6月のアイリスNEOの発売日まで待ちきれない!
そんなあなたにはこちら、試し読み第2弾です(≧▽≦)
『臆病な騎士に捧げる思い出の花』

著:逢矢沙希 絵:増田メグミ
★STORY★
男爵令嬢ローズマリーは、結婚相手が決まったと兄から告げられる。
相手のレイドリック次期子爵はローズマリーの幼馴染で、容姿端麗、王宮騎士としても取り立てられる実力者。
だが、ローズマリーは絶対に嫌だった。なぜなら彼にはとんでもない通称があって…
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「……結婚? 私が?」
「そう、結婚だよ。お前が」
呆然と呟いて、ローズマリーは目の前でにっこりと微笑んでいる兄、デュオンを凝視した。どんなに目を凝らして見てみても、兄の笑顔は変わらない。腹の中で何を考えているのか判らない、見事なまでのポーカーフェイスだ。
容姿端麗、文武両道を地でいく、それはそれは素晴らしい自慢の兄だが、その性格に関しては人に手放しで褒めそやされるほど素晴らしいものではないことを、この十七年間の人生の中でローズマリーは嫌というほど学んでいる。
とはいえ兄は今、別におかしな話をしているわけではない。下っ端貴族とはいえ、男爵家に生まれた貴族の娘としては至極当然の縁談話だ。
十七歳。早くもなく、遅過ぎることもない、まさに結婚適齢期のまっただ中。周りの友人達も今が売り時と、どんどん縁談が持ち上がり、あちらこちらからおめでたい話や招待状が届く。
もちろん中には売り渋る者や、売れ残る者もいるのだろう。それでも誰が見ても判るほどの理由があるならばともかく、下手に婚期が遅れようものなら、身体に何か欠陥があるんじゃないかしら、などと不名誉な噂を立てられるくらい、貴族の娘の結婚適齢期は短い。
だからまあ、こんな話が近いうちに自分にもくるのだろうな、という気はしていた。そう、気持ちだけは。だけど、その想像が現実となると話は別だ。
「…………相手は、誰?」
色々と言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、やはり今、一番気になるのはこれだろう。
ローズマリーとしても一応、年頃の少女らしく結婚には憧れを抱いている。多少の夢を見るくらいは許されてもいいはずだ。そう、夢だけは。
でも。
「レイドリックだよ」
夢は所詮夢でしかなかったらしい。にっこりと、それはもう宗教画の大天使さながらの完璧な兄の笑顔を前に、妹は一瞬気を遠く彷徨わせ、項垂れるように肩を落とした。
レイドリック。
レイドリック・エイベリー。
良く知っている名だ。嫌ってほどに知っている名だ。
ああ、もしかしたら人違いかもしれない、なんて夢さえ抱けないくらいに。
家のため、顔も知らない、ろくに話したこともない相手と結婚させられることなど決して珍しくない貴族社会で、そりゃあもう、生まれた時からの付き合いだけは長い、良く知っている相手なのは、ある意味幸運なのかもしれない。
だけど顔も知らない相手の方が、少なくとも実際に会うまでの間、夢を見られるという最後の悪あがきができるわけで、こうまで良く知っている相手ではそれさえできない。
そんなローズマリーの内心のショックに気付いているはずなのに、全くお構いなしに兄はまるで自分の手柄だとでもいわんばかりに誇らしげだ。
「私も、可愛い妹の結婚相手は厳選したんだよ。お前にはより良い相手を、と思ってね。レイドリックは付き合いも長いし、人柄も良く判っている。お前と年齢的な釣り合いも取れるし、まあ私には劣るが、容姿もそれなりだ。将来はエイベリー子爵家当主で王宮騎士団に名も連ねている。お前の結婚相手としてこれ以上の相手はなかなかいないだろう?」
兄のさり気なくナルシストな発言はともかく、確かにローズマリーの脳裏に浮かぶその名を持つ青年は、五つ年上の今年二十二歳。年齢的には丁度良い。
