夜になると、
なぜか心がざわつくことってありませんか。
昼間に言われた何気ない一言が、
ふとした瞬間に引っかかる。
相手からの返信が少し遅いだけなのに、
「嫌われたのかもしれない」と
勝手に物語を作ってしまう。
そんな自分に気づいて、
また少しだけ自分を責める。
わたしも、ずっとそのループに
ハマっていました。
ある時、ふと思ったのです。
本当にわたしは、嫌われたのでしょうか。
それとも——
わたしがそう“意味づけ”しただけだったのでしょうか。
出来事よりも、わたしの中の“思い込み”が揺らしていたのかもしれない
わたしはずっと、出来事がわたしを
傷つけていると思っていました。
でもあるとき、
ふと違和感を覚えたのです。
もしかすると—
返信が遅かったことよりも、
そのあとにわたしが頭の中で作った物語の方が、
わたしを揺らしていたのかもしれないと。
「嫌われたのかもしれない」
「何か悪いことをしたのかもしれない」
「ちゃんとしていないと思われたのかもしれない」
出来事はただ起きただけ。
そこに意味をつけたのは、
わたしだったのかもしれません。
だから最近は、
出来事そのものよりも、
「今、どんな意味をつけた?」
と、自分にそっと聞いてみるようにしています。
わたしが試している、ひとつの小さなこと
いつもと変わらない妻とのやり取り。
いつもと変わらないはずなのに、
妻の返事がいつもより短かっただけで、
胸の奥がきゅっと縮む。
呼吸がほんの少し浅くなる。
いつもの自分なら、
「え、何か気にさわること言っちゃったかな」
「え、なんかいつもと違うように感じる」と、
そんな言葉が、頭の中に浮かんでくる。
そこから、思考がぐるぐる回り始める。
気づけば、不安が静かに広がっている。
でも今回は、勇気を出して
立ち止まってみることにしました。
「今、どんな意味をつけた?」
その問いを置いた瞬間、
胸の奥のきゅっとした感覚が、
ほんの少しだけ緩みました。
出来事は何も変わっていません。
妻の返事も、その場の空気も。
でも、わたしの向きが、
ほんの少しだけ変わったのです。
受け止め方をやさしく変えるということ
受け止め方をやさしく変える、と言うことは
出来事を無理に前向きに捉えることでも、
自分に言い聞かせることでもありません。
ただ一度、
自分がつけた意味をゆるめてみる。
「嫌われたかもしれない」と思う前に、
「今は忙しいだけかもしれない」と
小さな余白を置いてみる。
すると不思議なことに、
心の波は少しだけ穏やかになります。
それは、外側に置いていた意識を
そっと自分の内側に戻したから。
わたしはそれを、
“舵を戻す”と呼んでいます。
揺れない人になる必要はありません。
揺れた時に、戻れる人であればいい。
それだけで、きっと十分なのだと思います。
もし今、胸の奥に
少しだけ引っかかっている出来事があるなら。
それが本当に「事実」なのか
それともわたしがつけた「意味」なのか。
ほんの少しだけ、
眺めてみるところから始めてもいいかもしれません。