第7章 韓国ドラマ映画
270.ドラマ ヨニン恋人❷
 
 
 
まず2回目のレビュー記事執筆にあたり内容の多少のネタバレが含まれる事をご容赦ください。
 

 

 

スカーレット・オハラの波瀾万丈な人生と、レット・バトラーとの互いの想いのすれ違いによる焦(じれ)ったくも歯痒(がゆ)い愛を描いた『風と共に去りぬ』
その映画からインスピレーションを受け、映画のオマージュから出発した「非公式リメイクドラマ」『ヨニン恋人』は原作映画から脱皮して(9話途中)独立したストーリー展開を見せます。
まるで自転車の補助輪として助走を受けた後に自己の力で道の無い荒地を走り出した様に。
8話まで受けた「風と共に去りぬ」ストーリー展開の焼き直しと言う一種の「違和感」は全く消え去り独自の展開を見せます。

 

 

『風と共に去りぬ』でアシュレーしか見えないスカーレットはアシュレーがメラニーと結婚した後も2人を付き纏い、アシュレーを自分のモノにしようと画策します。
アシュレーを愛していると思ったのは幻(まぼろし)に過ぎず、実は最大のライバルとして嫌って居たメラニーをこよなく愛しており、イヤな男だと毛嫌いして居たレット・バトラーを実は心底愛して居たのだと気付くのは、メラニーが死ぬ直前、バトラーを失う正に瞬間でした。
彼女はストーリーの最後の最後にバカな自分を悟ったのです。

 

 

映画は彼女メインのそうしたメロドラマを主軸に描きつつも、南北戦争により既存の価値観が破壊されてしまったアメリカ「南部」で生存の為に生き残るべく場合によっては「殺人も厭(いと)わない」逞しい女性像を、反面「お金の為なら妹の婚約者をも奪う」冷酷で残酷な人物像を描き、スカーレット・オハラを好悪半々な人物、原作読者及び映画観覧者にとって真っ二つに評価の分かれる人物として描きました。
コレは当時アメリカで流行した新たな哲学「プラグマティズム」を体現した人物を描写したと言えるでしょう。

 

 

プラグマティズムとは実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方でアメリカの独特な哲学です。
理論や思想よりも実際の結果や効果を重視する考え方を指しますが、具体的な行動や結果を重視し、理論や観念を二の次にするという視点が特徴です。
乱暴に言ってしまうと「自分がする行動がどんな思想より正しい」と言う考え方です。

 

 

この哲学により、彼らアメリカのどんな行動も正当化されます。ネイティブアメリカン(インディアン)への虐殺と掠奪も、黒人奴隷への悲惨な暴悪も虐待も、何十万人の犠牲者を出した原爆投下も、今もパレスチナガザ地区始め世界各地で起こして居る虐殺行為も…
世界中で覇権を握るべくどんな悪事も自己の目的の為には肯定されると言う彼らのこの哲学により全て正当化されます。

 

 

しかし、9話から補助輪が外れ独自の道を走り始めたドラマは180度違う展開を見せます。
ヒロインで有るギルチェはスカーレットほど愚かでは有りません。
結婚したヨンジュンをキッパリと諦め、ウネへの嫉妬をおくびにも出しません。
只々家族を養う為に人の嫌う商売に手を出し、持ち前の才覚で事業を成功させます。
しかし、優しさが仇になり捕虜として拉致され清国の瀋陽に連行されます。

 

 

ドラマは今まで真っ正面に描くことの少なかった清国に捕虜として拉致された人々の悲惨を描きます。
この描写が何話にも延々と続き視聴することがイヤになる程です。
ココでもドラマは重大な投げ掛けを忘れません。
 
朝鮮王朝社会で女性が貞節を守る事は命とも引き換えの重大事と見做しました。
女性の貞節を強調した朝鮮王朝社会から清に連れて行かれることは、貞節を失った「毀損された女性」になることを意味しました。
連行される途中で多くの女性が体が汚れる前にむしろ死のうと、海に身を投げたのです。

 

 

