現在の私の年収は二百万ほどである。
仕事は製造業で、従業員四十人ほどの中小企業である。
この不況でボーナスがなくなった。
身分は正社員なので年金や健康保険などの保証はついているが賃金事体は派遣並みである。
これまでもいろいろと職を転々としてきたが、一番貰った時でも三百万を越えたことはなかった。
だが、自分のことを貧乏だと思ったことは、今のところまだない。
一つには独身であることと、もう一つは親と同居していることがその理由なのだろう。
同居はエコである。
たとえば自立して暮らすとなると、家やマンションがもう一つ必要になる。
家電製品、冷蔵庫や洗濯機、テレビなども全て、もう一つずつ必要となるわけである。
風呂やトイレももちろん別に必要となる。
それぞれの製造コストやその後の運営コストを考えると、自立した暮らしとは、金もエネルギー消費もともに負担のかかる生活だということが分かる。
つまるところ、自立した暮らしとは、経済成長にとって都合のよいだけの生活スタイルだったのではないだろうか。
何でも倍に消費がかさむからである。
これが同居だと、全て今あるものだけで事足りる。
食事なども一人でするより大勢でしたほうが、コスト的にも安上がりになる。
洗濯や風呂の用意も一回で済むから節約になる。
同居はやはりエコである。
それに、家族なのだからお互いもたれあいながら、迷惑をかけあって、それでも助け合いながらやって行くというのも、これからの生活の一つのあり方といえるのではないだろうか。
自立するだけが生活の選択肢ではないと思う。
また子はある年齢に達したなら、とりあえず自立しなければならないと言う、これまでの慣習も見直さなければならない時に来ているのではないだろうか。
だから私は、今のところ貧乏を感じずに済んでいるのだろう。
つまり私のような貧乏とは昔のような食えない貧乏ではなくて、ベンツやBMには手の届かないという類の貧乏なのだと思う。
実際にも、コンサートや旅行などにしばしば出かけている。
この前も東京に旅行に行ったばかりである。
再来週にはピアノのコンサートに行く予定がある。
スポーツに目を向ければ、わが地域では現在三つの地域密着のプロスポーツがある。
野球とサッカーとバスケである。
どれも割合、安い料金で楽しめる。
今現在、野球とサッカーはシーズンオフに入っている。
従って今やっているのはバスケである。
今年はシーズン中、野球観戦にも行った。
盗塁、バント、エンドラン、一球ごとに変わるサイン。
手に汗握るストライクゾーンとボールの出し入れ。
大胆かつ精密な投球。
これらのものが、レベルはNPBに比べると少々劣るものの生で千円で見られるのである。
もちろんビール片手に。
サッカーやバスケにもそれぞれの楽しみ方がある。
貧乏でも人生を楽しむことをあきらめない。
楽しみ方は人それぞれ。
それでいいのだと思う。