第11章 自分史
私の自分史33. 生い立ちとツインズの教育
 
 
 
 
私の生い立ちについては以前の記事で簡単に触れましたが、現在コロナでヒマを持て余している事も有り、付け加えます。
そもそも私は兄弟4人中ひとり病院で生まれました。
今は墨田区錦糸町の都立墨東病院に吸収された『都立築地産院』です。
中央区明石町に有ったので、私は出生地を「中央区銀座」と名乗って居ます。
ウチのミックスツインズも出生地は「東京都大田区」です。

 

 

4900gの巨体で生まれ、当時1〜2位だったそうです。
我が家のミックスツインズの2人分。
余りの大きさに分娩の際、仮死状態だったらしく、1週間保育器に入れられました。
想像して下さい、未熟児の中、ひとりオバケの子を(笑)。
いつも可愛いと人から誉められた事の無い兄弟の内、初めて可愛い子が生まれハンメ(お婆ちゃん)は「病院で産んだから医者に似たのか?병원에서 났으니 의사타겠나?」と喜んだそうですが、今なら危険な発言ですね😅。
 

 

そのハンメは私が退院して何日か後、私をダッコして急に崩れ、そのまま長い眠りに就き、老衰で亡くなったらしいので、私はお爺さんお婆ちゃんを知りません。
母方の祖父母は共和国に居たので。
初期の頃、「お前たちも早く帰国して来い」と矢のような催促が有ったらしいです。しばらくしてからは差し入れの催促に代わりましたが…
 
私はウチの中で珍しく外向型の性格で、保育園でも大ハッスル。
いつも先生と2人っきりでお遊戯の振り付けを完璧に覚え目立って居ました。
先生と見合って微笑む写真も残って居ます。

 

 

年中さんの頃は私だけが字を読み書き出来たので、みんなの紙粘土のケーキに私の名前を書いてあげたり、年長の時には先生が時間無い時に紙芝居リリーフバッターを頼まれ読みました。

授業参観で、ケーキの集団に私の名前がそこかしこに書いてあるのを見つけ、オモニが慄いて居たのはオマケです。

 
極め付けは卒園文集の製作時に、ある日先生に呼ばれ、余ったハガキほどの空間に何か描いて?とお願いされ、丁度目の前に有った金魚鉢と金魚を描きました。
中々自分でも上手に描けたと思いましたが、みんなに私が描いた事を報告したら、となりに私の名前が有るのに信じて貰えませんでした。
卒園文集、ずーっと大事に取って有ったのに、前回述べた様に幼い頃からの資料と教師時代からの写真と共に処分されました。あんまりです。(怒り)
 

 

毎年学芸会ではトライアングル、鈴などデカい図体なのに脇役しか貰えませんでしたが、卒園学芸会では「卒園号」の駅長さん(運転手兼)役を遣わされ、一生に一度の主人公を演じました(笑)。
 
ここで、余り良い事では無いのですが、保育園で「本当はこんな事を教えてはいけないのですが、オットくん(私の保育園時代のあだ名)はかなり知能指数(IQ)が高いです。」と言われたとか。
園でコチラも歴代1〜2位だったそうです。
 
それを聞いてアボジが大喜びし、私が家を出て遊ぶよりも絵を描くのが好きと知ると、「外に出て遊ばなくても良い」と私のカタを持ちました。
元々本を読むのが好きでしたが、教育をキチンと受けず自己流でエンジニアの道に踏み込んだアボジは私に読書を毎度「強要」しました。

上の3人はさて置き、私にだけ血まなこになって読書を要求しました。

 

とにかく「本読め❗️」「勉強しろ❗️」が私へのアボジの口グセでした。
就学前、一度は本を買いに行くとウソを付いてタイガーマスクのソフビ人形を買って来た私を怒って、家の前に夜が更けるまで立たせました。
勿論、ウソはいけませんが、私は大泣きして家の前で近所の人たちの見せ物になりました。
 

 

