第11章 自分史
私の自分史12 大学入学と戦友の店「コリアンダイニング オンドルパン房」
丁度、自分史の大学入学部分に差し掛かったので、少し前にUPした記事を加筆更新します。
私の大学入学に関する自分史の前フリとしてご覧いただければ幸いです。
↓前回の記事はコチラ↓
まず、今日は私の大事な人と、彼の経営するお店を紹介させて頂きます♪
三鷹駅近くのコリアン料理店です。
店名は『オンドルパン(房)』です。
朝鮮古来伝統のオンドル部屋の様に、暖かくお客様をもてなしたいと言う意味が店名に込められていると見られます。
店主夫婦2人の人柄とあたたかい店の雰囲気がオーバーラップします。
店の紹介と言っても大して内情もメニューの売りも知らず、まずはお店とは無関係の、私と彼の友情ばなしから始めるしか術(すべ)が無さそうです。
ここに30年来の付き合いの古い友人が居ます。
友人と言うより『戦友』と言う言葉が似合う間柄です。
いいえ、今では進む道が違うので『旧戦友』と呼ぶべきでしょうか?
「親友」とか「マブダチ」とか、そう言う言葉は好きでは無いので、極力使用しませんが、一緒に戦った「戦友」と言う言葉は好きです。
この関係は時が経てど色褪せる事無く、死ぬまで続きます。
彼とは朝鮮大学校の同じ給費生급비생クッピセン 出身で、こんな不思議な縁も有る物だとつくづく実感します。
歳は私が一個上ですが、精神年齢は彼が3つ位上です(笑)。
私は精神年齢が幼いので。今でも30代から成長出来て居ません。
朝鮮大学校には本国・朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国)の制度に倣い、給費生制度が有ります。
それは一定の条件を満たした青年を無償で学ばせる制度です。
現役で給費生になる事も有れば、1年、2年、3年間朝鮮総連の職場で働き入学する者も居り、いわゆる現役生の指導役を兼ねて(監視役?)全寮制の大学で一緒に学ぶ制度です。
今では現役入学が通常でしょうが、我々の時代においては2〜3年が普遍的でした。
私の全面的な個人史では無いので、その内幕は前回の記事に譲るとして、これまたお互いに厄介な存在でした。
私は前回の記事に書いた様にスッタモンダの末に、土壇場で急きょ朝鮮大学校への給費生としての入学が決まり、総勢約100人からなる『大給費生軍団』の一員として(大忠臣蔵の様ですね)、ドタバタと入学しました。
半ば朝鮮総連のお荷物として入学した私は、当時異様に高いテンションとコンプレックスが同居した奇妙な状況で入学しました。
一方の彼は京都の「朝高委員長」、日本的に言えば生徒会会長経験者として、京都の朝鮮総連で働いたあと大学に派遣され入学しました。
言わば「エリート」です。
しかし、エリートとは言え、ウリハッキョ出身の普通のイケ好かないエリートとは違い、彼は人懐っこい性格で、頭も良く、何よりスピーチが上手で、同級生から一目も二目も置かれる存在でした。
初めて出会った時の印象を覚えて居ます。
朝高委員長だったと聞いたので、クールで堅い人を想像したのですが、「よろしくお願いします。」と言うソフトな挨拶を聞いて(只者ならぬ人物だ。) と実感しました。
我々は歴史・地理学部に配置されましたが、この学部は当時ウリハッキョでは有名な『問題学部』で、「バカの歴地リョクチ」として有名で、給費生の『鬼門』とも言える問題学部。
皆、出来れば避けたいと評判の学部でした。
そもそも、世界的には歴史を習う者など文学部のホンの一部で事足り、ハッキリ『無用の長物』です。
しかし、ウリハッキョには当時『金日成元帥革命歴史』と言う、何を置いても最優先の基本科目が存在し、学校の科目の先生が必要です。
また、さほど目的も特技もなけれど、取り敢えず大学生活をしたい学生の「受け皿」も必要です。
