市井闊歩のWINDER WINDOW!(エッセイ) -8ページ目

台風のビニル傘8本

 帰りのバスの中から、台風の接近により風が強くなってきた様子を眺めていましたが、何人か傘の骨が折れている人を見ました。それ以外に、折れたビニル傘8本。

 その内訳:歩道及び車道に転がっていたもの5本、空缶入れに突っ込んであったもの1本、ゴミ集積所の網の籠に刺してあったもの1本、手に持って濡れながら歩いていた人、1人。

 最後にその人を見て救われた思いです。ちなみに、ビニル傘以外の放置は0本でした。



 強風が予測される中、弱いビニル傘を持って出る思慮のなさにもあきれますが、壊れると放置する人間が多いのもその特徴と言えそうです。


 横浜市のごみ収集では、傘は骨組みとそれ以外の部分を分離し、分別回収となっており、傘をそのまま出しても持っていきません。従って、ごみ集積所にあったのも放置と同じことになります。

 傘を捨てると、それを誰か無関係な人が片付ける必要があるということが分からない人が、なぜいるのでしょうかね。

どうも解せない「死の町」

 『鉢呂吉雄経済産業相は9日の閣議後の記者会見で、前日に視察した福島県の東京電力福島第1原発などについて感想を述べ、「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに『死の町』という形だった」と語った。』ことが、問題を大きくしました。

 この「死の町発言」が、被災者の気持ちを踏み躙った、ということへマスコミは誘導していますが、「死の町」なんて程度の表現に、私は特別な意図を感じません。一般的に使われるような言葉でしょ?一時帰宅に同行したマスコミは無人の町をなんて表現していましたっけ?『ゴーストタウン(幽霊の町)』はOKで、こちらはアウトって、どこにそのような「日本語使用基準規定」があるのでしょうか。

 それに、記者会見を見ていないのでどう言葉が続くのか不明ですが、その後に、「元のように活気ある町にしなくてはならない」と決意を述べていたとしたら、果たして「死の町」という表現が不適切と言えるのか、ますます疑問に思います。むしろ、その対比が重大な覚悟を示すものと捉えられます。


 もっとも、福島第1原発の視察から帰京した8日夜、報道陣の一人に防災服をすりつけるしぐさをし「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をしていたという悪ふざけはいただけません。こんな幼稚さですから、「死の町」も責められてしまうのです。



 明らかに品性に疑問符がつく、菅政権の松本前震災復興担当相を思い起こさせる同じく就任9日目の辞任でした。

九州電力やらせメール事件

 事件と言うほどのことでもありませんが、玄海原子力発電所の運転再開に関する国の説明会のテレビ番組に送られた、九州電力関係者からの賛成意見が約130件に上って賛否が逆転したという事実が発覚し、かえって運転再開が遅れている問題ですが、九州電力が資源エネルギー庁に提出した社内調査の報告書では、当時の段上副社長ら上層部が、“番組の周知”を行うよう部下の部長に指示し、さらにその部長から指示を受けた社員が社内や協力会社に対し、賛成のメールを投稿するよう依頼したとしています。

 そのきっかけが、佐賀県知事の懇談の席における発言の受け取り方ということでした。


 さて、これは倫理の問題であって、法律上の問題ではありません。しかし、指示をしたとされる前副社長は「コンプライアンス(法令遵守)」の問題と言っており、何の法令なのかはよく分かりません。


 ま、それはともかく、いつものマスコミのクセで、九州電力を完全に悪者扱いですが、それでは株主総会に社員を動員して、「賛成多数!」と議事運営を容易にすることとの違いが微妙です。つまり、それがマスコミを含めた企業の従来の方法として蔓延するも、100%容認されているからです。

 社員が株主ということで、その権利は認められますが、そういう考えであれば、九州電力関係者が原発運転再開に賛成したとしても、県民には違いありませんし、問題はありません。仮にそうするよう指示があったとしても、それは株主総会と同じこと。それを不正と呼ぶならどちらも不正でしょう。


 その辺を指摘してしまうと、あまりに自社及びスポンサー各社に対して大変不都合ですので、マスコミは放置しておいています。その上で、「九州電力それはちょっとひどいんじゃない?」という報道をされても、私としてはしらけるばかりです。

やっぱり原発コストは高い

 財団法人「日本エネルギー経済研究所」が発電コストを試算し、先月末に発表しました。

 それによりますと、原子力のコストが火力より29%ほど安くなったそうです。

 で、この試算に、福島第一原子力発電所事故による仮の賠償額(10兆円)を盛り込んだところが新しいのですが、原子力発電の46年間の発電量で割って影響を小さく見積もっています。その結果、その差は15%となります。


 さて、この試算の誤魔化しですが、計算が2010年までの5年間の平均発電コストを元にしていること。効率の悪い初期の発電コストも、最新のコストをあてはめています。逆に火力は、原油が過去にないほど極端に値上がりしている期間の発電コストなのです。