それ以降、オモチャは購入禁止です。
とは言え欲しいので、アボジにバレない小さく安いオモチャだけコッソリ買って他人と遊びました。
でも当時流行って居た『サイボーグ1号』など買って?と口にも出来ませんでした。
自分のお金で買う事も禁じられて居たのです。
当たり前と受け止めました。
 
こうなる事が目の見えているので、余り知能指数の検査結果を親に告げてはいけないのでしょう。

私が何処か未だに思考が幼稚なのは、何気に遊びオモチャに対する当時の飢えから来ているのかも知れません。

子どもたちに買ってあげるオモチャを見るだけでワクワクしますから(笑:あ、でも流石にひとりでコッソリ遊んだりしませんよ😅)

 

もっと教育的で裕福な家に育って居たら英才教育とまでは行かなくても、塾に通い、上の学校を目指して頑張って居たかも知れません。
しかし、貧民街の朝鮮人集住地区にその様な考えのウリハッキョ父兄は皆無です。
オモニは4人朝高まで出すことが出来るだろうか?と人知れず悩んで居たそうですが、「ウリハッキョに行かせるのは当たり前」と言う精神でした。
 
自分が朝鮮学校閉鎖令と身を以て闘い、朝鮮総連バリバリだったオモニに取って至極当然だったのでしょう。

 

 

余談で、高校入学して初めて知りましたが、在日コリアン世界でお金持ちの地域、第1、第4の賢く「赤い」子たちが大挙して「NHK学園」「上野高校」に通い、「大検」を受ける準備をして居たのに驚きました。
いわゆる『ダブルスクール』ですが、私の母校では聞いた事も有りません。
文化水準の違いって大きいです。
 
中2の時、実習に来られた朝大生が分会事務所で補習塾を開いてくれるとの事で、私も家が近いので参加しました。
終わり頃、ウチに夕食を食べに来た先生方が「ソンホくんは普通と違う。是非才能を伸ばして育てて下さい。」と何度もアボジオモニにおっしゃいました。
でも別にその後も変わりません。
アボジはいつもの「本を読め」「勉強しろ」ばかりで、何の方向性も与えてくれませんでした。
そもそも、生活に一杯で遊びに連れてってもらった事も無い家です。
外食?海?家族旅行?って何処の世界?
総連で組織する「パダ海モイム」に勝手に行ってたくらいです(笑)。
 

 

「1度くらいどっか連れてって?」と中1の時、直ぐ上のヌナと東京タワーに連れてって貰いましたが、2度とアボジとは行くもんかと思いました。
階段でタワーを登り、蝋人形館など面白そうなアトラクションも一切無視、お土産も買ってくれず、「どこも美味しいご飯なんて無いから」と、家に帰るまで昼食さえも食べさせてくれなかったのです。
ムードもヘッタクレも無い変人で、万事がそんな感じです。
幼くしてハルべ(お爺さん)が亡くなり、ハンメと意思疎通も出来ず育ち、今で言えば一種の性格障がいが有ったのかも知れません。
アボジとは話しが合わず、何を言っても通じない、そんな存在でした。
 
友人が「誕生日パーティー」を開くと聞き、いつも羨んで居ました。
 

 

教育に関心が有る様で具体的な関心が無いアボジは教育など何も関心無いオモニの言いなりでした。
しかし、一度は兄弟を日本学校に入れようと提案した事が有ったそうです。
ここで注意すべきは、日本学校も公立は荒れて居たと言う事実です。
校内暴力、校内イジメがエスカレートし、民団出身で我々と離れ日本学校に行った保育園時代の友人は多くが「ヤクザ」になって居ました。
 
その後も、私の家から徒歩3分の公立中学校は、私が教師時代も「行かせる事が冒険だ。」と言われる荒れた学校でした。
所が今では名門中学です。
近くに郵政公社の家族寮が出来、全般的にも生活レベルが上がったのです。
在日コリアンの比率が下がった事もひとつの要件でしょう。
 

 

私も親がもっと真剣に将来のことを考えてくれて居たら…と育児の反面教師になりました。
如何に教育的に育てるかが私の一番の使命で、「箱入りツインズ」に育ててしまいました。
そのせいで他のウリハッキョのトンムたちと住む世界が違ってしまったのは事実です。
 