背もそこそこに高いし、容姿も甘く整っている。少々気まぐれな猫科の動物のような印象があるが、人付き合いも良く、笑うと人懐こい愛嬌のある青年で、ご令嬢、ご婦人方の間での人気も高いと聞いている。
騎士としても、特に将来性と才能が認められた者のみが所属を許される、王宮騎士団の一員だ。
この国では貴族の多くが騎士の称号を得るが、レイドリックのように将来爵位を継ぐことが決まっている嫡子の中で、本格的に騎士として才能を伸ばす者は案外少ない。
普段の、ローズマリーが知る彼の姿からはなかなか想像できないものの、家柄よりも実力重視である王宮騎士に取り立てられるのだから、相当なものなのだろう。
客観的に見れば、兄の言葉を覆すことが不可能なほどに良縁と言って良い。そう、ごく一部の問題点を除けば。
だけどそのごく一部の問題点を、ローズマリーはどうしても無視することができなかった。
「…………じょ……」
「じょ?」
「冗談じゃないわよ、あの女ったらし!!」
そう、レイドリック・エイベリー二十二歳。
エイベリー子爵家嫡男。
所属、ウォレシア王国王宮騎士団第三十六席。
そして、通称、渡り鳥の君。
鳥。鳥である。それも、渡り鳥。
女性と女性の間を調子良く、ひょいひょい渡り歩く、その名が全てを表していると言っても良い、彼の通称であった
「確かに俺もそろそろ年貢の納め時かなとは思っていたけど、ローズがお相手とは盲点だったな」
その日の午後になって、ふらりと屋敷に訪れたその人はしみじみと呟きながら、繊細な模様が描かれた陶磁器のカップに口を付けた。そんな仕草はさすがに貴族のご子息らしく実に優雅で、女性の溜息を誘うに充分……なのだが、いかんせんローズマリーはこの男との付き合いが長過ぎる。
ああ、せめてこの男の悪癖を知らなければまだ、胸をときめかせられたかもしれないのに。
彼とこうして真正面で向かい合いながらお茶をする、なんて何年ぶりのことだろう。幼い子供の頃は日常的だったことも、この年になればそうはいかない。
それでもこの一時が、幼馴染みとしてのものだったならローズマリーも、もっと素直に楽しむこともできたはずだ。なのに……結婚だなんて……今の自分には想像もできない。
「それはこっちの台詞よ、女の敵」
どんなに不満を訴えても、少しも自分の言葉を真剣に受け止めてくれない兄に対する苛立ちと、目の前の幼馴染みの青年の飄々とした態度に怒りが募る。
その怒りのまま、まるで小動物が威嚇するように不機嫌な眼差しを向けるローズマリーに、レイドリックがやれやれとばかりに苦笑して、降参の形で両手を上げてみせた。
「ひどいな、ローズは少し俺のことを誤解していると思うけど?」
「いっそ誤解であって欲しいわ。今までのあなたの女性遍歴の全てが嘘だと言うのなら、是非私に説明してみせてちょうだい」
「それはちょっと、お茶の時間だけじゃ足りないかな」
「納得さえさせてくれるなら、何時間だって付き合うわよ」
そんな説明ができればの話だが。
じっと睨み付ければ、あからさまにわざとらしい咳払いをして、ローズマリーの視線から目を逸らす。それみたことか、やっぱり説明などできないのだ。判っていても心底呆れた。
「そんなに露骨に敵意を露わにしないでくれよ。昔はあんなに仲良く過ごしていたじゃないか」
そう、仲良くしていた。大好きな幼馴染みだった……だからこそ、ローズマリーが心から慕っていた少年時代から、大きく変わってしまった今の彼が許せないのだ。
少年だった頃のレイドリックは、少なくとも女性と刹那的な関係を楽しむような趣味はなかった。可愛い女の子が好きだとは言っていたけれど、彼にとっての可愛い女の子というのは常にローズマリーのことで、女性とみれば見境なしに甘い言葉を囁くことなどしなかったのに。
