『元・付き人令嬢の偽装婚約』を試し読み♪ | 一迅社アイリス編集部

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こんにちは!

本日は2月4日発売のアイリスNEOの試し読みをお届けいたしますウインク

試し読み第1弾は……
『元・付き人令嬢の偽装婚約
~妹聖女に追放されたら、異国の騎士侯爵様の最愛になりました~』


著:天希莉緒 絵:月戸

★STORY★
「一年間だけ、俺の婚約者でいてほしい」
聖女である双子の妹の嘘のせいで第二王子から婚約破棄されたアリアテッサ。追放先へ向かう途中、魔獣に襲われたところを隣国プレスターナの騎士侯爵シルヴィオに救われる。名前を聞かれて咄嗟にアリッサと名乗ると、訳ありを気遣ったシルヴィオの提案でしばらく屋敷で暮らすことに。これからは自由に生きるため仕事を探したいと伝えると、なぜか期間限定の偽装婚約を持ちかけられて!?
騎士侯爵様と追放令嬢の偽装婚約ラブファンタジー!

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 街の中心部という場所で馬車を降りたときには、雲は去り、すっきりとした青空が広がっていた。

「見て見て、虹だよ!」
「ほんとだ、すごーい!」

 子供たちが大声をあげながら走っていく。彼らの指さす方向には、七色の大きな虹が架かっていた。
 つられて見上げるわたしを、シルヴィオさんはすぐそばのカフェに誘った。

「この店にしよう。テラス席なら虹が見える」

 わたしたちが入っていくと、お客さんが一斉に振り返る。
 無理もない。シルヴィオさん、私服姿でも目立つもの。
 しかも腰には長剣がある。ダルトアがそうだったように、このプレスターナでも騎士には日常的に帯剣が認められているようだ。
 慣れた仕草で給仕の女性に注文を伝えるシルヴィオさん。評判の品だというハーブティーを頼んでくれた。すべての仕草に淀みがなくて、彼が大人に見える。

「アリッサはブレストンは初めてなのか?」
「はい」

 王都ブレストンどころか、プレスターナという国が、わたしにとっては初めての土地だ。
 馬車の窓から眺めた街には大きな建物が並んでいた。商店や劇場も見えたし、大陸一豊かだといわれたダルトアに引けをとらない成熟した文化が育っているみたい。人々の表情にも活気がある。
 ただ、気になることがあった。街のいたるところで、剣を携えた騎士の姿を見かけるのだ。
 人々の生活圏内に配置されている騎士の数は、ダルトア王国より、はるかに多い。

「どうかした?」

 わたしの様子に気づいたシルヴィオさんが尋ねる。

「あの……街なかに騎士様の姿が多いと思って」
「ブレストンではこれが普通だよ。魔獣が出現した際に人々を守るのが騎士団の務めだから」
「王都にも魔獣が出るんですか?」

 驚いて尋ねると、シルヴィオさんは笑って首を横に振った。

「まあ、街にまで魔獣が現れることは滅多にない。特に昼間はね。きみも知っていると思うが、基本的に魔獣は夜行性だ。今日は俺が一緒だし、安心して楽しんでくれ」

 安心して、というシルヴィオさんの言葉は、裏を返せば、王都ブレストンに魔獣出現の可能性があることを示していた。
 生まれ故郷のダルトアでは考えられないことだ。人気のない森や山の中ならともかく、昼であれ夜であれ人間の生活圏内で魔獣の脅威に怯えたことはなかった――聖女の存在があったからだ。
 ポシェットに入れて連れてきたポンポンが顔だけ出して、周りの匂いを嗅いでいる。
 お茶に添えられていた香草を鼻先にもっていってあげると、嬉しそうにパクッと咥えた。