朝6時半起床夜は8時消灯、消灯は1〜2年ずつ30分遅くなって行きます。
帰り、私が会えなくてもガマンガマンです(笑)。
他の家では10時〜11時でも平気で起きて居るとか。ウチでは想像出来ません。遅くまで起きて居て良いのはディズニーランドに行く日と大晦日のみです。
毎年、絶対に紅白を最後まで観るんだと気張って居ましたが、必ずリタイアします(笑)。
 
宿題は当然、小テスト勉強も欠かしません。
特に息子はライバルから「小テスト勉強する人間なんて大キライ!」とイヤミを言われながらも我慢しました。
 

 

土曜日の午後、私の休みの日などは「千葉市科学館」などのゆるい博物館巡りが遊びです。
美術館、科学館、「リスーピア」など、遊べる博物館で「ワークショップ」など必死で予約を済ませ遊ばせました。
博物館は年間パスポートが必須です。
今では有名な『船橋アンデルセン公園』なども当然年間パスポートを毎年作って、混雑を避けて行き来して居ました。
勿論、ディズニーランドも良く行きましたよ。
就学前は3カ月〜半年に1回、小学生の時代には年に1回、中学からはお金をあげて友達と行かせました。

 

キッザニアにも。

 

 

勉強は高校時代までリビングで2人対角でさせますが、試験期間は私もチェックします。
小学3年生の頃、こんな事が有りました。
日本語のテストで「慣用句」が難しいとの事。
私はひとつひとつ、例を挙げて教えました。
例えば「耳が大きい」なら身振り手振りで手を大きく開け、耳寄りな話しを聞く振りをします。
すると、ツインズも理解します。

 

 

それを繰り返し、全て理解させました。
「分かると簡単だった」とツインズも大喜び。
日本語のテスト結果を聞くとツインズ2人だけ10点満点で、他の子たちは皆7点だったそうです。
良く聞くと、慣用句が線引き問題で出ましたが、先生が練習ブックに載っている順番をひとつずつずらしたそうです。
我が家のツインズは理解して居ましたので、引っかからず正解を線引きしましたが、他の子たちは理解し切れず、ブックそのままのカタチで覚えた様子。
当然、みんな間違いです。
 
成績簿では皆、「最優等生」をもらいましたが、(小学校の6年間、ホントの最優等生はウチだけだな〜)とコッソリ思いました(失礼)。
ウリハッキョは情熱面など良い面も有りますが、教育水準にムラが有るのが欠点です。

 

 

他にも子ども向きの演劇公演を良く観に行きました。
NHK「おかあさんと一緒」の年2回のコンサートはプラチナチケットですが、毎回私が船橋駅近くのチケットセンター前、物騒な歩道上で夜の3時から朝の10時まで並び、キャンセル待ちをゲット、1歳の頃から2年生頃まで年に2回、渋谷のNHKホールとNHK広場でのお祭りに連れて行きました。
他にも様々なコンサートに連れて行きました。
 
とある教育雑誌の教育家の研究発表で「現場体験」の重要さを説いて居ました。
そこで「教育は親の収入では無く、現場体験をどれだけさせられるかが重要」との事。
実際、演劇公演は金額が張るので収入とも深い関連が有りますが。

 

 

夏休みは家で独自に「自由研究」を設定して、夏休みの家庭旅行とリンクさせました。
毎年のテーマに沿って「福井の恐竜博物館の恐竜遺跡掘り体験ツアー」などを絡めて、ツインズ2人に独自の自由研究テーマを設定させて、私がサポートしました。
 
オマケを言うなら、自由研究の華(ハナ)は最後の仕上げです。
「自由研究キット」に文章を挟む用紙とは別に画用紙が何枚かついているので、その仕上げに親は一切口出ししません。ポスターカラークレヨン色鉛筆などを使い、写真を貼ったり絵を描いたり、自分たちのオリジナルに任せます。
どうグチャグチャに作ろうが、自分の個性です。

