こんにちは!
来週20日は一迅社文庫アイリス5月刊の発売日!
ということで、本日は新刊の試し読みをお届けいたします(≧▽≦)
新刊の試し読みは……
『じゃまもの聖王女は海神様の愛され花嫁』
著:翔花里奈 絵:笹原亜美
★STORY★
目立つ左頬の痣のせいで、顔を隠して生きている王女ファウナ。彼女は海神に身も心も捧げる聖王女とは名ばかりの、いてもいなくてもいい存在になっていた。そんなある日、ファウナは母から死んでくれと言われ、彼女の望み通り、海に身を投げた。もう、生きている意味なんてないと思ったから……。ところが、なぜか不思議な場所で目が覚めて!?
すべてを諦めていた死に損ない王女と海神の純愛ラブファンタジー。
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「あるじくる」
あるじ。――主。
脳内で変換したファウナは、とりあえず上体を起こそうとして止まる。
(なに、これ)
まるで身に覚えのない、桃色のドレスに身を包んでいるのだ。胸元にこれでもかとあしらわれたフリルといい、手元を覆い隠すひらひらとした袖といい、慎ましやかな美しさを求められてきた聖王女には無縁なものばかりだ。
さらに、顔を上げると見慣れない光景が目に飛び込んでくる。
ぼんやりとした橙色の灯りに照らされた部屋は、おそらく女性のものだろう。ドレッサーと大きな衣装棚が置かれているし、猫足の白いテーブルと揃いの椅子は丸みを帯びていて愛らしい。四方を白い壁に囲まれていて、天井には光源と思われる小さな球体がいくつも浮かんでいる……ように見えるのは、やはり幻想だからに違いない。
(私がこれほど想像力豊かだったなんて……)
まもなく、音も立てずに扉が開いた。現れた人物と視線が交差した瞬間、時が止まったような感覚に襲われる。
「目が覚めたか」
静謐という言葉がよく似合う、すらりとした長身の青年だ。
透き通りそうなほど白い肌をしていて、眉や鼻、唇の無駄のないすっきりとした造形といったら、まるで寸分の狂いなく完成された芸術品のようだ。頭頂部で一つに束ねた長い髪はまばゆい銀、前髪から覗く瞳は、青にも水色にも見える不思議な色味だ。二重の幅が広いせいか、少々気怠げな印象を受ける。
身に纏っているのは、柔らかい青緑色をした生地に金の刺繍が入った、襟付きのガウンのような衣装だ。長袖で、手首まですっぽりと隠れている。その下に胸元がゆったりとした白い胴衣を着用し、瑠璃紺の艶のある布を腰元に巻いているのだった。
ファウナには馴染みのない衣装である。それに、見た目こそ二十代半ばほどだが、もっと長い年月を知っているような――。
底知れないものを感じたファウナは、無意識に言葉を発していた。
「……神、様……」
青年がこともなげに頷く。
「さよう。私はこの海域を治める神だ」
(……。……海神様!?)
目の前の人物には、幻想だと思っていても敬意を示さずにはいられないほどの威厳がある。ファウナは急ぎベッドから降りると、跪いて深く頭を下げた。
大理石のような床を見つめながら、ごくりと唾を呑む。
(……もしかしたらこれは、本物の海神様が、聖王女でありながら信仰深くなかった私を咎めるために見せている幻想なのかもしれない……)
リエーレ王国には、海が荒れたことで異国の侵略から守られたという記録が複数残っている。
先人たちはそれを海に住まう海神の守護だと感謝し、各地に礼拝堂を建て感謝の祈りを捧げた。習慣は今も続き、ファウナは敬虔な信者たちの頂点に立つ・聖王女の役割を担っていたのである。
しかし、信仰心は礼拝堂に集う者の中で最も薄かっただろう。
一度、海神なんていないと悪態をつく子どもに出くわしたことがある。そのとき周囲の信者が叱責したり優しくなだめたりするのを、冷めた気持ちで眺めていた。
どうだっていい。――何に対しても、必死になれなかった。
(……海神様が見せている幻だなんて、考えすぎよね。そもそも、実在するかどうかも怪しいところ……)
「顔を上げよ」
言われたとおりにすると、視線が交差した。反射的に心臓が大きく跳ねてしまうほどの美貌を前にしたら、自分がさらに醜いもののように思えて仕方がない。
無意識に視線を逸らしたファウナに、海神は思わぬ言葉を投げかけた。
「死にたかったか?」
(え)
「足に重りを着けていただろう」
そう言われて初めて、足枷がなくなっていることに気がついた。
(ひょっとして、海神様が……って、これは幻想だった。混乱してきたわ)
ちらりと海神の様子を窺ってみると、彼はこちらをじっと見つめ返答を待っていた。本当に、夢のように美しい青年だ。何をしても絵になるとは、こういう人のことを言うのだろう。
(このまま黙っていたら、このおかしな時間も終わるかしら……。……私、無事に死ねているわよね……?)
不思議な生き物たちがちょろちょろと動き回っているのを横目で追っていると、二体がなんの前触れもなくカーテンを左右に引いた。
(え)
窓の向こうに広がったのは、深い青の世界だ。見たことのない魚たちが悠然と泳ぎ、ふわふわとしたイソギンチャクが幸せそうに揺れている。
(……なんて……)
この青は、どんなに優れた画家がどんなに高価な画材を使っても表せないだろう。きらきらと輝く気泡も、ヴェール越しで見たどんな宝石よりも美しい。
静かに胸を震わせるファウナの顔に、髪に、衣装に、ゆらゆらと波打つ光が映り込んだ。部屋を照らしていた灯りはいつしか消えている。
「なぜ開ける」
「なぜ?」
「なんとなく?」
「そうか」
海神と不思議な生き物二体の、なにやら気の抜けてしまうような会話が遠くに聞こえる。
(……なんて綺麗なのかしら……)
ふいに、海に落ちる直前に見た黄昏空が蘇った。
こんなふうに美しいものが、この世にはたくさんあったのだろう。あのとき、そう思ったのだ。
生まれ変わったら、それらを見てみたい――意識を手放す直前、そんな考えが頭をよぎったことを思い出す。
「……すめ……娘」
「! はい」
「もう一度問う。死にたかったか?」
窓の手前で腕を組んだ海神は、観察するような目をファウナに向けている。そういえば、まだ答えていなかった。
いい言葉が浮かばないが、これ以上待たせるわけにはいかない。ファウナは正直に伝えることにした。
「死を強く望んでいたわけではありませんでしたが、死んでもいいとは思っていました」
「……ほう」
海神は形の良い唇を緩め、蠱惑的な笑みを浮かべた。
~~~~~~~~~(続きは本編へ)~~~~~~~~~~