第4章 韓国朝鮮の文化-16
朝鮮の文学❸近現代の文学
前回まで2回に渡り、我が国の文学を俯瞰しました。
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今回は最終回として近現代文学を見たいと思います。
7.近代文学
1894年の甲午改革を機に朝鮮では、あらゆる面で西洋の先進文化を取り入れようとする近代的な運動が大きく起こりました。
文学では「新文学」運動が起こります。
この運動は開花と西欧化を意味する面が強かったと言えますが、国家や民族を意識する事に繋がり、民族の自主独立を求める運動に繋がって居ました。
我が国の近代文学はこの様に、民族の独立・繁栄を成し遂げる為、外勢と腐敗無能な支配層への限り無い「批判と抵抗」と言う政治経済との密接な関連を見る事が出来ます。
開花期の文学は、翻訳・唱歌・シンソソル新小説の3つの形式に集約する事が出来ます。
翻訳に於いては、聖書と賛美歌の翻訳が盛んに行われました。
散文では日本の「金色夜叉」の翻案小説で有るチョジュンファン趙重桓の「チャンハンモン長恨夢」 、リ・サンヒョプ李相協の「海王星」などが出てきました。
これは朝鮮の近代文学の発生において西欧文学の影響を具体的に物語ります。
日本同様、1890年代後半に独立思想を鼓吹する内容の『唱歌』が盛んに作られ、「独立新聞」の発刊と共に広く普及されますが、リ・ヨンウなどの「愛国歌」、リ・ジュンウォンの「トンシムガ同心歌」など独立・開花思想の普及に大いに寄与しました。
特に「愛国歌」はこれまで発掘された数だけで200種を超え、未だ発掘され続けて居ると言いますから、その影響力たるや特筆に値いすると言えます。
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唱歌はその後、7・5調、8・5調などの歌詞形で発展し、崔南善の「海から少年に」などの新体詩を生みました。
シンソソル新小説の初期の代表作に数えられるのが、リインジク李仁稙の「ヒョルエル血の淚」で、1906年に「マンセボ萬歲報」に発表され、続いて同じ作家の「クィエソン鬼の声」(1907)、リヘジョ李海朝の「ピンサンソル上雪」(1908)「自由の鐘」(1910)、チェチャンシク崔瓚植の「秋月の色」(1912)などが登場しました。
これらの作品のテーマは主に独立、近代的民主思想、新教育思想、既成の因習の批判、迷信打破などの近代的内容を込めましたが勧善懲悪、人物の定型性、人為的な終末などの要素は、古代小説と大差が有りませんでした。
今に続く、韓流ドラマ映画の『新派』的色彩が文学に於いて、この時期から始まったと言えるでしょう。
続いて現れたリグァンス李光洙は、近代小説の始まりとする長編小説「無情」、「開拓者」などを発表しました。
これらの作品は、開花期の小説の延長線でしたが、日常語を使用した散文文章と作品の構造の確立、長編小説の展望など、その後の可能性を見せて居ます。
また、後のプロレタリア文学作家兼歴史学者、社会主義独立運動家の大家で有るシンチェホ申采浩も
「龍と龍の大激戦」などの一連の作品を上梓して居ます。
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8.現代文学の始まり
⑴現代文学の登場
朝鮮が日本に合併された後の1920年代に入り、朝鮮の文学運動は新たな局面を迎えました。
文学の近代化には民族的な独立国家という前提が必須ですが、我が国の文学の場合、1910年の日韓合併により近代化の環境としてはいびつな形で展開するしか有りませんでした。
しかし、その様な中でも新たな文学運動は展開され、19世紀からの世界的な大きなうねりで有る、浪漫主義・自然主義・象徴主義などが入り、文芸思潮を形成しました。
このような思潮を基に「テソ文芸新報」の様な文芸誌が発刊、キムオク金億・ファンソクウ黃錫禹などが自由詩を発表しました。
文芸同人誌「創造」では、日本のロマン派の詩の翻訳とチュヨハン朱耀翰の「田園謳歌」「都市痛罵」などロマン派主義的な詩が多く創作されました。
続いて同人誌「薔薇の村」(1920)、
キムオク・ナムグンピョク南宮璧らが寄稿した同人誌「廃墟」(1920)、
リサンファ李相和・パク・ヨンヒ朴英熙・ラドヒャン羅稻香などが同人であった「ペクチョ白鳥」(1922)、
リャンジュドン梁柱東・リチャンヒ李章熙らが同人で有った同人誌「金星」(1924)などが発行されました。
これら同人誌の殆どの詩は、非現実的なロマンチズムを追求しましたが、以前人物篇で紹介したキムソウォル金素月の民謡的情恨の詩、ハンリョンウン韓龍雲の詩を付け加える事が出来ます。