「なんでも食べるんだな」

 興味深そうにシルヴィオさんが言う。

「ええ、おかげでお世話がとっても楽なんです。もう十年以上、病気らしい病気もしたことがありません」
「十年? 不思議だな、ネズミの仲間ならそんなに長生きしない。ずいぶんと頭も良いようだし」
「わたしの言ってることがわかるんじゃないかって思うことがあります。それで余計に……みんなには気味が悪いって言われてました」
「そうか。人間は二種類いるそうだ。未知なる存在を怖れる者と、知ろうとする者。きみの周りには前者が多かったんだろう」
「シルヴィオさんは、その……ポンポンのこと嫌じゃないですか?」

 わたしの問いに、シルヴィオさんは苦笑を浮かべた。

「おかしな生き物だとは思うかな。でも、愛嬌があるよ。目なんか、きみによく似てる」
「わたしとポンポンが、ですか?」

 膝の上では、ポンポンが赤ちゃんみたいなあどけなさでこちらを見上げている。

「ほら、その顔」

 よほど面白かったのか、シルヴィオさんはくすくすと笑った。

「さて、と。アリッサ、これからどこに行きたい?」
「はい?」
「ここは王都だ。女性が好むものはひと通り揃っている。劇場もあるし、図書館や美術館もある。国王ご一家がお住まいの宮殿を見に行ってみるのもいいな。案内するよ。さあ、何がしたい?」

 すぐには返事が出なかった。急に言われても思いつかないのだ。
 こんなことを尋ねてくれる人、今まで一人もいなかった。
 わたしは聖女リズラインの付き人、付属物。
 常に妹の傍に寄り添い、彼女の命令に従うためだけに生きていた。
 自我なんて必要なかったから、自分の意思というものに対して鈍感になってしまっていたみたいだ。
 わたしが欲しいもの。してみたいことって、なんだろう?
 シルヴィオさんの提案は、どれも魅力的だった。劇場で舞踏や演劇を観るのも素敵。本も大好きだし、美術館でプレスターナの芸術に触れることを想像したら、それだけでわくわくする。
 でも、今、いちばんの望みは何かと考えたら――

「わたし、お仕事を探したいです」

 思い切って言うと、テーブルの向こうでシルヴィオさんは驚いた顔をした。
 そして、じっとこちらを見る。

「仕事を? ……意外だな。失礼を承知で言わせてもらうと、君は労働階級の女性には見えないが」

 ドキリとした。

(勘のいいひと……)

 わたしの前職は宮廷での仕事。市井の労働者とは事情が違う。そのことを、シルヴィオさんは既に見抜いているのだ。
 近くのテーブルで、お客の注文を聞いている給仕の女性の姿が目に入った。
 わたしと同じ年格好の子。きびきびと働く姿が、なんだか眩しい。
 妹の付き人以外、職務経験は皆無。髪や瞳の色を気味悪がられ、ずっと「役立たず」と言われてきたわたし。自信なんてない。
 でも、生きていくと決めたのだ。
 王都のような都会では、自分で働いた収入で部屋を借り、独り暮らしをしている女性もいる。

「働きたいんです。いつまでもシルヴィオさんのお世話になるわけにはいきません。まずは住み込みで雇ってもらえるところを探そうと思っています。本当は街でお部屋を借りたいですけど、先立つものがなくて」
「そんなことは気にしなくていい。知り合ったのも何かの縁だ。住まいというなら我が家があるし、無理に仕事を探す必要も……いや」

 強くなりかけた言葉を、シルヴィオさんは途中で飲み込んだ。

「これではメイヤー女史に言われた通りだな。きみを屋敷に閉じ込めておくような男になってしまう。わかった、仕事探しに協力しよう。俺が身元保証人になる」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「ただし、条件がある」

 カップをお皿の上に戻し、シルヴィオさんが真正面からこちらを見る。

「条件……それは、どんなものでしょう」 
「俺の婚約者になってほしい」
「……こん、やくしゃ!?」

 思わず大きな声が出た。
 ポシェットの中のポンポンも、つられて「きゅっ?」と小さく鳴き声をあげる。

「……いま、婚約者って、おっしゃいました?」
「そう、婚約者」

 シルヴィオさんが笑顔で頷く。

「今更ながら自己紹介しておくと、俺はリーンフェルト侯爵家の当主。領地はバルディア地方で経営もまずまず。王立騎士団所属、どうかな? 我ながら悪くない相手だと思うが」

 婚約? 
 婚約って? シルヴィオさんとわたしが?
 どうしていきなりそうなるんでしょう!? 

