<ドラマ トンイ>
 
第6章 朝鮮の人物-38 近代22
金萬重キムマンジュンと九雲夢クウンモン、謝氏南征記サシナムジョンギ
 
 
この記事は朝鮮の人物記事終了のちに書き漏れた人物を描く為に追加した記事ですが、今回リライトするに当たり順番を変更し、当該時期に挿入させて頂くことにしました。
前後が合わない面もあろうかと思いますがご了承下さい。
 
この所,仕事も忙しく身体の具合も良くない事も有って、ブログに入れ込めずに居ました。
ネタ(と言うより私の興味ある題材)切れが甚だしく、ブログへのパッションが萎んでしまって居ました。
 
しかし、前回の金サッカッ감삿갓の記事を書いてまたやる気が起こって来ました。
 
そうです。
私の好きな文学です(笑)。
文学とそれに纏わる人物について書きたくなって来たのです。
 
 
と言う事で、しばし文学繋がりの人士で攻めさせて頂きますのでよろしくお願いします。
 
文学の歴史についてはコチラを参照

 

今回はドラマ「トンイ」の世界と関連が有ります。
金萬重キムマンジュンです。
彼は粛宗期に活躍した文臣で、有名な小説2篇『謝氏南征記』と 『九雲夢』 を遺して居ます。
 

 

KBSスペシャルで、『九雲夢』がヨーロッパで人気を博し、今や『春香伝』に次ぎ世界的に知られて居る朝鮮文学だと言うドキュメンタリー番組が有りました。
 
私も「九雲夢」は読みましたが、確かに面白い小説だった事を覚えて居ます。
中国で『紅楼夢』を始めとする「夢」シリーズの小説が流行した流れを汲んで書かれた小説だと知っていました。
 
<九雲夢と謝氏南征記>
 
まずは彼の生涯を見ましょう。
 
キムマンジュン金萬重は1637年(仁祖15)有名な大物儒学者キムチャンセン金長生の孫として生まれました。
 
キムイクギョム金益謙丙子胡乱の翌年、江華島が清に陥落した事を恥じて江華島で自害した為に、父の顔も見られずに育ちました。
 
 
キムマンジュン金萬重は母親から厳しい教育を受けながら育ちました。
 
母ユン尹氏は、家計が苦しい中でも、子供の教育に心血を注ぎました。
ある日は息子キムマンジュンが家計を気にして本を買わなかったので、怒って彼にフェチョリ(足に鞭)を打ち付けた程でした。
 
<キムマンジュンの碑>
 
自分がセチェク貰冊房から直接書物を借りて、教本を作成して教えたと言います。
 
母親のこの様な愛情により育った彼の、母親への孝行心は甚大で、彼の思想と行動に大きな影響を与えたと言います。
 
この様な母親の真心と本人の努力で、彼は弱冠14歳で初試に合格、1665年には殿試に合格して、本格的に官職の道に上がる事になりました。
 
<九雲夢のパロディー 星から来たあなた>
 
彼の兄キムマンギ金萬基は粛宗の最初の王妃の父親だったので、絶大な権力を手にして居ました。
党派的に西人に属して居たキムマンギ金萬基キムマンジュン金萬重兄弟は宋時烈の熱烈な信奉者で、南人派の追い出しにも大きな役割をし、粛宗「換局政治」にも大きな役割を果たしました。
 
彼は1671年アメンオサ潜行御史になって京畿道、忠清道、全羅道、慶尚道を視察しました。
 
<流配地の草家>
 
出世の道を着々と歩み、1672年には同副承旨となりましたが、孝宗の王妃の死によって浮上した、喪服を何時まで着用するかを争った第2次「礼訟論争」で西人派が敗北すると、彼も官位を剥奪され5年間破職される事になりました。
 
