市井闊歩のWINDER WINDOW!(エッセイ) -6ページ目

卓上漫才

いや、この間魚屋に行ったら、魚がいっぱい死んでてさあ…。

モヘンジョダロ!

モヘンジョじゃないだろ。

ウィ。

って、古代インダス文明の町の名前をツッコミみたいに使うなよ。

古代インダス文明ってなんだ!?

知らないのに使うなよ。

いいじゃないか、お客さんだって知らないって顔してるし。

お客さんの無教養を白日のもとにさらすんじゃない。

あ、良く言うね。俺がこないだモヘンジョダロと言ったら、ヤホーで調べてたくせに。

どっかの漫才パクるなよ。調べたのはゴーグルだよ。

ん?

ま、それはともかくとして…って、お客さんって誰だよ。2人で歩いているのに。

これを読んでる人がいるでしょうよ。

2人の会話が読めるのか?

ああ読めるよ。今、読んでやる。

飲んでんじゃねーよ。

は?

は?じゃねーだろ。まもヤクルト飲んでんだよ!

「まも」ってなんだ?どんだけ噛んでんだ。

うるさいな。キーボードの文字1つずつ右にずれたんだよ。

なんでしゃべるのにキーボード使うんだお前。お前はロボットか。

タンチョウだ。

意味わかんねーよ。今読んでる人が皆前のWINDER!WINDOW! 読んでると思うなよ。

だから魚屋に行ったんでしょうが。

狩りにか。おやじ狩りか。

買いにだよ!なんで俺が魚屋のおやじ狩りに行くんだよ。

だって、モヘンジョダロ?

アーリア人か!? オチの意味明かさないで落とすんじゃない!

いんじゃね?どうせみんなついでにヤホーで調べるよ。



ども、ありがとうございました。

あなたは正しい


 あなたの言うことが正しいからと言って、それが人を責める正当な理由にはなり得ない。

JR西日本山崎前社長無罪

 JR福知山線脱線事故の裁判で、安全対策のエキスパートということから検察側は山崎被告に対し、自動列車停止装置(ATS)の設置を怠ったとして業務上過失致死傷罪に問うたのですが、11日に神戸地裁で無罪判決が下されました。

 予見性が焦点になったらやはり難しいですね。余程直接の責任がない限り、「必ずしも…ない」という判断を招きやすいからです。

 被害者参加制度に基づく遺族による初の被告人質問に、山崎被告は「運転士に過失があったのは間違いないが、JR西が(運転士を)追い込んだという背景はある」と述べ、組織の問題点に言及したそうですが、私が当時主張した通り日勤教育こそが事故の原因と推測される以上、そのような行為を放置した経営者の責任を問うべきなのだと思っています。

物事は否定的に見よ

 物事は否定的に見よ、と視野を広げる意味で中高生には必要なことですが、人格は肯定的に見よ、という言葉を付け加えておきます。

 傲慢にならぬよう。

学校の勉強

 学校の勉強なんか何の役に立つのか、役に立たない


 と言っている人は、勉強していないんです。それでは役に立てようがありません。もし、そう言う人がいたら、その人は勉強していたのかなーと想像してみてください。もしかしたら、すぐに知性の無さがあふれて見えるかも知れません。

 ところが、きちんと勉強していると、いろいろなところでちょこちょこ、例えば社会現象の理解に役立ったり、もちろん、自分の限界を広げることによって、多様な能力を発揮したり、進路(職業)を転換したり出来ます。そういう能力って必要ですね。

 つまり、それって、「生きる能力」なんです。文科省は自殺者が増える中で、生きる能力はそれまでの詰め込み教育に欠如しているものと判断しましたが、それは誤りでした。現在は方針を転換し、「脱ゆとり教育」で授業時間を増加させています。


 さて、焦っているのは「ゆとり教育」を受けてしまった世代。弟や妹が居ると後ろの世代は学校での勉強量が多く、授業内容が進んでいるのがわかります。彼らはどうしたらよいのでしょう?高校卒業くらいになっていると、取り返しが付かないのですけど…。

子供は若くない

 やっとティーンエイジャーになったばかりな子供が、「二十歳はおばさん」なんて言い始めたりしますが、そんなことはもちろんありません。



 十代は、若くないのです。

 そして二十歳は若い。



 若い、若くないは、大人としての比較であり、子供は子供、心も体も未成熟な人間は、その対象ではないからです。

 結婚すらできない年齢の子供に「若い」なんておかしいでしょ。


 しかし、その子供に、余計な価値を見出そうとする大人がいるから、子供が図に乗ってそのようなことを言い出すのです。大人は、そのような発言を認めてはいけません。

心無き産経ニュース

  13日のMSN産経ニュースで、『「トイレ行かせて」江ノ電バス運転手が乗客残しファミレスへ』という掲載意図が全く分からない記事がありました。

 道路混雑のため遅れていた折り返しのバスを(トイレに行かず)すぐに発車させたため、途中でトイレに行きたくなり、乗客に断ってからエンジンを切り、しっかり輪止めもした上でファミレスのトイレに駆け込んだという事実と、「問題はない」とのバス会社のコメントがネット記事により広く知らされました。


