第7章 韓国ドラマ映画 
158. 袖先赤いクットン❷
 
 
 
正祖の実話に基づき描かれている骨太の史劇『袖先赤いクットン』(邦題『赤い袖先』)ですが、我が家でマイブームが吹き荒れて居ます。
現在12話まで視聴を終えましたが、私が推す往年の名作チャンヒョク主演の『チュノ推奴』、そして最近の『緑豆の花』に匹敵する程の名作となる可能性大です(!)。
 

 

余談ですが、韓国のネット上では『イカゲーム』などの「Kドラマ」に続き、海外でも「K史劇」ブームが吹き始めて居るとの報道が有りました。
 Netflixの『ヨンモ恋慕』とこのドラマ『袖先赤いクットン』が代表例だと言います。
 
『チャングム』などのメルヘン史劇とは異なりシリアスで、決して勧善懲悪な造りでは無く、酸いも甘いも存在する立体感有る史劇の作りが外国人に受けているとか。
確かに物語が切なく深みが有ります。
そして、ドラマ全体にどこと無い品格が有ります。

 

 

ちなみに、私が視聴しながら記事を書いたドラマレビューの回数ランキングを述べると
1位『チュノ推奴』と『緑豆ノクトゥの花』の4回
2位『黎明の瞳』『ヨンモ恋慕』『風の国』『紳士とお嬢さん』(現在進行中)の3回です。
 
この内、『風の国』以外(笑)はどれも名作で、ドラマを視聴しながらどうしてもレビュー記事を書きたくて筆を取った側面が有ります。
しかし、今回の『袖先赤いクットン』は逆で、ドラマの世界に夢中になり過ぎて何を書いたら良いか言葉が見当たらない面が有ります(当然、私が忙しくて記事を書く余裕が無い事も要因のひとつとして存在しますが:笑)。

 

 

この様に「名作な故に言葉が見つからない」と言う罪作りなドラマがまさに『赤い袖先クットン』です。
家内と話した笑い話しでは有りませんが、NHKのBSプレミアムで是非放送してもらうべく嘆願書を提出しようと考えて居ます(笑)。
この重厚感はNHKにこそピッタリです。
『ファラン花郎』『7日の王妃』を放送するならよっぽどこのドラマを放送してくれ!と声高に叫びたいです。
それ程の名作間違い無し。

 

 

このドラマが名作たる所以(ゆえん)を箇条書きで記しましょう。
❶モノトーン風の作り
❷過剰なコメディーを排した演出
❸時代考証の確かさ
❹主演男女の「美男美女度の低さ」
❺その他俳優陣の「美男美女度の低さ」
❻主演ジュノの演技力
 
これらをひとつひとつ述べるとどれだけ文章を費やせば良いか分かりません(笑)。
 

 

誤解無き様に付け加えますが、❹は過度に美男美女過ぎないと言う意味です(笑)。
家内が主演女優のルックスがイマイチだと述べて居ましたが、私は全然気にならず、絶世の美女で無い事に歴史のリアリティを感じます。
2人のルックスのバランスも良く、ジュノがイケメン過ぎない所が良いです(笑)。
例えばこの役をパク・ポゴムが演じて居たらイケメン過ぎて白けたでしょう(笑)。

 

 

今回は主人公トグィム(ドギム덕임)コト「ウィビン宜嬪ソンシ成氏」について語ろうと思います。
「ウィビン宜嬪ソンシ成氏」は朝鮮の第22代王正祖の後宮で名前は『ソン成トグィム徳任』です。

 

 

ドラマ『イ・サン』では当時の史料の制約から本名が分からず「ソン・ソンヨン」としました。
王室図画署トファソの出身と描かれた女性です。
実際には図画よりも筆が達者だったと言います。

 

 

彼女は実際にチョンジュ正祖が溺愛した女性です。
正祖チョンジョはホン・グクヨン洪国栄の妹ウォンビンホン洪氏を最初の後宮に迎えましたが、彼女は子供を産めずに死亡し、ヒョイ孝懿王后との間にも子供がいなくて子孫が貴重だった状況でした。

 

 

正祖チョンジョの愛情は実を結び、彼女を後宮に迎えましたが、ソントグィムは期待に応え息子(ムンヒョ文孝セジャ世子)を産み、正1品の嬪に上がる事になります。
続いて2年後には王女を産んで更なる喜びを与えてくれました。
王孫が貴重な王家で世子を生んで王家を繁栄させたという理由で、宮中上下多くの人の愛情をも受けました。