 

 

最後の仕上げで思う存分遊ぶ事によって、子どもたちは自分の力で完成させたと言う「達成感」を得られます。
自分の自由研究なのです。親に強制されてする事では有りません。正直(チョットちんどん屋みたい…)と内心思っても顔と口に出してはいけません。
完成をオーバーに褒めてあげます。
これは後々読み返す、自分の貴重な思い出のアルバムになります。

 

 

でも結構センス良く制作し、中学の2年間、2人とも学校を代表して船橋市の自由研究展示コンクールに入選しました。
ちなみに中学1年生のテーマは当時世界遺産ホヤホヤの『富岡製糸場』関連、中学2年生のテーマはその年開通した北海道新幹線関連です。
日光と併せて実際に富岡製糸場を訪ね、北海道新幹線に乗って2度目の北海道旅行を兼ねました。
 
これを小学2年生から中学2年生まで我が家独自で施行しましたが、5年生の頃からウリハッキョでも自由研究が始まったので、「渡りに船」でした。夏休み宿題の2重課題が解消されますから。
毎年、5月くらいから私も準備に入ります。
 
小学6年生の夏休みは、共和国に2人を初めて2週間送りましたが、1人21万円✖️2で、その他諸々ですから、決して楽では有りませんが、丁度満期の定期預金で行かせました。
ハリキリ娘がどれだけ喜んだ事か。
家と親が大好きな息子が、ホントは好まない事は重々承知でしたが、クラスと相棒の勢いに呑まれ、イヤだとも言えず一緒に行く羽目になりました(笑)。
 

 

 

そして、帰って来て開口一番、「国中が洗脳されて居る」と生意気にのたまっておりましたっけ。
 
その年は、家族旅行は千葉の海に1泊のみ。
自由研究ゴールデンウィークに訪ねた幕張メッセはやぶさ2の打ち上げに絡んだ「大宇宙博」をテーマに共和国訪問以前に終了させました。
この様に我が家では、ミックスツインズを中心に我が家の世界が回って来たので、いつか2人が居なくなる現実を受け入れる日が来るとは思えないくらいです。

 

 

とにかく、ツインズのやりたい方向を事前に察知して、親がレールだけ引き、自分たちの夢と適性に沿って勉強も生活もさせて来ることになったのは、何の教育的な教えもレールも引いて貰えなかった私の「反面教師」が大いに関係して居ます。
とは言え、産んでくれて育ててくれたアボジオモニの恩は忘れません。
恐らく時代的な制約と、親類が近くに居ない特殊な環境が実家をその様にさせたのでしょう。

 

 

他にも経験を述べたいですが、自慢たらしい面も有り、これ位にします。
残念ながらミックスツインズの「知能指数(IQ)」はテスト問題を購入しましたが、小学1〜2年生の頃にしそびれてしまいました。
なんせ毎日が戦争で、日々学校の様に、親が先生の様に忙しく走り回ってた時代です。
キチンと条件を整えてテストさせる余裕など有りませんでした。
今になっては2人がなんでテストしてくれなかったの?と私を責めます。

 

 

多分、我が家のツインズの息子は100〜120以内でチョット人より上、娘は100±10くらいで平均的だろうと思います。
20年間付き合ってそう思います。
私も中途半端に教えず、教えるなら正確に私の数字を教えてくれたら良かったのに〜と思いますが、「無い物ねだり」でしょう。
分かった所で私の人生が変わったとは到底思えません。
 

最後に、オマケでひとつだけ言える事は、私はツインズが産まれてこの方、2人に『勉強しなさい』と言った事が有りません

やる予定を聞いて時間が大分経ったら「まだやらないの?」とチェックする事は有れど、「しなさい、やりなさい」と言う言葉は他の事に対して同様、使用しません。

(家内はしょっちゅうヒステリー半分で言いますが:笑)

その言葉だけは口が裂けても口にするまいと決めて来ました。

コレも私のアボジの『反面教師』のオカゲかも知れません♪

 

 

 

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