私が私になるまで…① | どんな過去があっても、輝ける✨✨

どんな過去があっても、輝ける✨✨

〜迷いだらけの人生を生きてきた1人の物語〜

こんな人がいるんだ!
【だったら、私は大丈夫】とか、思って貰えたら、嬉しいです♡

笑いあり、感動ありの物語✨
✨〈私が私になるまで〉

今日も頑張っているあなたへ〜本来の自分に戻って軽やかに生きるお手伝いをしている スピリチュアルカウンセラー みはるです

照れ


今日からは、私の歴史について書いていきたいと思います…


【幼少期なぜか周りはいざこざが絶えなかった…】
身近な人達のいざこざは、本当に周りにも大きな影響を及ぼします…

父と母 母と叔母 母と叔父 祖母と叔父 祖母と叔母 

まぁ色んな形で、いざこざが散らばっていまして子供心に心を痛めていました。自分のせいじゃないんだろうけど、身近な母から出る言葉とか聞いて冷たさを感じていました。


私なりに「いざこざがどうしたら解決できるか?」って考えたんです。
当時。その時の自分の答えが

思いやり・愛でした✨✨




それぞれの気持ちを思いやったら
解決できるのにな。と
正確には何歳だったのか私もわかりませんが
そう思っていた私も人間関係の波にもまれていくことになる(もう波にもまれている💦)にはまだ気がついていなかったのです…


特に父と母ですが、単身赴任の父が帰って来ると
飲酒を朝から始め怒鳴り声を出したりしながら
喧嘩するという日々が始まり
年に3回しか帰省しなかったのにも関わらず
恐怖の中緊張して過ごしておりました…


父が母の言葉にキレて
暴力をふるうのではないか
殺人事件がおきるんじゃないかと
怯えてました。
実際何回か父が母に暴力をふるったこともありました…

父が自由気ままにやってるのに
母が可哀想だと思っていました。
母も気が強く自分の意見を曲げず
父は口下手なので言葉にできず
それでお酒に逃げていたんだと思いますが
適量がなく、よく身体を壊さなかったなと思います。


なんで母は、そんな父と一緒にいるのか不思議だった記憶があります。
その中で私はお姉さんだから
弟は守らなきゃと思っていました。


父も父で大変でしたが
母の影響も長い時間一緒にいたので
かなりありました。
母の言うことが1番正しいと思っていて
もしそれを外れたら、見捨てられてしまうのではという気持ちがありました。


母は何だか体調が悪そうで
机に突っ伏しているのに無邪気な小さな弟は
そんなのはお構いなしに母に近づいて行くのです。
母は、そんな弟を払いのける訳でなく
それをちょっと離れたところで見ながら
複雑な気持ちを抱えて見ていました…


私もくっついていきたいなぁ
でも母は具合悪そうだしな。
可哀想だしな。
我慢しようって思ったし
私がもしくっついていった時の
母の対応も怖かった…


【もし拒絶されたら?】


それだったら
我慢した方がいいって思ったんです。


あとは母が具合悪かったりして
買い物や用足し、体調が悪い時も病院に1人で行ったりしました。
小さいのにリュックに醤油ビンを入れて
帰りに重さでひっくり返って
ビンを壊してしまったこともありました。


それから米を10キロ買って来てと頼まれて
弟とソリを引っ張って買いに行ったこともありました。冬の寒い星が綺麗な夜でした。




寒い中買い物を頼まれて
手が寒さで凍えて痛くて泣きながら
帰ったこともありました。


母がこたつで温めてくれたけど
内心(お母さんが自分で行けばいいのに、こんなふうになってるのに、可哀想って思わないのかな?)
手も痛かったけど、いろんな気持ちの涙が止まりませんでした…


私が私になるまで…②に続く