第7章 韓国ドラマ・映画
245.NHKどうする家康❶
 
 
 文藝春秋発刊の週刊文春で今週10月12日、松本潤の大河ドラマ『どうする家康』に於けるパワハラ問題が記事になりました。
本ドラマ評価の根幹を成す重要なファクトと言う事で、先日UPしたばかりのドラマレビューと重なる部分も有り、一部加筆リライトさせて頂きました。
宜しければ再度一読下さい。

 

 

NHK大河ドラマ『どうする家康』が佳境に入って居ます。
今回放送の38話のタイトルは「唐入り」、即ち朝鮮侵略が描かれました。
本日は今回の放送を中心に今年の大河ドラマについてしばし語りたいと思います。

 

 

秀吉の無謀な野望から始まった朝鮮侵略、日本で言う所の『文禄・慶長の役』、我が国で言う所の『イムジン壬辰ウェラン倭乱・チョンユ丁酉チェラン再乱』
以前は伝統的な「太閤記」や植民地主義の延長から秀吉の壮大な夢が彼の死によって挫折したと言う風に、半ば「肯定的に」描かれる事が多かった事案、近年では反戦主義のうねりの中でその野望と戦争が如何に無謀で多くの犠牲を伴ったかなど「否定的に」描かれる事が主流になって居ます。
 
戦国時代を描くどの大河ドラマでも秀吉の朝鮮侵略を周囲が反対する姿がクローズアップされます。
今回の『どうする家康』でも秀吉は「狂気の人物」として家康目線で描かれて居る事も有り、徹底して否定的に描かれます。
部下の浅野長政、妻の寧々など多くの登場人物が秀吉の「野望」を諌(いさ)める姿が描かれましたし、主人公の家康までもが戦争の拡大に反対する姿を描きました。

 

 

上記の浅野長政や妻の寧々が秀吉の無謀な野望に反対した事は史実ですが、家康が諌めたと言う話しは史実と言うよりも主人公持ち上げの一種と見られます。
 
そもそも今年の大河ドラマ『どうする家康』はタイトルの示す通り我々のイメージに有る家康像をぶっ潰す事に主眼が置かれて居ます。
家康像と言えば両極端なイメージ
❶偉人や「聖人君子」
❷何を考えているか分からぬ「古狸ふるダヌキ」
と言ったイメージが確立して居ますが、従来のステレオタイプでは無しに我々と変わらぬ平凡で現代人が共感出来る人物、神話では無く身の丈に合った家康像を描く事に主眼を置いて制作されました。
 
序盤では毎回毎回押し寄せる困難を前に悩み決断出来ぬ優柔不断な青年像が描かれ、主人公役の松本潤の凡そ家康らしからぬ現代的風貌からも往年の大河ドラマファンの顰蹙(ひんしゅく)を買いました。
家康とソリの合わなかったとされる奥方「築山殿」に清純派で好感度女優で有る有村架純を配役し、2人の仲睦まじい純愛と彼女の思い描く夢物語、少々時代錯誤的な『世界平和の構想』を描き視聴者のクェッションマークをも呼び起こしました。

 

 

しかしドラマ中盤のクライマックス『本能寺の変』あたりから序盤の優柔不断な青年像は成りを潜め、我々が知る「熟考と忍耐の人」のイメージに近くなって来ました。
とは言え演者松本潤のイメージに合わせてか突拍子も無く短期で激情家の一面をも描き、これまでの家康像への挑戦も止む気配は有りません。
 
「ジャニーズと闘う出版社」文藝春秋発刊の週刊文春で今週10月12日、松本潤のパワハラが記事に出ました。

 

 

中でも彼が脚本無視の良いトコ取りで、他の俳優の台詞(セリフ)を奪う事から『台詞(セリフ)泥棒』のあだ名が付いたとの件(くだ)りに思わず吹き出しました。
元々プロデュースに興味が有りコンサートなどの演出なども手を出していると言いますから必然の帰結でしょう。
 
幾ら主演とは言え演技の世界では青二才の彼にこの様に傍若無人な振る舞いを容認する自体、如何にテレビ局の「ジャニーズ」への忖度が常態化して居るか物語る一例では?
今年の大河ドラマの不振理由は上に挙げた全ての事象のトータル的スコアと言えるでしょう。

 