 

 

しかし幸せな時間は長く続かず、ムンヒョ文孝セジャは僅か5歳ではしかで死亡、その4ヶ月後にウィビン宜嬪ソンシ成氏(トグィム)まで妊娠した状態で突然この世を去りました。
 
ウィビン宜嬪ソンシ成氏(トグィム)が突然死亡すると、正祖は余の心は貴女から離れるのが難しくてとても苦しい。

早く会いたくても忽然と立ち去ってしまった。

余は貴女の死について半信半疑だ。

心配する人の心は腐ったのと同じだ。
…」
などと嘆いたと言いますから、彼女にどれだけ信任が厚かったかが分かります。

 

 

彼女は約10歳の頃、幼くして宮女として宮中に入り正祖の母親ヘギョングン恵慶宮ホンシ洪氏が寵愛して側に置いたと言います。
チョンジョ正祖とはそれ故、この頃から縁があったと見られます。
 
21歳の時、古典小説『クァクチャンヤンムンロク郭章楊文録』の国文(ハングル)の筆写に参加して居ます。
正祖の記録によると、態度が端正で聡明で有るだけで無く、才能・技術・芸術まで備えた女性だったと言われます。

 

 

正祖が下した「承恩(後宮に任命する申し出)」を15年間で2度断るなど、権力欲とは程遠い人物だったと言います。
 
つまり、ドラマで幾度か正祖の愛を拒絶しますが、これはフィクションでは無く史実だと言う事です。
勿論、理由についてはフィクションで有る事に違いは有りません。
ドラマの設定は「現代」と言う時代性を勘案し、自立した女性を描こうとする意図で設定された物と思われます。

 

 

前述の通り、1782年(正祖6)9月に昌徳宮でムンヒョセジャ文孝世子を生みました。
チョンジョ正祖はたいそう喜び、世子のために昌徳宮に中熙堂を建立して居ます。
しかし、彼女は心が弱く、身体も強くは有りませんでした。
ムンヒョセジャ文孝世子が死亡するとすぐに重病にかかり、正祖が自ら薬を調剤して看病しましたが原因不明の病気は悪化し、結局1786年(正祖10)9月に昌徳宮中熙堂で妊娠9ヶ月の体で死亡したそうです。

 

 

正確な死因は分かりませんが、『朝鮮王朝実録』で正祖が「病気がおかしくて結局この期に至ってしまった」と語ったのを見ると、当時の医学では説明出来ない病気を患っていたと思われます。
死ぬ前最後に、正祖に「早く後世(後継ぎ)を継がせなければなりません」と言ったと言う逸話が有ります。
一説によると毒殺の疑いも有るようですが、検証の方法は有りません。
 
王妃で有るヒョイ孝懿王后は彼女が亡くなった時、実の姉妹が死んだ様に号泣したと言います。
2人はお互い同い年でもあり、入宮時代も同じで、親交が深かったと言います。
彼女が後宮入りを断ったのも未だ子息を得て居ないヒョイ孝懿王后への配慮だったと言われて居ます。

 

 

この様な史実を忠実に描いたと言う面で、ドラマは高い評価を得て居ます。
 
余談ですが、悪の組織「広寒宮クァンハングン」は原作にも無い、ドラマのフィクションだそうです。
壮大なる「嘘っぽい」設定で私も思わず笑いましたが、これはドラマ性を持たせる為に加えたフィクションと思われ、別段この設定については「歴史歪曲」の論議は起こらなかったそうです。
 

 

ドラマに創作は付き物ですから、設定如何によっては「歪曲」論議に挙がる事も有りますが、適切に加える分には問題無い事の良い事例でしょう。
 
この設定のおかげで、主人公トグィムの立ち位置と役割を際立たさせる効果を生みました。
 
後残り7話が残って居ますが、書きたい事、述べたい事の半分も述べられて居ないので(笑)、折を見て再度出没したいと思います。
では。

 

レビュー記事❶はコチラ

 

レビュー記事❸はコチラ

 

◆ドラマ赤い袖先レビュー記事まとめはコチラ

 

 

<参考文献>
한국민족문화대사전
나무위키 

알고보니 양반 출신···정조 두번  성덕임 승은 거부했을까  중앙일보 

'옷소매 붉은 끝동실제 정조가 세상을 떠난 덕임(의빈성씨) 남겼던 편지는?  아주경제


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