記憶の中の少年の頃のレイドリックを、そのまま切り取って永遠の綺麗な思い出として飾っておきたいくらいだ。今の彼に確かに少年時代の面影が残っているから、尚更悔しくなる。
ほんの少し赤味の混じった鮮やかな金の髪に、質の良いサファイアの瞳はあの頃のままで、元々は色の白い肌は、健康的に陽に焼けて、彼の整った容姿に彩りを添えている。
一方、ローズマリーは髪も瞳の色も兄とそっくり同じ、癖のある黒髪と、琥珀色の瞳だ。
兄のデュオンは自分には劣ると言ったが、ローズマリーに言わせれば、レイドリックと兄とでは美貌の種類が違う。
所謂レイドリックは、派手な美貌だ。だからだろうか、彼の華々しい女性遍歴が余計に際立って感じるのは。
「とにかく、私はこの結婚はお断りです! どうせあなただって、私みたいなお子様はお呼びじゃないんでしょう? お互い気が進まない結婚は不幸の始まりだわ」
「そうは言っても、うちの両親も君のことを気に入っているからね」
だからこの話をなかったことにするのは、なかなかに難しい。
確かに親の発言権の方が強いこの社会で、親が決めたことを子が覆すのは生半可なことではない。大抵は親に命じられたことは逆らわずに、はいはいと受け入れるのが子の役目だ。
判ってはいても、レイドリックのその一言が余計にローズマリーの苛立ちの火に油を注ぐ。
「結婚くらい、自分の意思で決められないの?」
男のくせに情けない。じろりと多大な嫌味を含んで睨めば。さすがにレイドリックも、少しばかりムッとしたように眉根を寄せた。
「通常、貴族の結婚に本人の意思は無関係だって、君も知っているはずだよね? それにローズも不満だろうけれど、俺だって正直どうしようかと思っている。生まれた時からの付き合いで、妹のように思っていた子を突然、女として見ろと言われてもね。俺だって色々と考えるんだよ」
これが彼の偽らざる本音なのだろう。なぜかそれはそれで、少し切なく寂しい気がする。
でも確かにその通りだ。自分の不満ばかり口にしていたローズマリーだけれど、同じくらいレイドリックにだって言い分はあるだろう。少し言い過ぎたかもと、反省しかけた時。
彼は、ふう、とそれはそれは悩ましく溜息をつき、しみじみと呟くように言った。
「このまま結婚しても、初夜で失敗したら洒落にならないよなあ」
直後、ローズマリーの傍らにあったクッションが、レイドリックの顔面目掛けて宙を飛んだ。直接的な攻撃は片腕で防ぐことができても、耳を貫くローズマリーの悲鳴のような叫びは防げない。
「何を言っているの、この変態! すけべ、馬鹿じゃないの!?」
人が必死に考えないようにしていたことを、良くもまあ言葉にしてくれたものだ。
そう、つまり、結婚するってことは、そういうことで。既に先に結婚した友人や親戚の女性達から、面白がるように吹き込まれたピンク色の知識は、ローズマリーをそれなりに耳年増にしている。
「失礼な。男の沽券に関わる重要な問題じゃないか」
「だからって今それをここで言う!? 一度死んできたら!?」
「死ぬのは人生に一度限りで充分だと思うけどなあ」
兄のデュオンが二人のいるサロンへと訪れたのはその時だ。
「いやあ、相変わらず仲が良いね、二人とも。私も何の心配もないよ」
「どこがっ!? ねえ、お兄様、どこが!?」
「デュオン。ローズは俺も可愛いと思うけどね、もうちょっと女性として持つべきものは持たせた方が良いと思うぞ」
「女性として持つべきもの?」
「そう。たとえば、色のついた気質とか」
色のついた気質。つまりは。
色気。
「尼っ! 私は尼になりますっ!! そしてそのまま枯れてやるわっ! 誰があなたなんかと結婚するもんですか!! 無理に結婚させられるくらいなら、このまま家を出ます、探さないで下さい!」
「おやおや」
「ローズ……」
かくして幼馴染みと兄の溜息をよそに、ローズマリーのなんとも安易でありがちな家出が決行されたのであった。
~~~~~~~~(続きは本編へ)~~~~~~~~