 <セリフ泥棒の台本>


彼のパワハラはさて置き、この様な『主演俳優のイメージ有りき』な企画が横行する様では日本のドラマの更なる衰退は防ぎ様に無いと憂います。
 
今回の家康の描き方について賛否両論有りますが、所詮はドラマですから史実におもねる必要は無く、ドラマならではの芸術的虚構が有って然りと私は考えます。
勿論、先の築山殿の『世界平和の構想』などの様な時代的制約を無視した描き方は大河ドラマと言う範疇に置いてはいささか承服しかねる部分はございますが…

 

 

「大河ドラマ」と言う括りで日本と韓国でドラマ制作が行われて居ますが、両国の制作方向は大いに異なります。
韓国で制作される「大河ドラマ」は何せ絶対的に史料が乏しい事情も有り、芸術的虚構つまりフィクションを多発する傾向が有ります。
逆に日本では史料が日々吟味され、新しい説を大胆に取り入れながら概ね史実に沿ったドラマが制作されます。
 
韓国の大河ドラマで如何にも史実を無視したフィクションと分かる描写については鼻白む事必至で日本の重厚な大河ドラマが恋しくなりますが、逆にその分日本の大河ドラマは史料が豊富なだけに制約も多く、自由度が低い点でマイナス面も抱えて居ます。

 

 

少子高齢化社会を迎えタダでも若者のNHK離れ・大河ドラマ離れが叫ばれる中、ワンパターンでステレオタイプの時代劇から脱皮し、若者も楽しめる大河ドラマを制作しようとするNHKの姿勢には総論賛成各論反対ですが、長年のファンの期待も裏切らず、その上新たな参入者も増やしつつ大河ドラマのクオリティーを保つと言う難しい難題がNHK大河ドラマに課されて居ます。
 
私の様に若い時分から大河ドラマに勤しんで来た層を繋ぎ留めつつ堅いドラマと敬遠し興味持たない若い層をも如何に獲得するか、まさに「二兎を得る」事は容易では有りませんが飽くなきチャレンジをお願いしたいとはツトに思います。
そこには若者層におもねり、と言うよりもジャニーズバーニングプロなどの大手事務所におもねり主演俳優ありきの企画を天下のNHKが真似ろと言う意味を露(つゆ)程にも含んではおりません(笑)。

 

 

ここで今回の大河ドラマ『どうする家康』38話「唐入り」のあらすじと史実を。
 
秀吉は約16万もの軍勢を編成し、天正20年(1592)朝鮮半島に続々と出兵させ、その後しばらくは火縄銃をはじめ装備に優る日本軍の快進撃が続きました。 
 
小西行長率いる一番隊1万7,000は4月12日に釜山に上陸すると釜山城を攻略して北上。
4月27日、チュンジュ忠州で迎え撃った朝鮮軍に一斉射撃を浴びせて壊滅させ、その報告を聞いた朝鮮国王宣祖が首都ハニャン漢陽(ハンソン漢城)を放棄してピョンヤン平壌に移ったので一番隊は5月1日、首都ハニャン漢陽に無血入城しました。 
 
加藤清正率いる二番隊も4月17日に釜山に上陸し、後続の部隊も続々と上陸。
8つの部隊が5月8日までにハニャン漢陽に入城しました。
そして6月16日にはピョンヤン平壌をも占領。
国王宣祖は鴨緑江国境のウィジュ義州に逃亡、明への亡命も視野に入れました。
二番隊も咸鏡道に進み避難していた朝鮮の王子2人を捕虜にして居ます。 

 

 

こうして、日本軍は朝鮮の最北部にまで攻め込み、朝鮮半島全体を席巻した様に見えましたがその占領はあくまで点に過ぎず、勢いは長く続きませんでした。
ご存知の通り海上でリスンシン李舜臣将軍率いる朝鮮水軍が活躍し、兵糧の海上輸送を困難にした為です。
クァクチェウ郭再祐はじめウィビョン義兵(義勇軍)が各地でたち起こり抵抗・物資の輸送路を遮断した事も重大な転換点でした。
ドラマでは「朝鮮水軍が大砲を搭載して日本水軍を攻撃して居る」とのみ表現してリスンシン李舜臣や亀甲船コブクソンは描かれずプチガッカリでした。せめて映像だけでもコブクソン亀甲船・朝鮮水軍の姿を描いて欲しかったです。

 

 

その後更に朝鮮国王からの支援要請を受けた明軍も加勢し、かなりの被害を受けながらも日本側の勢いを削いで行ったのですが、日本のドラマの描き方は朝鮮よりも明国を中心に描くキライが有り少々不満です。朝鮮は存在しないかの様な扱い。
 
