<共和国映画 春香伝>

 

韓国朝鮮の歳時記
7.七夕たなばた

 
今日は七夕です。
七夕(たなばた)は7月7日です。
と言いたい所ですが、7月7日を祝うのは日本のみ、朝鮮や中国、ベトナムは陰暦で祝うので7月7日では有りません。
本年2024年の七夕は8月10日です。
まさにほぼ1カ月後が旧来の七夕です。
こんな事を言ってしまうと元も子も無いので(笑)、両方に合わせて話しを進めましょう。

 

 

ちなみに日本でも七夕を陰暦で祝う地域も一部存在します。
またお盆の様に、月遅れで「8月7日」に祝う風習も一部残ります。
仙台七夕まつりいわき七夕まつりなどです。
探すと結構有りました。
 
確かに七夕を陽暦で祝うと雨降りの問題が生じます。梅雨の真っ只中の為です。
夏の大三角形ベガアルタイルをそれぞれ織姫、牽牛(彦星)に見立て星に願いを掛けるロマンチックなイベントですが、折角の牽牛(彦星)と織姫の年に一度の再会が雨で台無しになります。

 

 

私の住む自治会でも毎年、裏山から葉っぱを沢山湛えた大きな竹の茎を3本切り出して公園に縛り、会員から集めた短冊を笹の葉にいっぱい飾り『七夕祭り』を催しますが、毎年問題は雨降りで、2/3の割合で雨天により室内に変更になるのがネックです。
 
七夕に限らず、東洋のお祭りは陰暦を基準にすれば意味が伝わりやすいです。
例えば端午の節句も陽暦と陰暦ではイメージが異なります。
端午の節句は災厄を避ける為にチマキや柏餅などを食しますが、陰暦の6月初をイメージすれば夏の始まりと食中毒防止と言う意味合いが良く理解出来るのでは?

 

 

朝鮮半島・中国他アジア諸国では今も陰暦を基準にお祭りを祝いますが、日本のみ陽暦が完全に定着した理由を以前、記事にしました。
記事はコチラ
いっその事陽暦・陰暦両方とも祝いますか?

 

 

ご存知の通り、七夕は五節句のひとつです。
五節句とは1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日を指しますが、1月を除き「奇数が重なる日」が選ばれている事がわかります。
これは中国に源を発するお祭りで、元々「節」とは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目を指しました。

 

 

東洋古来の思想で有る『陰陽五行説』において「奇数=陽(発展)・偶数=陰(不安定)」と捉える中で、奇数同士を足して偶数になる日は「陽から転じて陰になりやすい」として「凶」とみなされていた事から、邪気を祓うための行事を行った事が主な理由です。
陰陽五行説の記事はコチラ
日本に伝わり、宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり「節句」と言われるようになったそうです。
 
日本で七夕は、「しちせき」または「たなばた」と読みます。
七夕は、もともと日本にある棚機と中国から伝わった乞巧奠(きこうでん:技の上達を祈る儀式)が一緒になったと言われています。
棚機(たなおり)とは、乙女が着物を織って棚に供えたり、神様を迎えて秋の豊作を願ったり、人々のけがれを祓う行事の事です。
お盆の時期でもあるため、仏教が伝わると、お盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになったそうです。
こうした事から、七夕と書いて「たなばた」と読むようになったと言われています。


 

 

朝鮮半島にも三国時代に伝わりました。
七夕の由来は中国の『薺諧記』に初めて現れるとの事で、周から漢代にわたって我が国に流入したと言われます。
 

 

牽牛(彦星)と職女の物語を基に、別れて会えなくなった牽牛と職女が、年に一度カラスとカササギが作ってくれた烏鵲橋(オジャッキョ)の上で会う日です。
七夕前後に雨が降るのは牽牛と織姫がうれしくて流れる涙だと言います。

 

<韓国ナムォンのオジャッキョ>

 

烏鵲橋(オジャッキョ)と言えば我が国を代表する古典文学『春香伝チュニャンジョン』で主人公リ・モンリョンチュニャンが初めて出逢う場所として有名ですが、恋人たちが出逢う印象的な場面に於いても七夕が大きなインスピレーションを与えて居る事が伺えます。

 

<トクフンリ壁画>

 

七夕は高句麗古墳壁画にも描かれている事で有名です。
平安南道南浦市江西区域にある「徳興里トクフンリ古墳」壁画に牽牛と織女の説話を反映したと見られる壁画が存在するのです。
 
高麗時代には、コンミン恭愍王が王后とともに七夕の宮殿で牽牛星と職女星に祭祀し、百官たちに褒美を与えたと有ります。
朝鮮王朝期には、宮中で宴を施してソンギュングァン成均館の儒生たちに節日制の科挙を行ったと言う記録が有ります。

 

 

他に民間でも、七夕の風俗が活発に展開された姿は『東国歳時記』などの文献を通じて推測出来ます。
❶書堂(寺子屋)では学童たちに牽牛職女の詩題で詩を作らせました。
❷他にも服と本を太陽に乾かす(폭의曝衣と폭서曝書)の風習が有りました。
❸女性たちが職女に、織物を縫う技量を放つ乞巧風俗(技量の向上を願う儀式)も有りました。
乙女たちが壺(ツボ)の上に井華水を浮かべて、その上に細かい灰を平らに盛ったトレイを載せて、織物を縫う技量を良くしてくれと祝願する風習です。

 

 

食べ物は麦麺、カボチャジョン煎(お焼きの様な食べ物)などを食しました。
 
韓国では七夕の風習は時と共に廃れて行って居る模様ですが、中国やベトナムでは日本同様今も盛んで、バレンタインデーを凌駕する程の「恋人たちの日」となっているそうです。

 

 

この様に東洋各国で様々な風習が伝わりますが、牽牛と織姫の伝説に見られる様にとってもロマンチックな東洋ならではのお祭り、今後も大事に伝承して欲しいと思います。

 

 

<参考文献>
나무위키
한국민족문화대사전
七夕とは?(7月7日)〜子どもに伝えやすい行事の歴史や由来、過ごし方アイデア〜
Wikipedia

 

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