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リ・グァンスの啓蒙主義に反旗を翻して起こった金東仁をはじめ、田栄沢・玄鎮健・廉想渉・羅稲香などの批判的写実主義作家たちは、1920年代初期を代表する作家です。
彼らは文学の啓蒙性を拒否して、近代的な文学精神を植え付け、更に冷徹なリアリズムを見せてくれた作家という点で高く評価されます。
20年代に現れた文学運動の大きなうねりは、所謂(いわゆる)プロレタリア文学です。
この文学は、20年初めから流入した社会主義思想の風潮を背景にして起こった物です。
彼らは下層の人物を主人公にして、極貧的貧困を描き、結末は地主など上流階級へのの反抗を示しました。
その代表的な作家としてはチェソへ崔曙海と、続く1925年に結成された文学団体『カップ(KAPF:朝鮮プロレタリア芸術家同盟)』の作家達を挙げられます。
『カップ』は結成されたるや、すぐさま朝鮮文壇の覇権を握りました。
このプロレタリア文学の特徴は、マルクス的イデオロギーの導入と階級革命という政治性を、最大限文学に示した事を挙げられます。
代表的な文人はパクヨンフィ・ハンソルヤ韓雪夜・キムギジン・チェソへ崔曙海・リムファ林和・リギヨン李箕永・キムナムチョン金南天などです。
また、1927年 『現代評論』が創刊され、ホンミョンフィ洪命憙、リグァンヨン李冠鎔、リスンテク李順鐸、ペクナムウン白南雲などが活躍しました。
特に、ホンミョンフィ洪命憙は我が国に於ける歴史小説の始まりとして燦然と輝く「リムコクチョン林巨正」を1928年から13年に掛け連載し、朝鮮国内に林巨正リムコッチョン旋風を巻き起こしました。
今でもこの小説は『生きている最高のウリマル(朝鮮語)辞典』と呼ばれて居ます。
↓洪命憙と林巨正についてはコチラを参照↓
この様なプロレタリア文学は30年代にも続き、我が国文学の主要な潮流となりまました。
しかし、日本の中国侵略や太平洋戦争準備に伴う社会主義運動の弾圧を伴った数々の弾圧により、30年代後半より、次第に低調期に陥る事となります。
<映画 モダンボーイ>
⑵30年代の文学
1930年代の朝鮮の文学は、20年代後半に盛んだったプロレタリア文学の発展とその傾向への反発、ファシズムの台頭と日中戦争勃発の不安意識が高まって進歩と退歩の葛藤など、大きな転換点を迎えることになりました。
その特徴をいくつかに分ける事が出来ますが、
❶ひとつはプロレタリア文学作家たちの継続的な活動で、1935年『カップ』の解体で潜伏期に入るまで、朝鮮文壇をリードしました。
❷ふたつ目は政治性を離れた抒情的な傾向が出た点で、金永郎、リ・テジュン李泰俊、リヒョソク李孝石の作品が同様の傾向で、民族主義的な哀切さが込められて居ました。
❸みっつ目は1933年を前後してのモダニストの一派の登場です。
これは文学運動に西洋のモダニズムを強調した物で、キムギリム金起林、キムグァンギュン金光均・チャンマンヨン張万栄などが居ました。
❹1930年代後半は、日本の大陸侵略の真っ最中だったので、朝鮮文学の主な傾向は、現実を逃避して自然に憧れを抱く近い傾向も目立ち、舞台を過去に置き換えた歴史小説も大挙登場しました。
キム・ドンミョン金東鳴・キムサンヨン金尙鎔の田園詩、リムヨン李無影の農民文学、リ・グァンスの「端宗哀史」、金東仁の「雲峴宮の春 」、玄鎮健の「ムヨンタプ無影塔」、先のプロレタリア文学作家のホンミョンフィ洪命憙の「林巨正」など、歴史小説も多く出版されます。
❺世相小説も登場し、蔡萬植の「濁流」、パクテウォン朴泰遠の「川辺の風景」、印象派の作家ケヨンホン桂鎔默・キム・ユジョン金裕貞なども居ます。
❻この時期のもう一つの顕著な現象は、有能な新人の登場で、徐廷柱、金東里・パク・ヨンジュン朴栄濬・チョンビソク鄭飛石・チェインウク崔仁旭など朝鮮の土着的・風土的な題材を形象化し、高い芸術性を示しました。
<映画マルモイより>
⑶40年代の文学
1940年代、戦争末期になり朝鮮文学は暗黒時代に直面しましたが、この時2つの文学雑誌、リテジュン李泰俊の主催する「文章」(1939)と、評論家チェジェソ崔載瑞が主催する「人文評論」(1939)が創刊、1941年に日帝により停刊されるまで、文学を守る橋頭堡の役割をしました。
パク・トゥジン朴斗鎭・パクモクウォル朴木月・チョ・ジフン趙芝薰などの詩人、小説においてチェテウン崔泰應・リムオクイン林玉仁などが登場し、古典研究を行い、現在でも韓国文壇で行われる文学推薦制を確立するなど、開放後の文学発展の素地を作りました。
以上、駆け足で我が国の文学史を見ました。
本来で有れば、解放後の文学も俯瞰したいですが、分断されており、評価もマチマチな事から、以降の課題とさせて頂き、南北朝鮮の断片的な文学紹介をさせて頂きます。
<参考文献>
한국문학사
한국민족문화대사전
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