言わば教員養成とその他大勢の為に存在する学部だったと断言して良いでしょう。(現在では文学部に統合され文学・歴史学部:文歴と改称)
運動が得意で、勉強はさて置き8つの学部対抗戦でいつも優勝して居たので「体育学部」と揶揄されておりました。
一応「男気」を大事にし、義理と人情を重んじる学風は有り、4年間の人間関係で鍛えられた人となりは他のエリート学部で有る「政治経済」学部や「経営」学部を凌駕するモノが有り、自称『義理・人情のリョクチ歴・地』とも呼んで居ました。
しかしそれは現役生中心の事。
給費生クッピセンから人気が有る筈ございません。
皆、政治経済学部を希望し、「送られ」として苦い涙を呑んで配置されて来ました。
勿論、私も彼も配置されたい希望はサラサラ無く、私は好きで将来的に使える「外国語学部」で英語を勉強したかったです。
しかし、ただで行かせてもらう立場に選択権利は無く、「文学部」か「歴史・地理学部」のどちらかを選べとお達しが有り、ならば幼い頃から好きな歴史を選ぶか〜と「究極の選択」で選んだと言う訳です。
結果は火を見るより明らかで、苦しむ羽目に陥りました。特に私は性格上、現役生にイジメられ辛い思いと生活を4年間余儀なくされました。
今もこの記事を読む同級生が居るので、下手な事は書けませんが(笑)、変に高いテンション、タバコなどブルジョワ文化に侵され『有言不実行』に陥った為、軽んじられて権威を喪失しました。
ちなみに好奇心から私はチョチョン支部に居た頃タバコを覚え、辞められずに居ました。
キッパリと辞めたのは大学4年先の春で、それ以来34年間タバコは吸って居ません。
我が家も禁煙なので、築22年経った今でもクロスが綺麗です。
4年間の出来事を1日も欠かさず日記に記して居るので、何月何日にどの様な事件が起こり、どう言う目に遭遇したか克明に辿ることが出来ます。
給費生の生活、それは一言で『地獄』でした。
それ以上の言葉は見つかりません。
良く悪夢を見ました。
前に記事を書いた同級生も歴史・地理学部に配置され、夏休みに行方不明になったのです。
残念な事に5人入った仲間のうち、1人の給費生の退学を私は止められませんでした。
他の学部に入った同い年の給費生の退学も防げませんでした。
彼の方に至っては「何が何でも戻す」と言う意識も足りませんでした。
友情も無い冷酷なヤツです。
そう言えば、私もとある現役生に卒業に際して「お前は絶対辞めると思った。でも違った。良く耐えた。」とマウントを取る発言をされましたっけ?
そりゃ永遠に終わりが見えない我慢ならしません。
4年間耐えれば終わりが有るから耐えるのです(笑)。
ずっと恨みましたが、同級生が私の結婚式の3日前に、突如癌で亡くなると言う異常な状況下でも押して結婚式に来てくれた現役生のみ許します(笑)。
(造反者の名前は今でも覚えて居ます:笑)
私はネチっこいのです。
恩も恨みも生涯忘れません(笑)。
そんなこんなで、彼は頭が良い事も有り、人間臭い人柄だったので支え合って(と言うより一方的に支えられて)4年間過ごしました。
ひとつ年下ながら彼に4年間受けた恩義は忘れません。
いつも叱咤激励してくれ、時に先輩として立ててくれ、時に1歳上でも同じ友人として差別せず接してくれました。
4年間を振り返れば、絶えず彼と笑い、悩み、考えの些細な違いで論争もし、授業が終わった後に意見交換したり、いつも二人三脚で現実と闘って来ました。
まさに『戦友』と言う言葉がピッタリな程に。
彼と過ごす大学生活が楽しく、彼の存在無しに4年間決して耐える事が出来無かったでしょう。
いつも彼に申し訳無く思って居ました。
目の上のタンコブみたいな私などが居なければ、もっとやり易かっただろうに…と。
気持ちの大きい彼の事です。
「そうだったでしょう?」と聞いても「ウン」と頷く筈は有りません(笑)。