 そして、仮の賠償額を入れただけで、実際の社会全体の損失を加味したわけではないこと。

 更には、発電所建設のための莫大な対策費用を加味していないこと。火力発電の誘致で地元がどれだけ潤いますか。「なんてったって原子力」ですよね(笑)。



 よって私としては、原子力の発電コストが火力より明らかに高くなっているように読み取れます。試算にはかなり悪質な意図が感じられますよね。皆さんはどう思いますか。




p.s.そうそう、老朽化した原子炉を延命させて利用しているのも、コストダウンの要因になっています。

生活の中の不快音


 この文章は、なんと20年前に書いたものであす。どこか整理した時に出てきて、とりあえず机の上に置いたらしいのですが、机の上を片付けていてびっくりしました。そのまま、写してみます。




 朝7時頃、夢うつつの中に不快音が混ざり始めるともういけない。田舎の朝は早い。その観点からすると、K市はまだ田舎だ。洗濯はもう少し後にすると良い。

 私はあの全自動洗濯機の消化不良のような音が嫌いだ。朝から不愉快である。ちなみに「洗濯機の音がメロディーを奏でる」という発案で、先達がいなければアメリカで知的特許が取れるだろう。彼の国では、現物(設計)がなくても特許が取れる変な国である。運転しなくても動く自動車も、アメリカの自動車会社に特許がある。例えトヨタが開発しても、アメリカ輸出の際は特許使用料を支払う必要がある。

 話はそれたが、私はVVVF制御音も大嫌いである。東急などに乗ると、聞かされるあの「ヒューヒュー」という音である。それが嫌なので、東急には乗りたがらないが、今後京急・JRにも増加するので困っている。




 と、当時の私は、精神的苦痛を訴えていました。東急も現在は改良されてなくなりました。京浜急行はメロディー音のような鳴り方でしたが、これも現在ではほぼ交換が終わったようで、再び安心して乗車しております(笑)。

 そう言えば、横浜市でも隣家の朝の洗濯に悩まされていた時期が2、3年前にありました。低音が響いて来るんですよね。連続してならば気にならないのに、洗濯機のように断続的に続くと大変気になります。

お財布に優しい

 「地球に優しい」という名コピーから派生していろいろなものに優しさが求められている?昨今ですが、時々「お財布に優しい」という文字も見られます。

 いくらなんでも、それはひどい使い方ではないかと思います。

 お金に関して言えば、「懐具合」という婉曲表現があります。そこで、「懐が暖かい(寒い)」などの表現がされますが、「財布」と言ってしまったらかなり「現金」に近い表現で、婉曲とは言えないのに「優しい」なんて婉曲表現をつけるのは妙な具合です。

 ですから、そのまま受け取って、

 「財布に優しいのは、中身がなくなることではないか」
 「いや、お札は財布の負担にはなるまい。硬貨が減ることが財布にとって最も望ましいことだ。しかし、お金を使う以上、硬貨が増えるとも減るとも限らない。お釣りに左右されるからだ」
 「それなら財布を持ち歩かない、使用しないということが、財布にとって負担が少なく、財布に優しいということではないか」
 「とすれば、インターネットでカード払いすることを指しているのか」
 「なるほど、少なくとも『安い』なんて意味は微塵もないな」

…という議論に、私の中ではなっています…ならないか(笑)。

詐欺の不思議

 都内の被災者用宿泊施設に、被災者と偽って約1ヶ月居た男性が逮捕されました。まあ、当然だとみんな思いますよね。


 ところが、予定通り8月末でやめることにしたトラックなどの東北の高速無料化では、被災地支援と無関係な不正通行が多く、国土交通省の7月の調査では、常磐自動車道水戸インターチェンジ(IC)を利用したトラックの約14%に悪用の疑いがあるとのことです。白河ICや新潟中央ICでも同様のはずです。

 対象エリアで入りエリア外で出る場合やその逆でも、全ての利用区間の料金が原則無料になる仕組みを悪用して、例えば関西方面からのトラックがわざとエリア内のICで下りてそこまでの料金が無料、そして再びそこから高速に乗り東京へ。すると東京までの料金が完全無料、というわけです。

 この件で大きな問題になったのは、大型トラックがUターンのため、水戸IC付近の生活道を走ることだけです。不正通行はしないように呼びかけるだけでした。


 無料と言っても、被災地支援のため。救急車など緊急車両と同じく、国土交通相が法律に基づいてパトカーなどと同じく料金を徴収しない車両に指定するため、無料化の予算は確保されていないものの、高速道路会社からしてみたら、本来入るべき道路収入がなくなっているのです。

 どうみても詐欺でしょ?

学校給食

 今は食材も入るようになったと思いますが、被災地の学校給食問題として、食材が公平に揃わないことから全校一律でカロリーや栄養素の低下した給食を実施していました。

 部分的にであれば、追加で出せるものを出さなかったために、「常に空腹」のような給食になっていたのです。

 公平であることを考えたら「一部が足りる」より、「全員空腹」が良いですか?

