これから、先日書いた10大転機をひとつずつ解説していきます。

電子書籍にする予定ですが、まずは簡単に1個ずつ概要だけブログに書き、それを加筆してまとめる予定です。


10大転機の前に、簡単に大学までのことを書きます。


私は1974年青森県青森市生まれ。

家はガソリンスタンドをやっていました。


子供の頃は絵を描くことや、お菓子や手芸などものを作るのが好きでした。


運動が苦手で、運動会は嫌い。徒競走はビリしかとったことないです。リレーも、お前のせいで負けたと保育園のとき言われて泣きました。


小学校3〜5年あたりでいじめられたこともあります。仲の良かった子が突然、私を無視するように言って、全員にではないですが、女子から無視されて、何かするたびに目の前でヒソヒソ話をされる。かと思うとある日突然仲良くしてきて、私は当時自分が悪いからいじめられると思っていたので、それに振り回されていました。


中学に入ると、勉強はめっちゃできて、最初の1回以外、定期テストはずっと学年1位。といっても1学年50〜60人の学校だったんですけどね。でも、市内の中学生ほとんどが受ける模試でも、いつも上位で、1位もとったことがあります。


勉強できると、頭が良いと思われがちですが、私は頭が良いわけではなくて、勉強が得意なだけなんです。


高校は青森市内の進学校、青森高校に行きました。

部活はボート部のマネージャーになり、彼氏ができて、まじめに勉強はしていたつもりですが、順位は中の上あたりになったと思います。あまり順位とか覚えてないです。

科目は地理が好きでした。


大学は東北大学文学部です。

1年生の時はまじめに授業を受けていましたが、2年生で自動車学校に行ってから、さぼれる授業をさぼるということを覚えてしまいました。


2年生だか3年生から(ちょっと忘れてしまいました)専攻が分かれ、文化人類学研究室に入りました。自分もですが、外国に興味のある学生が多く、海外旅行に行く人が多い中、私の家は、危ないから海外旅行は基本許してもらえませんでした(とはいえ、安全そうな旅行は許可してもらって3回行きました。けっこう行ってますね)。


3年生の時、計画した海外旅行を反対されて、親と大げんかになってしまいました。

それで、絶対に外国に行ける仕事についてやる!と思うように。


仙台駅前の本屋さんで「海外に行ける仕事」みたいな本を立ち読みしていると、キャビンアテンダントの項目が目につきました。


それまでは特に憧れとかなかったのですが、周りにいないし、私がなったら意外性があってびっくりされておもしろいんじゃないかと考え、密かに目指すことを決意。


どうしてもなりたかったので、面接の練習してくれる講座にも通いました。


そして4年の夏に合格。


自分の未来はバラ色だと思い、浮かれて残りの学生生活を過ごしたのです…が!


続く。


長くなりましたので、この記事は序章とし、次の記事から10大転機について書きます。







かさこさんのフェイスブックの投稿

を見て、「さくら10大転機」を作ってみました。


①1997年23歳

外国に行ける仕事に就きたくて、国立大としては珍しい国際線CAになる。

が、仕事が辛くて転職を考えるようになる。


②2001年27歳

転職活動に失敗し、ブラック企業に入ってしまう。

社長から人格否定され、辛くて激太り。


③2002年28歳

転職に苦労したことから職業選択に貢献したいと思い、人材紹介会社に転職。

しかしそこで自分が転職市場で価値のない人間になってしまったことを知り愕然とする。


④2005年31歳

辛い時代を救ってくれた同級生と結婚。地元青森に戻る。

夫の母が経営する職場で事務員としてフルタイム勤務。

娘2人出産。仕事で散々悩んできたが、仕事だけでなくお母さんの役割ができたことで気が楽になる。


⑤2010年36歳

パン教室に通い始める。

休日の癒しになる。こんな仕事ができたらいいなとパン教室の先生に憧れる。


⑥2011年37歳

ブログを書き始める。

パン作りにハマり、夜な夜な作ってブログに載せるのが毎日の楽しみになる。

ネットでアイシングクッキーを見つけ、自己流で作るのに夢中になる。


⑦2014年40歳

東京にアイシングクッキーを習いに行ったのをきっかけに、教室を始める。

青森にアイシングの教室がないので自分がやれるのではと思い、勇気を出すために一念発起して東京に習いに行った。


⑧2017年42歳

正職員だった職場を辞める。

辞めたらもう正社員の転職は無理だなと思い、かなり悩んだが、副業禁止だったこともあり決断する。


⑨2017年43歳

ドリプラ青森のプレゼンターになる

自分の今までの経歴や、なんでこうしてきたか、何をしたいかを必死で考えてプレゼンにしたことで、自分の経歴を肯定できるようになる。


⑩2018年44歳

コーヒー屋さんでパート勤務を始める。

独立したのに一見逆行したようにで悩んだこともあったが、今ではもう一つの好きな仕事として、両方続けていけたらと思っている。


という内容を今度Amazon Kindleで電子書籍にしようとしてます。


なんか黒歴史的なものもたくさんありますが、よかったらお楽しみに〜





2023年は眉毛難民になった年でもありました。
私は元々眉毛が濃くて、20歳の頃に少々抜いて整えてからは、最近まで眉ペンもほとんど使わなくて悩みなしでした。

我々世代は20代の頃は眉山のあるへの字みたいな眉が流行ってたじゃないですか。
でも最近はみんな平行だよなーと思って、自分も平行に近づけようと思って、上の山の部分を少し剃って、下を書き足すようになったんですよ。

しかし!ちょうどそれをやった夏の頃、髪を全ブリーチしたので、眉の色も明るくしなきゃいけない問題が発生。
友達から眉マスカラというものがあると聞いて買いたしました。
最初に買ったペンシルだと上手く書けなくて何種類か買ったり、なんかアイシャドウみたいな、ブラシで塗るパレットみたいなやつを買ったりしました。

さらにこの頃、眉毛付近を冷蔵庫のドアに強打したことで、一部眉毛が生えてこない部分ができてしまったことに気づきました。

実はいまだに納得いく描き方が分かってませんががんばります。



この本おすすめですよ