「……で、でも……あの、まだ、お会いしたばかりですし……シルヴィオさんには、ご身分もおありですし……!」

 貴族。文句なしの美青年。そのうえ「プレスターナ一(いち)の魔法騎士」。
 シルヴィオさんは、すべてを持っている。
 そんな人が、わたしに婚約を申し込むなんて、ありえない!
 あわあわと狼狽えるばかりのわたしを見て、テーブルの向こうのシルヴィオさんは苦笑しながら頬杖をついた。

「そんなに構えないでくれ、仮の婚約でいいんだ。期間は、そうだな……一年。一年間だけ、俺の婚約者でいてほしい」
「仮の婚約?」

 またまた声が裏返る。

「ああ。俺の屋敷で暮らして、婚約者だと名乗ってくれるだけでいい。社交行事にはつきあわなくていいし、外で仕事をするのもかまわない。一年後には、きみを自由の身に戻すと約束する」
「……それは、どういう意味と理由があるんでしょう?」

 わたしの質問に、シルヴィオさんは少し気まずそうに片目を細めた。

「たいした意味も理由もないさ。俺は今年二十四になる。周りが身を固めろとうるさくなってきたんだが、あいにく、まだそんな気にならなくてね。婚約者が決まれば縁談を持ち込まれることもなくなるだろう。いわゆる偽装婚約だ。とりあえず一年でいい、協力してくれないか」
「う……」

 引きも切らない縁談が煩わしいのは、わからないでもない、かも。
 だけど、そこまで縁談を遠ざけなくてもいいんじゃないのかしら。シルヴィオさんなら、上級貴族の令嬢や美しい女性と知り合う機会はたくさんあるはずだし。
 一人くらい、彼の心を動かす女性はいないの?
 かりそめの婚約を装う理由って、なに?
 一年と期間を区切ったのは何故?
 尋ねたいことは山ほどあったけど……できなかった。
 シルヴィオさんがわたしの過去を詮索しないのだから、こちらもそうするのが道理だ。

(それに、そもそも、「偽装婚約」だものね。本当に結婚するわけじゃないのよね)

 少し冷静になってくると、真に受けて慌てた自分が恥ずかしくなってきた。
 偽装婚約。
 思いがけないこの提案は、わたしにとって間違いなく好都合だ。
 なによりの利点は、身元が保証されること。仕事を探すなら、後見人がいる方が断然いい。
 とにかく早く仕事をみつけて、独立資金を貯める。偽装婚約の期間が満了するまでに、独り暮らしのお部屋を借りられるくらいの貯金をつくればいいってことじゃない?
 ……うん。頑張れそうな気がする。というか、頑張るしかない。

「どう、アリッサ?」

 シルヴィオさんが尋ねる。
 乾く喉をハーブティーで潤し、覚悟をきめて、わたしは頷いた。

「わかりました。よろしくお願いいたします!」

 シルヴィオさんの顔が安心したように綻んだ。

「承知してくれるか。ありがとう。苗字は……そうだな、エルツェ。母の実家の縁者にそんな苗字がある。アリッサ・エルツェと名乗るのがいい」
「アリッサ・エルツェ……」
「あー! いたいた、シルヴィオ隊長! やっと見つけた‼」