そもそもドラマタイトル「唐入り」と言う文言も、実際に侵略して被害を与えた朝鮮を無視して中国を侵略すると言う意味で決して気分の良い表題では有りません。
「唐入り」が歴史的用語で有る面は否定しませんが、朝鮮侵略をメインに捉え、タイトルはせめて「朝鮮出兵」とし、出兵とその不協和音を描いて欲しいです。

 

 

ドラマでは家康が秀吉に抵抗する場面が描かれ、家康が意気地の無い優柔不断な人物では無しに信念を持った肝の座った御人として描かれました。
主人公の面目躍如と言った所です。
1万5千もの兵を従え九州名護屋城に留まりながらもついぞや朝鮮出兵を行わなかった史実に沿った展開ですが、最近では異なる見方も出て居ます。
 
九州の名護屋城でドラマの如く秀吉と朝鮮出兵について問答が有った事は事実ですが、本人が朝鮮に出兵する覚悟が有ったと言う主張です。
 
「自分は朝鮮に渡り陣頭指揮を取るつもりだから後方の日本をよろしく頼む」と述べた秀吉への返答で、家康曰く「それがし、弓馬の家(武家)に生まれ、戦を重ねて人となりました。
年若き頃より、今に至るまで一度も不覚の名をとったことは有りません。
 
今戦が起こり、殿下(秀吉)のご渡海があろうという時にそれがし1人、諸将の後に残り留まっていたずらに日本を守ることが出来ましょうや。
微勢なりといえども手勢を引き連れ、先陣をつとめましょう。人々の推薦を仰ぎます」
と発言したと言うのです。

 

 

以前はこの発言はあくまで秀吉へのポーズで、朝鮮への出兵を牽制する為の発言だと見られましたが、実際朝鮮出兵への気概・覚悟を持って居たとも受け取れます。
そして実際、場合によっては家康の朝鮮出兵もあり得えました。
 
しかし、史実として家康が朝鮮に渡海して戦うことはありませんでした。
それは朝鮮出兵の際の軍勢編成にあります。
朝鮮出兵の時、軍勢は全体で「九番」に編成されましたが
「一番」は小西行長や宗義智らの軍勢
「二番」は加藤清正や鍋島直茂らの軍勢
「三番」は黒田長政、大友義統らの軍勢
「四番」は島津義弘らの軍勢
「五番」は福島正則・蜂須賀家政・長宗我部元親らの軍勢
「六番」は小早川隆景・毛利秀包らの軍勢
「七番」は毛利輝元の軍勢
「八番」は宇喜多秀家の軍勢
「九番」は羽柴秀勝や細川忠興らの軍勢でした。

 

 

上に見える様に九州に領地を持つ大名、四国の大名、中国地方の大名がズラリと並んで居ます。
家康前田利家・伊達政宗・上杉景勝といった東国・北陸の大名は、後詰め(先陣に対する控えの軍隊)として、肥前名護屋に在陣することになったのでした。
 
この布陣では家康が出兵する可能性は殆ど無かったと言え、この様に家康らは軍陣編成上の順番が後方であったために、「壬辰倭乱」で朝鮮に渡海せずに済んだと言えるのです。
つまり家康が朝鮮出兵せずに済んだのは秀吉により東国江戸への強制的な「国替え」のおかげだと見る事が出来、あくまでも「偶然」の産物だと言うワケです。

 

 

今日在日コリアンで有る私なども戦国武将、特に信長・秀吉・家康と言う三大武将の中で朝鮮侵略思想を持たなかった(そして実行しなかった)家康を支持するワケですが、上記の史実を踏まえると朝鮮出兵に否定的だったと言う家康への「積極的支持」から朝鮮出兵を偶然免れた彼への「消極的支持」に転換する必要を感じはします。
 
ともあれ積極的に朝鮮侵略に加担しなかった家康を描いて居るので安心して見られる今年の大河ドラマ『どうする家康』、引き続きラストスパートまで楽しく見守りたいと思います。

 

<参考文献>
デイリー新潮 【どうする家康】朝鮮出兵は秀吉の罪だが、加藤清正は悪者でない理由
東洋経済「豊臣秀吉にいきなり激怒した」朝鮮出兵で徳川家康がキレた真相
プレジデント 暴走する秀吉を誰も止められなかった…名だたる武将が出兵する中、なぜ家康は朝鮮出兵を回避できたのか
 

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