1679年復職して礼曹参議、大司憲などを歴任しましたが、1686年チャンヒビン張嬉賓を非難する上訴を上げた事で粛宗の怒りを買い、流刑を受け宣川に流配されました。
 
<星から来たあなたより>
 
1687年流配が解かれ解放されましたが、「換局政治」が起き、西人派勢力が大挙追い出されると、キムマンジュンも再び弾劾を受け、慶尚南道南海に流刑されました。
 
母ユン氏は息子を心配しながら死亡し、キムマンジュンは母の葬儀にも出席出来ないまま流刑地である南海で1692年(粛宗18)に逝去しました。
 
次に彼の代表作「九雲夢」「謝氏南征記」を見ましょう。
 
 
1.クウンモン九雲夢
 
この小説は彼が宣川に流配されて居る間、彼の母親を慰労する為に書かれたと言われて居ます。
 
簡単なあらすじを。
詳しくは改めてワンポイントコラムで扱います。
 
<九雲夢の絵巻>
 
舞台は中国唐の時代です。
 
ある所にソンジンという僧侶がおりましたが、六観大使の元で仏道を修行していた彼は、洞庭湖の竜王にお使いに行った折、八仙女と知り合いねんごろになってしまいます。
 
 
これを知った六観大使は、ソンジン八仙女を地上に落とし、ソンジンはヤンソユ楊少遊と言う人間に生まれ変わりました。
 
生まれ変わったヤンソユは、15歳で科挙に合格して、丞相まで上がり栄華を味わう様になります。
彼は八人の夫人(八仙女)を得て、よく食べ、よく遊び、子まで生んで、地位や富、そして名誉を手に入れ、誰うらやむ事の無い生活を営みます。
 
 
所が、そんな豊かな生活に飽きて来て、どうせ死ぬ時は全てを失うのであろうと言う考えが思い浮かんだヤンソユは、永遠の命を得るために、神仙になるべく観音菩薩を訪ね、文殊菩薩になる事を願いました。
永遠の命を得る為に全ての世俗の事と訣別する心構えをした彼の前に1人のお坊さんが現れますが、さて…と言う風にストーリーが進みます。
 
 
この小説はその後、朝鮮と中国で巻き起こる
『夢』小説ブームの走りになったと言われて居ます。
 
<謝氏南征記>
 
2. サシナムジョンギ謝氏南征記
 
この小説は粛宗仁顕王后を追い出し、チャンフィビン張嬉賓を王妃の座に据えた事に抗議し、悔い改めさせる為に書いたと言われ、事実、粛宗はこの小説を読んで主人公に激怒したと言います。
 
あらすじは次の通りです。
 
中国は明の時代です。
 
主人公リュヨンス柳延寿は15歳の時にサジョンオク謝貞玉と結婚しましたが、25歳になっても2人の間に子供が出来ません。
2人はキョチェラン喬彩鸞という女性を妾に迎え入れました。
 
 
妾に入って来たキョチェランは、男児を出産すると自分の地位を守る為に、彼に妻の悪口を伝えるなど、彼女を迫害し始め、遂には本妻の座を狙い、姦夫ドンチョン董淸とグルになって彼女を陥れ、浅はかなユヨンスサジョンオクを追い出し、キョチェランを本妻に迎えます。
 
サジョンオクキョチェランの罠に掛かり妻の座を追われ、南に行き放浪します。
 
<トンイより粛宗と2人>
 
キョチェランはこれに懲りず、しまいにはユヨンスも邪魔になり、姦夫と一緒に彼を追い落とし、彼は流配の憂き目に会いました。
 
南国でサジョンオクと再会したユヨンスは、キョチェランの姦略に気付き、サジョンオクに赦しを乞い悔い改めました。
 
朝廷でのユヨンスの罪は解け、彼らは元の家に戻りました。
キョチェランの罪は暴かれ、姦夫と共に処刑され、その後、2人は一緒に仲良く暮らす事になったと言うお話しです。
 
<トンイのインヒョン王后>
 
何処を取って見ても粛宗インヒョン仁顕王后チャンフィビン張嬉嬪を当てこすったとしか見えないこの小説は、インヒョン王后擁護の世論形成に大きな役割を果たし、粛宗がインヒョン仁顕王后を復位させるのに大きな影響を与えました。
 
ちなみに、ドラマ「トンイ」の作中にもこの小説の話しが登場します。
 
 
特記すべきは、漢文を崇拝し、ハングルを蔑めて居たこの時代に於いて、ウリクルで小説を書いた事です。
正に国文学と呼べる彼の業績は、小説の面白さと共に、我が国の文学史に燦然と輝いて居ます。
 
彼の人生の次に朝鮮王朝3大聖君の1人英祖ヨンジョが待って居ます。
次回は彼について。
 

 

<参考文献>
한국민족문화대백과사전
나무위키 
위키백과 
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