 急に大きな呼び声がして、シルヴィオさんの視線が逸れた。
 通りの向こうで軍服姿の男性が手を振っている。人混みの中でも目を惹く鮮やかな赤毛の若者だ。

「……お知り合いですか?」
「部下だ」

 シルヴィオさんが苦い顔で答える。
 そのわずかの間に赤毛の若者は道を横切り、カフェのテラス席へと軽やかに駆けあがって来た。テーブルの横に立ち、綺麗な敬礼をする。

「シルヴィオ隊長! 休日に申し訳ありません、お屋敷へお迎えに上がったら街へ出られたとお聞きしまして……あ、あれっ?」

 早口でまくしたてていた彼の瞳が、やっとわたしを認識する。
 そばかすの残る顔に明らかな動揺が走った。

「たた、たいへん失礼をいたしました! まさか、まさか隊長が女性とご一緒とは想像も及ばず……!」
「本当に失礼だな。だが、いい機会だから紹介する。彼女はアリッサ・エルツェ。俺の婚約者だ」

 もう始まった!
 シルヴィオさん、本気なのね? 本当に婚約者設定で行くのね!?

「婚約者!? 隊長、いつの間に!」
「つい先日まとまった話だ。彼女が求婚を受け入れてくれたので我が家に迎えた」
「そ、それは、おめでとうございます! ちっとも知りませんでした、隊長に特別な女性がいらしたなんて……いや、それにしてもビックリしたぁ……」
「アリッサ、彼はハンス・グラスール。俺の副官だ。こう見えて普段は優秀な男なんだが」
「こう見えては余計です! 優秀な男、だけでいいじゃないですか」

 ハンスさんは不満げに異を唱えたけれど、シルヴィオさんの言いたいこともわからなくはなかった。
 ふわふわの赤毛に肌にはそばかす、人懐こい雰囲気。シルヴィオさんより明らかに年下だし、軸の細い体は少年のようだ。軍服を着ていなければ、もっと若く見えると思う。

「よろしくお願いいたします」

 なるべく言葉少なに礼をしてみせた。襤褸を出さないために、シルヴィオさんのリードに任せよう。

「それで、何の用だ」

 尋ねられたハンスさんの顔が引き締まる。

「はっ、そうでした! 隊長、急ぎの伝達がございます。本日夕刻より緊急会議が開かれることになりました」
「……そうか。早いな」
「はい。隊長のご報告を受けての対策会議となります。つきましては」
「きゅ!」

 膝の上にいたポンポンが、ひと声鳴いて、いきなりテーブルの上に飛び乗った。

「あ、だめよポンポン、ここはカフェなんだから!」

 普段から、他の人がたくさんいる場所ではポンポンをポシェットから出さないようにしている。
 ハンスさんが身を乗り出した。

「ん? なんですか、このちっこいのは。ネズミ?」
「す、すみません。わたしが連れてきたんです。ポンポン、戻って!」 

 急いでポシェットの中に戻そうとしたけれど、ポンポンは外の方向を向いて逆毛を立てている。

「どうしたの? いつもいい子なのに……」

 急に左の手首に鋭い痛みを覚え、わたしは息を呑んだ。
 牢獄で妹につけられた三日月状の傷跡の瘡蓋が、今頃になって剝がれかかっている。
 ハーブティーのカップが、カタカタと小刻みに揺れだした。ポンポンが胸にしがみついてくる。
 カフェのお客さんたちがざわめき始めた。

「……地震?」
「ねえ、急に暗くなったんじゃない?」 

 揺れはどんどん大きくなる。
 ガタン! と大きな音を立ててテーブルが弾み、周囲から悲鳴が上がった。
 びりびりと空気が震える。
 この感覚には、覚えがある。

(ただの地震じゃないわ。まさか……!)

 日差しが急に陰った。何か巨大なものが上空を横切ったのだ。
 ゴウッと、いきなり風が吠えた。

「伏せろ、アリッサ!」

 シルヴィオさんに庇われ、テラスの床に突っ伏した。突風が襲い、テーブルや椅子がひっくり返る。
 ふくらむ悲鳴の中から、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

「魔獣だ‼」

~~~~~~~~(続きは本編へ)~~~~~~~~