千葉の家を売って、東京に行きたい。と思ってから、実際に売れるまでは1年かかりました。
もう業者売りしかないのか‥とサイトに出そうとしたところ、ある個人の不動産屋さんが、「思い入れのある大事な家を投げ売りするのはもったいない。私に任せて下さい」と言われたのです。
まさに救世主笑い泣きお願いして3日で売れました!

引越しまで手伝ってくれたご恩、忘れません。

東京では小さな家を建てました。
本当は子育てをした地元にしたかったけど、予算がないので、小田急線沿線の穴場、鶴川にしました。
自然もあり、町田や新百合ヶ丘、多摩センターでおおよその用はたせる、トカイナカです。

東京に引っ越してからの母は、千葉の時みたいに、近所の人と交流しませんでした。
毎日3分クッキングを見て、相棒を見て、ぼんやりしていました。

私達夫婦は相変わらず住宅ローンの為に仕事漬け。

私は輸入住宅の仕事をはじめ、土地探しから家のプランまで、色々こなすようになりました。
自分の住替え経験も活かせました。

ダンナは小田急線で座って通勤したいという理由で、3時起きして、始発通勤していました。

3年が経過した時、母は突然「相談があるんだけど‥」と。
「あのね、町田の駅ビルの占い師さんに相談してみたのよ。(私の)兄のところに住んだほうがいいかと。そしたらそのほうがいいんじゃないかって‥」


私は「そっかぁ。じゃあそのほうがいいね。占い師さんもいいって言うならね。」と答えました。母はずっと兄と一緒に住みたかったんです。


母は3日後、私達が仕事している間に引越屋さんを呼んで、兄のところへ行きました。


きれ~いにがら~んとした部屋を見て、「あぁ、母はずっと兄のところに行きたかったんだなぁ」
と思いました。


憧れだった家、母や家族を幸せにするために無理して建てた家、でも違ったんだなぁ、幸せにできなかったのかなぁ。


ドラマ「季節のない街」では、お母さんがタツヤに、「あんたは優しくない!仕事ばっかりして!お兄ちゃんはいつも優しくしてくれた!」という強烈なセリフを吐きます。
これは長年のこのがらんとした部屋での私の心のモヤモヤにかなり突き刺さりました。
あー、そうか、そういうことだったんだえーん泣

東京にいた兄は葬儀の仕事をしていました。
兄と母は、地元のすごく便利な賃貸マンションで暮らしはじめました。

母は多幸感にあふれていました。
地元に帰ってきて、友達にも会える夢のような毎日。
「毎日ほんと幸せ」遊びに行くと、母は同じ話を繰り返しました。私は何度も良かった良かったと返しました。

そこから数年後、兄が夜中に電話をかけてきました。
「ちょっと母をお前のところで面倒見てくれないか、俺も何度も道でぶっ倒れたりするんだよ」

なんだか只事ではない気がしました。
兄の人格も穏やかさがなくなっていました。
もしかしたら脳とかの病気?
私はまず兄を総合病院に連れていきました。
診断はなんと、重度のアルコール依存症でした。

兄の話をよく聞くと、職場の上司を殴ったり、恐ろしいクレーマーのようにあっちこっちにケンカを売っていたみたいです。

あっ、ビール‥頭に浮かんだのは兄の家の冷蔵庫です。
兄のビールがなくなるたびに、母はすぐ下のコンビニに行き、せっせと補充していました。
母は認知症が進行していました。
認知症になった母を認めたくなかったのでしょう。おそらく母にも暴言を吐いていたと思います。

まず兄をアルコール依存症の病院に入院させ、そして母を施設に。

片っ端から病院を探し、翌日に入院させることに。
入院前に兄は、借りているマンションのオーナーであるスナックのママに電話を入れています。「それじゃぁ、その件は妹にかわるから」
訳わからず電話をかわると、高額な退去費用の請求でした。
「そんなお金持ってないよ〜、どうすんのよ〜えーん
泣く私に、兄は何も言いませんでした。

マンション退去費用のほか、引っ越し代、荷物保管代、荷物処分費、兄の入院費、母の施設入居費用‥

またもや爆弾投下されましたネガティブ

私はその翌日に、大腸内視鏡検査があったのですが、それどころじゃなくなり、キャンセルしました。

翌日、兄は「じゃああとはよろしくウインク」と明るく入院していきました。

残された私は、一人でマンションの引越作業です。
認知症が進行していた母は、物を捨てても捨てても出してきました。
およそ2日間で、兄と母の終活のような作業です。


そして、1週間ウィークリーマンションを借りて、母を連れて役所や施設だの、様々な手続きに歩きました。


時折母は駄々っ子のようになったり、「ここはどこ?兄は?家は?」と錯乱して、同じ問答を繰り返しました。


母を施設に入れる前の晩、一緒にベッドで寝ながら、「こうやって寝れるのも最後だな」と母の寝顔を触りました。


翌日、スーツケース一個になった母の荷物を持って、一緒に施設に行きました。
手続きのあと、不安そうにする母に、私は「ちょっと忘れ物取ってくるね」と言って逃げるように施設を去りました。

これが、私の家の話です。
私は、その後、大腸内視鏡検査にて、大腸がん(ステージ3)が発覚しました。

兄はその後、2度のアルコール依存症の更生入院をし、現在はアルコールとは断ち切り、ひっそりと生活しています。

母が亡くなる1ヶ月ほど前、兄を病院に呼びました。
申し訳無さそうにヘコヘコしながら私達に挨拶し、母と面会しました。
「ほら、これが最後かもしれないからきちんと挨拶しな」声には出しませんでしたが、こんなふうに思いながら、私は、兄の背中を押しました。
ほんとにそれが最後でした。

ちょっと重い話を書きました。
お読み頂いて、どうもありがとうございました。

あの時の事、思い出す作業はちょっと辛かったけど、ドラマのお陰で少し浄化できました。

「季節のない街」は、Disney+で最後まで完走しています。
途中辛かったけど、ぜひぜひ最後まで見てほしいです。

池松壮亮さん、仲野太賀さんは前からファンでしたが、渡辺大知さんも最高ですね✨
最終回の帽子に注目です😁



https://www.instagram.com/ichigo_retoro?igsh=azYwbGptbGN0MmNi


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