 これが伝えるべきニュースでしょうか。


 私も全く問題はないことだと思います。それよりこれを全国ニュースにすることで、運転手が心を痛めないか心配になりました。こんなものはローカルニュースにすらする必要はありません。バス会社へのリポート番組で「トイレに困ることはあり、こんなこともありました」と話してもらうレベルの話です。

 しかし、それを報道することは、批判的ニュアンスを意味します。バスの運転手が急にトイレに行くことになにか不都合があるのか、あるいはそれは許されざる暴挙なのか。広く伝えることでバスの運転手がトイレに行くことを防止させたいのか。

 こんなことをニュースにしてどうしたいのか全く解せないので、その意図を産経新聞にメールで問い合わせましたが、半月過ぎても回答がないため、人間性を認めない報道機関として、「心無い新聞社」と認定させていただきます。

抗議と告発愉快犯

 玄海原子力発電所の再稼働問題を巡り、佐賀県庁で行った抗議活動が建造物侵入、威力業務妨害などにあたるとしてテレビ報道で見た京都市の男性(28)が地検に告発状を提出し、俳優の山本太郎さんを、佐賀地検が事情聴取していたそうです。当然の結果ですが、佐賀地検は犯罪と認められる十分な証拠がないとして28日付で不起訴にしました。

 告発状は、「バリケードを乗り越えるなどして県庁に入っており、憲法が保障する表現の自由から著しく逸脱している。法治国家として是認できない」として、厳重な処罰を求めているとのことです。



 こうした告発は、内容を見て受理しないとか、告発者をまず事情聴取した方が良いかと思います。あと、この「京都市の行政書士の男性」をマスコミが匿名にする必要性が認められません。内部告発でも何でもないのですから。そもそもレベル的に、WEB掲示板『2ちゃんねる』で「通報しました」と言うのと同じにおいがします。幼稚です。

 民衆の抗議行動は権力機関に対して認められるべきもので、それを理由をつけて法で裁こうとする行為は、独裁政権下での弾圧とさほど変わりません。この告発者を例えるなら、権力者に媚を売る密告者のようなものです。


 当事者に対処を促す、ということも出来るのですから、あえて自ら告発するのであれば、その責任は負うべきです。


 くだらない告発状を提出して得意になっているのは、愉快犯と同じ構造です。沖縄の件でも告発するのでしょうか。それとも、山本氏個人への法を用いた嫌がらせでしょうか。

沖縄の抗議と法律


 沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市移設に関する『環境影響評価書』が防衛省から沖縄県に発送されましたが、配送業者が反対派に阻止され、県は受け取れませんでした。

 この件は、沖縄防衛局関係者が評価書を持参することが検討されていましたが、反対派の妨害による混乱を避けるため配送を委託したのですが、それでも上手くいきませんでした。


 "法律が正義"と勘違いしている人は、「沖縄防衛局関係者が持参して阻止されたら公務執行妨害」「配送業者や県庁に対する威力業務妨害」と叫びそうな案件ですが、どこも住民感情に配慮し、警察に強制排除を要請することはありませんでした。


 もともと県外移転との約束が反故にされた県も受け取りには消極的なため静観し、「約1時間後に業者に混乱を避けるため出直すよう要請した」との話で、取り囲まれ発送元を確認されていた配送業者の方、ご苦労様でした。



 法律に則って平等にといいますが、その法律が必ずしも適用されるとは限りません。そこが世の中大人の世界。そして、それは決して「不平等」ではないと、大人は理解しています。


 もし、私が県庁の担当者で、警察が県庁の敷地内に入って強制排除を始めようとしたら、警察に敷地外への退去を要請します。県民を守るのも、県の仕事ですから。

ちょっとした学力

 高度ではないが複雑な問題を前に、知恵のある2人が
 「うーん、こうじゃないな」
 「これはこうじゃないか」
 「そうだ!だからこうなってこうなる」
 「おー、解けた解けた」
と、頭を使って解を導き出すのは楽しいものです。


 どのくらい楽しいかと言うと、共感の「あるある」、つまり
 「そういうの、あるある」
 「それ、すっごい良くわかる」
 「そうそう、そうなるんだよねー」
と、いうのより楽しいのです。なぜなら、共感は言葉を発し終えれば基本的にそこで終わってしまうからです。


 当然、知恵がなくて
 「なにコレ?」
 「ワカンネ。分かる人を呼んでこよう」
というのは、面倒なだけかも知れず、ちっとも楽しくありません。



 人生を楽しむためにも、基本的な学習は身に付けておきましょう、というお話。