 その「一部」は、順番で回って来るのですよ。


 ま、悪平等ってやつですね。


 こういう場合、多少内容が違っても、各校順番に品数を増やしたり質を上げるよう、行政の長たる県知事かあるいは学校の設置者である市町村長の一声で実施すればよいと思います。給食は公平が主目的ではありませんから。

 学校給食は戦後の子供の栄養不足を補う目的で実施され、その目的を失ってからも継続されていますが、実施する以上は出来る限りのことをしてあげたいものです。

 で、平時は出来る限りのことをしている結果、かなり高級な食材を使った単価の高いものになっているようです(その金額の一部のみ親の負担)。今は、安全なもの、良いものを求めると非常に高く付く時代ですから。

 それを思うと、ふと、お昼に安い牛丼なんて食べているお父さんのことを不憫に思ってしまいます。

法律の定義

 定義は難しいものです。定義が明確であれば、指示を必要とせずに行政も民間も行動することができます。しかし、定義が難しいから「それは出来ない」でよいものでしょうか。


 大震災で乗車を断られる人が出たタクシーは、道路運送法施行規則によって地方運輸局長が営業区域を定めており、それにより、その範囲内を出発地あるいは到着地としなければなりません。域外に客を降ろしたタクシーは、域内に行く客を除いては乗せられないのです。よって、大震災の際は、電車が止まったため、域外に行ったタクシーはそこでは客を乗せられず、また、戻るのにも時間がかかり、タクシーに乗るのも余計に困難になったようです。

 しかし、どういう状況で営業区域外の営業を非常時に許すかとの定義は、残念ながら大変難しいのです。そこで次善の策として、法律には、営業区域を定める部分に、「但し、非常時において地域を指定して所轄の大臣がこれを解除することができる」などの但し文をつけて置けばよいのです。

 つまり、そのための行政の長でしょう、ということです。非常時には仕事が殺到するでしょうが、重要なことであれば、その余地はあっていいと思うのです。優先順位が低いと判断されるなら不要で、今そのような取り決めがないことはそうみなされているのが現状ということですが、必要かどうか、この際検討されてみてはいかがでしょうか。


 もちろん我々も、必要だと思うのであれば、要望するべきです。体の悪い人が、あるいは一刻も早く帰宅する必要のある人が、営業区域外であることを理由にタクシーに乗ることが出来ないというのは、あまりに気の毒だと思います。

 ちなみに、タクシーの運転手が、この非常時において気の毒だからと、営業区域を無視して乗せれば、個人には乗務停止、会社にも車両の使用停止と厳しい罰則が付されます。


 法律なんてものは不備だらけ。そのため良識に反するようなことが起こっても、法律違反は法律違反。国会は立法府でありながら、「経済政策部」と化しており、法律の放置という怠慢が常態化しています。ですから、共存するためというより支配するための法律に感じられるのです。

悪ふざけ

 東海テレビ4日の「ぴーかんテレビ」で、岩手県産米「ひとめぼれ」のプレゼント当選者として「汚染されたお米 セシウムさん」「怪しいお米」などと書いた仮のテロップを23秒間流した事故の余波が広がっています。

 約2分30秒の謝罪放送で、「担当者がふざけ心で作製した仮のテロップを、操作ミスで放送した」と説明し、ディレクターらの管理体制の甘さと「あたかも岩手県産ひとめぼれが安全ではないような誤解を招きかねない放送をしたことを深く反省」したものの、生活がかかっている関係者の怒りは収まらず。社長は岩手県庁、JA岩手県本部、愛知県庁と謝罪行脚し、11日には本社で陳謝の記者会見をし、番組の打ち切りと社長を含む幹部8人の処分を発表しました。

 テロップはCG制作会社の50代男性社員が作製したもので、誤ってそれを表示させてしまった局の担当と共に、大変辛い毎日を送っていることでしょう。つまらぬ悪ふざけが取り返しのつかない事態を引き起こしてしまいました。

 そもそも、東北がどんなに大変な思いをしているか、あまり関心がなかったからそのようなテロップを作れたのだと思います。人の痛みが分かるなら、きっとこんな悪ふざけは思い付きません。


 私たちも自戒せねばなりませんね。悪ふざけって、たとえ仲間内でもそれほど面白いものではありませんし、エスプリとも違うし、人間の程度が低く見られるだけです(自分にも少々苦い経験はあります)。




 しかし、今回もマスコミの攻撃性が発揮されていますね。反省がないならともかく、始めからひたすら謝罪する者に対して。東海地方での問題をわざわざ全国問題にするのは、業界の体質として他の放送局でも十分あり得るからなら理解できますけど、わざわざ取り返しの付かない状況に追い込んでいます。例えば、深く反省した局が、岩手米の安全性を積極的に宣伝し、売上に大きく貢献すれば、それはそれで美談になります。でもまあ、人間性を感じさせないようなテレビ局は、そんなことはしないでしょうから、叩いた方が良いですかね?