何故なら彼は日本人に生まれて居たら有名な政治家になって居たに違わない『超大物』人物だからです。
能ある鷹は爪を隠しません(笑)。
私の様な小物でも器の大きさは少し付き合えば分かるのです(笑)。
京都出身ながら、大学に配置されたおかげで、比較的近くで付き合って来られました。
今も昔も(私もですが)ブレずに我が道を真っ直ぐです。
それは全ての行動を成り行きでは無く本人の信条・信念に基づいて行って居る所以(ゆえん)でしょう。
恥ずかしながら彼の言い方・考え方を盗んで真似させてもらったおかげで、私も人間的に成長しました。
だのに、この歳になっても「親しい仲にも礼儀あり」の精神で、ひとつ席を空けて先輩として接してくれます。
私はもうこの歳なので、名前の呼び捨て合いで良いと思って居るのですが、今だに「ヒョンニム(兄さん)」と呼んでくれます。
照れ臭く水臭いので呼び捨てで呼んで欲しいといつも思って居るのですが…
本論に中々入れませんが、急ぎます。
大学卒業後、私は朝鮮高校教師、彼は大学院に残り学部教諭になりました。
私は大学教授にはなりたかったのですが、朝鮮大学校の歴史・地理学部の教諭などにはサラサラなりたく無かったのと、こんな「監獄」でもう2年も過ごすのが苦痛だったので、学部で評価されず大学院に選ばれなかった事は「全然OK」でした。
逆に彼の様な即戦力が大学に残るべきだし、似合ってると思いました。
しかし、意に添わぬ配置だったので、ある種同情もしました。
給費生には「職業選択の自由」も無かったのです。
私と異なりオールマイティ・オールラウンドな彼ですが、朝鮮総連を動かすのは総連中央と朝鮮大学校なので、大きな仕事をするには彼に取って最適だと思いましたが、予想通りでした。
実際、溢れる才能を駆使してピカピカに輝き、バリバリと仕事をこなして居ました。
しかし、事情により退職。
夫唱婦随でコリアン料理店を営む事になり、今に至ると言う訳です。
私からすると勿体ない存在ですが、彼の様に政治的な理由でオミットされたり、経済的理由などで泣く泣く退職せざるを得ない能力有る者達が朝鮮総連組織には如何に多い事か。
それでも彼は持ち前のポジティブさ、情熱を活かし、初めて経営する料理店の運営を円滑にすべく料理の勉強、店舗運営、商品の開発に精を出しその道のプロとして邁進し、あまつさえ地域のアボジ会活動、大学卒業生同窓会の仕事をこなすがてら、朝鮮大学に近い事から大学生の面倒を見るなど、様々なサポートにも携わり、スマートな「ウリ社会のアボジ」としての役割を果たして来ました。
店も彼の人柄を慕うお客さんたちで連日賑わって来ました。
アジュモニで有る奥さんも彼とは職場恋愛結婚。
とてもシッカリ者で、主人を支えつつ、ややもすれば家庭を忘れがちな「総連イルクン」的なマスターをカバーして店を切り盛りして居ます。
とても2人お似合いなのですが、こころ無しか双子の様に似た夫婦で、人間って似ている人に惹かれる法則って有るのでしょうか?(笑)
ちなみにウチも2人顔が似てると言われます(笑)。
店は「狂牛病騒ぎ」「コリアバッシング」など、数々の困難を乗り越え運営して来た優良店なれど、長引くコロナ禍でお客さんの消費行動がスッカリ変化して、先が読めない混沌とした時代に突入したそうです。
千葉に住む私も仕事が忙しく、多少遠いと言う事で何と無く遠ざかってしまい、いつも気に掛け、心配はしてたのですが、行動に移せず居ました。
店が三鷹と言う事で心理的に何となく遠く感じてたのですが(23区の東部出身で現在では千葉なので多摩地区は心理的に遠く感じる)、良く良く考えるとさほど遠く無い事が分かり、コロナ禍の中、人間死んでしまったら2度と会えない、今を大事にしなきゃと、丁度我が家のミックスツインズに手が掛からなくなって来た事も有り、仕事休みの日を利用して店に訪ねて行く事にしました。