当時の状況を歴史書はこう記録します。
 「敵の手に汚れたくない婦人たちが海に落ちた。頭のハンカチがまるで池に浮かぶ落ち葉のように風に吹き飛ばされた。」
 
どの戦争でも最大の被害者は子供と女性ですが、朝鮮王朝最大の悲劇だった丙子胡乱ではその被害がより深刻でした。無数の女性が捕虜として拉致され貞節を汚されたのです。

 

 

他の女性が貞節を守るために自分自身の命を断つときに、ヒロイン・ギルチェは汚くとも「人生を生きる」道を選びました。
そして他の女性たちのいのちを守るために努力します。
崖から飛び降りて死のうとする女性に手を差し出してギルチェはこう言います。
 「私が生きたいのに両親は何の関係が有ると言うの?
…前に江華島でみんな飛び降りた時に私たちは生きた。私は生きてよかった。」

 

 

戦争後、清はギルチェのような婦女たちも誘拐して引きずって行きました。
彼女らは清の官吏の奴隷になり、性的搾取を受けたり奴隷市場に売られました。
 
家族が巨額の還俗費を用意して探しに来る場合はそれでも不幸中の幸いでしたが、息子や両親を探しに来る人はいても、婦女子を探しに来る夫は殆ど居ませんでした。
貞節を失った女性は生きる価値がないと判断されたからです。

 

 

ギルチェが誘拐されて瀋陽に引き入れられたという事実を知った夫(クウォンム)も、探しに行きはしたモノのウワサにショックを受け結局彼女と会いもせずに帰ってしまいます。
 
生きて故郷に戻った女性たちも罪人になりました。
戦乱を経験して故郷に戻ってきた女性を指す言葉「還鄕女ファンヒャンニョ」はただの「故郷に戻ってきた女性」に過ぎませんでしたが、朝鮮社会は「生き恥を抱いて戻った厄介者」と言うレッテルを貼り社会から排除しました。
 
ドラマでもすでに妊娠した2人目の妻と暮らしていた元夫がギルチェにした最初の質問は 「そこで夫人には何もなかったのだろう?」でした。
家族も例外では無く、父は愛する娘が生涯地獄に住むようになった現実を悲しんで、眠るギルチェの首を締めようとします。

 

 

哀しみに打ちひしがれたギルチェは離婚を宣言し、こう言います。
 「オランケに汚されたのは私のせいではありません。そのことで離婚を求められたのなら,私は最後まで退かなかったでしょう。私が離婚を決意したのはあなた以外の他の人(ジャンヒョン)に心を寄せたせいです。」
社会的偏見に屈することなく自ら自己尊厳を守りギルチェは既存社会に別れを告げ、絶望し井戸に落ちて死のうとした女性と戦争孤児たちを集めて一緒に暮らす事を選択します。

 

 

ドラマの中のギルチェをこの様に社会的偏見と闘い堂々と生き抜く女性として描き、パート1で補助を受けた「風と共に去りぬ」スカーレット・オハラ、視聴者が一部共鳴しつつも大方共感出来ない「バカで不幸な思考を持ったプラグマティズム的なヒロイン」を完全に脱皮し、視聴者が絶賛せざるを得ない時代を代表する最先端のヒロインとして君臨させました。

 

 

現代まさに求められている「家父長制社会」との決別、精神的に自立した共感出来る女性像を「丙子胡乱」と言う朝鮮王朝時代に於いても最も過酷で悲惨な歴史上の事件に絡めて印象的に描いた事がこのドラマの最大の価値だとハッキリと宣言する事が出来ます。
その意味で、このドラマは大ヒットを記録して韓国史劇の新たな里程標を築いたと大きく評価される『옷소매 붉은  끝동(赤い袖先)』以来の傑作と位置付ける事が可能だと言えます。
 

 

是非この「大河ロマン」、やっと先日KNTVで終映したばかりですが、いっときも早く皆さんの元に届く事を願って止みません。
書き残した事項が多いのでもう一度出没させて頂きます。
では。
 

 

<参考文献>
webio辞書
[한겨레21] 400년 전 전쟁포로 목소리 들려준 ‘연인’…“제 잘못이 아닙니다”
드라마 ‘연인’, 여성 전쟁포로의 시선 보여줘
병자호란 지배층 무능과 여성 수난사 생생
K스피릿 드라마 ‘연인’, 그 아픈 역사의 존재 ‘환향녀(還鄕女)’
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