もう今ではすっかり古臭いものに成り下がっているが、筆者は事あるごとに「男らしさ」という価値観(心理学で言うところの上位イド)に導かれ今日までやってきたように思う。
筆者が子供の頃は、男らしさ、女らしさという教育がまだ自然と行われていた時代である。
筆者もよく親に言われたなあ。
男なんだから、うじうじ言い訳するな、とか、男らしくスパッと謝って改めてやり直しなさいとか、男がピーピー泣くもんじゃないとか。
しかしそう言われてもなかなかそうは出来ずにいた私。
が、それ故にだろうか、「男らしさ」という理想は常に私を鼓舞し続けてくれたように思う。
どうしても届かない目標だからこそ、却って力になるということもあるのである。
そして今でも何かある度にその届かない理想が私を𠮟咤激励するのを強く感じている。
らしさの哲学とは道の哲学でもあるわけで。
らしさという道の向こう側に気づかれないようにそっと道の何たるかが封じ込まれているのだ。
話は変わる。
プロ麻雀師で二十年間無敗というすごい経歴を持つ桜井章一さんという人がいる。
何年か前、その著書を拝読したことがある。
読んで驚いた。
まさしく道の奥義を極めた人の文章だと思ったからである。
読むまではたかが麻雀とナメてかかっていた。
しかしどうだろう。
私ごときが言うのもなんだが、たかが麻雀でもその一道を極めればここまでの見識に達することができるのかと。
そのことに改めて驚いたわけである。
その勝負哲学はまさに君子のそれであり、人格は完成された人のそれであり、東洋哲学を煎じ詰めたような道の大家の風格が文章の節々に現れていた。
専ら本のみによってそのような道の奥義に触れて来た当時の私にとっては、それと全く同じ境地に立たれている、一見して本とは無縁の麻雀の大家がいるということが驚きであった。
その後、桜井さんは教養のある方らしいということが改めて分かったが、昔、読み書きもできない市井の人々が道を志しそれを極めるにあたって仏様が仕掛けられたのが、人々が一道に専念することによって悟りの道に至るそんな修行の方法であったことを私は思い浮かべていた。
恋愛にしか興味のない女の子には、関わった女たちが皆最後には出家していく源氏物語のような「道」を。
麻雀にしか興味のない男の子には、専ら勝負のみを通じて孫氏の兵法や道の奥義を。
勝負の道はもののふの道である。
そこには人生の全てが詰まっている。
専ら「勝つ」ことのみを求める青年を相手に、勝ちたい心を巧みに刺激しながら、そこに「道」の奥義を巧みに組み込んでゆく働きがそこにある。
勝ちしか見えてない若人には、それが古い東洋哲学の精髄だとは分からないままに。
仏さまもそのことについては微塵もその色を見せようとしない。
あくまで表面は目先の勝負に拘っているだけである。
しかしそこには眼もくらむような複雑精緻かつ巧みな奥深い導きの糸がある。
このように暗闇から巧みに相手の一歩先を行き導いていく働きを「仏さま」というのだろう。
その姿は決して目には見えない。
しかし気づいた時には東洋哲学の精髄が身についてしまっている。
孫氏の兵法を一頁たりとも読んだことがなくとも、勝負の道を究めた人は兵法の極意を自然と身に着けている。
これが「道」というものの正体である。
私たちはこのような、狭い範囲での「読み書き」のみに依存しない、「豊かな教育」というものを改めて取り戻さなければならないのではないか。
今日、教育と言えば「学校」の専売特許となっているが、しかし各人それぞれに違っている「教え時」という時宜をわきまえず、皆一律に同じ年齢で同じ教えを受けさせる「学校」の教育の浅はかさは省みて余りあるものがある。
そうではなく、個々人の個性や資質に合わせて、興味ある一道を通して巧みに導いて行く、時には雄弁に時には無言に繰り広げられるそんな「道」の教育を今一度取り戻すべきではなかろうか。
将棋の藤井聡太君がタイトル戦を前にして高校を辞めたそうだが、個人的にはそれはそれで正解なんじゃないかと思っている。
あれだけ将棋が強くて将来が約束されているのなら、何も無理して高校に通う必要はないように思う。
彼の場合、本当に学ぶべきことは将棋会館や盤面の中にあるのではないか。
たしかに高校には高校の良さがあるのだろうが、藤井君には将棋という一道を通して触れられる人格陶冶の道を進むことが今は最も理にかなっているように思う。
恐らく彼は将棋を通して人生に必要な全てのことをこれから学んでゆくだろう。
例えば、勝てば折あるごとに揮毫を求められるから字を書くのが上手になる必要があるし、タイトルを重ねれば付き合う人の質も変わっていく。
そうすれば、その時社交のために教養のない無知な少年のままだと話にならないから一般教養も自然と深めていく必要に迫られる。
そしてそのためには「勉強」しなくてはならない。
が、このような時宜に適った「勉強」こそ、最も効率よく身に着く「勉強法」なのである。
それは用もないのに無理やり教えられていた「高校」の教養の在り方とはだいぶ違う。
学ぶ内容はあくまで「同じ」なのだが、真に必要に迫られた学習かどうかというところが一番違うわけである。
こんな感じで、人生の全てを学び直してゆくことが将棋という一道を通して行われていくわけである。
釈尊は我に精妙微妙の法ありと仰ったそうだが、上記してきた道の哲学の奥深さ、微妙な味わいの深さはまさにその言葉通りと言える。
これが大乗仏教の奥義なのである。
その味わいは深く、得も言われぬ澄んだ味わいがある。
最近、人生百年時代とかで一度覚えた技術や思想を捨て二度、三度と学び直す必要があるというようなことが盛んに言われているが、しかし一部の才能ある人を除いてそのような器用な生き方は過剰な負担でしかないのではないかと思う。
ごく普通の一般の人にとっては一つの道を究めることで手一杯で、だから社会の方も一人の人生に一つの道のみで何とかやっていけるようなそんなスローな世の中にしなければならないように感ずるのだが、どうなんだろう。
最後に。
苦労の末、江戸幕府を開き、今の国際都市東京の原型を作った神君徳川家康公が征夷大将軍になったのは六十を越えてからである。
人質だった幼少時代から、もうすでに天下を取れる力があったにも関わらず、織田、豊臣と二人の天下人に仕えた青年中年時代。
そして人生の最後に訪れた自らの天下の時代。
しかしその時既に齢六十。
が、幾多の経験を経て人格の完成を見ていただろうその齢に達して初めて征夷大将軍となったことに意味があるのだろうと私は思う。
官位と実力がちょうど見合っているという意味において。
つまり文質彬彬ということ。
ちなみに江戸時代も末期の将軍になると、二十歳そこそこで征夷大将軍になっていることがほとんどである。
この場合、実力に見合わない位が授けられているわけで、それがそのまま本人にとって不幸の源でもあったわけだし、一方ではそれが徳川衰退の一因であることは確かだろう。
まあ幕府が滅びたのは他にも理由がいっぱいあるわけだが。
私たちも、それぞれの資質と個性に応じた道の学びを通して、身の丈に合わない出世や金銭の多寡に惑わされず、日々を静かに豊かに送っていきたいものである。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。