旋状の進化と言えよう。

 

 

また、江戸時代の浮世絵を真似ているだけで現代性がないというのも、巴水に対する的外れな皮相な批判の一つと言えるだろう。

そのことは、例えば日本の心を表現していると言われている演歌のことなどを考えてみるとよく分かると思う。

一般に演歌の演奏においては、エレキギターもあればエレキベースもあり、ドラムスもある。

なんならシンセサイザーまで入ってきているわけで。

 

あれがもし本当に伝統に忠実な原理主義的態度で臨まなければならないのなら、演奏はあくまで三味線と鼓でなければおかしいはずなのである。

でも今演歌を聞いている人で、そんなことを言う人は一人もいない。

つまり、演歌は無理して現代性を出そうとはこれっぽっちも考えておらず、その上で古い日本の心を表現しているだけで。

ところが、その基底となるサウンドはまさに現代そのもの。

要するに演歌自体は少しも現代性を追求してないのだが、いわば無意識の内に現代は演歌の中に入ってきているわけである。

 

絵も同じで無理して現代性のみを追求しても大抵は下らない作品が生まれるだけで。

しかしそうではなく伝統の厚み重みをしっかりと継承し、それとぶつかりそれを掘り下げてゆく中で、それを真剣にやっているのが現代人なら、意識せずとも現代性などというものは自然に無意識に入ってくるはずなのである。

その方が、いたずらに現代性のみを追求した作品より、むしろ本質的な部分において現代を鋭く表現した面白い作品になるように思うのだがどうだろう。

 

 

版画の多色摺りの技法について。

展覧会では実際の摺りの過程を展示してあるコーナーもあって、それを見ていると一枚の絵を仕上げるのにこんなに手間がかかるのかと感動させられる。

 

例えば、木の緑色一つとっても独特の緑を出すために色んな色を下地に使って複雑な緑を再現している。

だから木の緑一つを出すためだけに三工程か四工程かを要しているのである。

それは寺院の赤の色などにしても同じ。

複数の工程を経て、あの赤が表現されている。

後は人物が被っている笠の部分(かなり小さい)の色を出すだけに一工程使っていたりだとか。

本当にいい物を作るのには、まあとにかく手がかかるようなのである。

 

版元の渡邊庄三郎は巴水より二つか三つ年下だったそうである。

でも二人はよほど意気投合していたのだろう。

生涯、芸術に対する飽くなき志を共にして固く結ばれていたという。

 

見応え充分の圧巻の180作品。

芸術の真髄に触れられた最高のひとときだった。

ありがとう。

 

 

最高の版画を見せてくれた川瀬巴水、渡邊庄三郎、その他彫師、摺師、等の職人さんたちに感謝。

その版画を今回展示してくれた高松市美術館さんに感謝。

その他、今回の展示に関わってくれた関係者の皆さん方に感謝。

そして今日も最後まで読んでくれたあなたにありがとう。