❶店に行けば話しも出来るし、
❷売り上げ協力も出来るし一石二鳥です。
❸もっと良い事に私が店に行けば逃げられません(笑)。
❹来ないでくれと拒否も出来ません。
最近では1人で行く事も有れば、東京に住む現役生出身のトンムと都合を合わせ、3人で会う事も有ります。
余談ですが、現役生出身の彼も粋なヤツで、ハートの有るスポーツマンです。
長く高校サッカーで業績を積み上げましたが、タイミング悪く現在休止して居ます。
こればかりはタイミングなので、良いご縁が有ればと祈って居ます。
と待って居たら最近、コーチ職を引き受けたと報告が有ったので要期待です。
これを足掛かりにもっともっと伸びてくれたら。
ちなみに歴史・地理学部の中でも、私も属して居た同じ「歴史学科」には良い人材が多く、私も好きだったのですが、彼もその1人でした。
私の好きな4人衆が居るのですが、その筆頭と言う訳です。
今ではいつの間にか3人で会う機会が増え『3羽ガラス』になって居ます。
この写真をUPした所、ポイント突くのが上手い同級生に『カバル(仮髪=カツラ)3兄弟』と命名を受けました。
ウケます。読んでゲラゲラ笑いました。座布団1枚カミソリ付きで投げましょうか?(笑)
今後「ダンゴ3兄弟」の向こうを張ってK-POPアイドルとしてCDでも出そうと思います。
戻りますが、元々新大久保に有る様な「オシャレな韓国料理店」「コリアンダイニング」として店を商って居た事も有り、一品料理が逸品です。
『イッピンりょうりがイッピン』って良い洒落れでは有りませんか?
気に入りました。
出す料理はどれも好きですが、その中でも『冷麺』が1番好きです。
冷麺通で、何十店舗も食べ歩いて来た私ですが、贔屓目無しにベタ褒め出来ます。
白と黒の2品が有るので是非食べ比べを。
最近では食べませんが、韓国式ブルコギなどの肉料理もイケてます。
今日も3人の予定が合わなかったので、1人で行く事にしました。
おしゃべりで、キッチンにまで押し掛けしゃべる私を、忙しい中、夫婦してイヤがる素振りも無く接してくれます。
飲食店は人柄商売だと実感します。
味も人情も天下一品の店なので、コリアン社会、特にウリハッキョ(朝鮮学校)出身者、朝鮮総連組織出身者と話しをしてみたい方々にもお薦めです。
上にも書いた様に屈託の無い夫婦なので、彼らを目当てに訪ねて行くお客さんも大勢居ますが、一見(イチゲン)さんでもカベを作らず気さくに接してくれ、尚且つコリア問題など話題も豊富なので、政治・文化論議などをしに行くでも面白いと思います。
あ、でもあくまで飲食店なので必ず食事とお酒は注文して下さいね♪(笑)
行けば店と店主のファンになる事間違い無しです。
私の取って置きの店なので、宝物を紹介してしまう勿体なさは有りますが、同じくファン仲間を増やすべく、ここに店と店主を紹介させて頂きました。
いつもの様に自分の事を語ってばかりですが、自己チューな性質(タチ)なので、平(ひら)にご容赦を。
お近くをお通りの方、是非お足を。
お店で偶然にお会い出来ると良いです。
そうだ!
近々、一度お店で私の主幹するFacebookのグループ「韓国朝鮮の歴史を知る会」のオフ会でも開催しますか?(笑)
店舗情報
コリアダイニング オンドル房
〒181-0013
東京都三鷹市下連雀3丁目20−17 -B1
0422-72-3789
アクセス JR中央線 三鷹駅 南口徒歩6分
休業日:月曜日
個人店なので急な休業日など有ります。
お出掛けの際は休業日、営業時間などお問合せの上、ご予約なさりご来店される事をオススメします。
PS:散々断ったにも、本日もお土産を頂いちゃいました。
ちょっとした韓国食材なども置いているので、ついでにどうぞ。
次回より朝鮮大学校篇に突入させて頂きます。
↓次回の記事はコチラ↓