<1991年 世界卓球選手権女子優勝>
 
第4章 韓国朝鮮の文化-13
南北の国歌「愛国歌」
 
 
 
1年延期の上、2021年7月24日から始まった東京オリンピックとパラリンピックが9月5日、いよいよ閉幕しました。
コロナ禍の中、賛否両論に揺れた大会でしたが、感動を有難うと言いたいです。
共和国が不参加で残念でしたが、2023年冬季北京オリパラは制裁により参加が叶わず。
次回の2024年パリオリンピックに期待したいと思います。
 
 
オリパラに限らず、競技大会の花は何と言っても金メダルと国歌演奏です。
 
と言う事で、中々書けず、伸び伸びになって居た「国歌」について今回は述べたいと思います。
 
因みに、悩みに悩んで伸び伸びになって居た『韓国朝鮮の文化』も、当初の予定まであと2つとなりました。
残すは今回の国歌と国花です。
 
 
現在韓国の国歌、共和国の国歌は共に「愛國歌애국가 」です。
他に愛国歌と言う名前の国歌は、旧ソ連とロシア連邦に有りましたが、現在では廃止されて居ます。
なので、この名前が現在では、世界に南北朝鮮しか無いと言う所が面白いです。
 
まずは韓国の国歌「愛国歌」について。
愛国歌という言葉の意味は「国を愛する歌」、あるいは「国を愛する心の歌」と言う意味で捉えて良いと思われます。
 
<愛国歌を歌う韓国ナショナルチーム>
 
朝鮮王朝が1882年、アメリカと国交を結び開国する事になり、国際社会の一員として国旗、国歌の制定が急先務となりました。
 
この頃、「愛国歌」と言う名前の唱歌が無数に生まれます。
1882年だけでも数十曲、植民地になるまで、何と200曲以上の「愛国歌」が生まれました。
 
<韓国 愛国歌 歌詞>
 
これらの歌詞は、当時の唱歌同様、外国のメロディーに載せて歌われましたが、有名なスコットランド民謡オールド・ラング・サインのメロディーに載せて歌われました。
 
<スコットランド民謡>
 
この曲は日本でも有名な「蛍の光」です。
元は旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容で、日本や旧朝鮮、韓国、アメリカ、イギリス、香港、台湾、フィリピンなど多くの国、地方で各自の歌詞により、各自のシチュエーションで今も愛唱されて居ます。
 
日本では卒業や紅白歌合戦ラストなどのお別れの曲として使用されますが、アメリカ、イギリスなどでは年明けに歌われるそうです。
 
歌詞を一部引用します。
 
旧友は 忘れて行く物なのだろうか
古き昔も 心から消え果てる物なのだろうか
(コーラス)
友よ 古き昔のために、
親愛のこの一杯を飲み干そうではないか
 
(引用 Wikipedia)
 
原曲はコチラを参照

 
このメロディーに愛国歌の歌詞を載せました。
1896年、独立門除幕式でベジェ培材学堂の学生らによって、作詞未定の愛国歌が歌われたのが最初とされて居ます。
 
歌詞は現在の韓国の国歌の歌詞と同じで、朝鮮を韓国に替えて現在でも使用して居ます。
 
<1948南北連席会議で愛国歌を歌う金日成>
 
ちなみに作詞者は多くの説が有りますが、独立運動家でその後、親日派に成り下がった『ユンチホ尹致浩説』が1番支持されて居ます。
しかし、上記の事情から「作詞者不詳」となっております。
 
実際、唱歌は多くの手により改変されがちで、ある種合作と見るべきなのかも知れません。
 
<フランツ エッケルト>
 
一方、高宗は独自の国歌製作を指示し、イギリス国歌God Save the Queenを基に「大韓帝国 国歌」を製作、当初はイギリス国歌のメロディーで、のちに日本の「君が代」を編曲したドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトを招聘し作曲を依頼し、1901年に製作完了しました。
 
<大韓帝国 国歌>
 
イギリス国歌God Save the Queenを徹底的に模倣し、神様に韓国皇室と韓国の安寧を祈る内容の大韓帝国 国歌はしかし、日本による国権の剥奪により、1909年を最後に演奏•歌唱禁止曲になってしまいました。
 
大韓帝国 国歌はコチラ

 
<歌詞>
 
韓国併合後、独立運動家たちの間で、オールド・ラング・サインのメロディーでの「愛国歌」が広く歌われ、事実上の国歌の座を占める様になりました。
 
哀しい曲調が国家主権回復の切実さを表して居ると評判で支持を得、その影響か、史劇ドラマでもこの歌曲を使用する事も有ります。
ドラマ「野人時代」で、キムジャジン金佐鎮独立軍兵士たちが国歌を歌うシーンなどに使用されて居ます。
 
<ドラマ 野人時代>
 
2021年8月15日、ホンボムド洪範図将軍の遺骸が韓国に送還されましたが、生前に歌われたこのメロディーが演奏されました。
 
ちなみに余談ですが、共和国でも8.15光復後、政府樹立の際の「愛国歌」製作までオールド・ラング・サインの愛国歌を使用しました。
 
<ホンボムド将軍 帰還>
 
一方、外国曲のメロディーでの国歌は望ましくないとの見地から、ドイツで音楽を学んだ音楽家アンイクテ安益泰が新たに現在の韓国の愛国歌の音楽を作曲し、金九率いる大韓民国臨時政府(上海 臨政)により、現在韓国で使用されるメロディーが、1940年12月20日から国歌として採用決定されました。
 
<上海 臨政>
 
1941年光復軍の結成式で歌われた事をキッカケに上海臨政で使用され、そして日本の弾圧から自由アメリカなど海外で朝鮮人向けのラジオ放送で放送されるなど積極的に普及され、その後、1942年上海臨政により正式に国歌として明文化されました。
 
<アンイクテ>
 
解放後、帰国した海外独立運動家たち、特に臨時政府系勢力が政局の主導権を握るにつれ、現在の国歌が韓国本土にも広まり、この影響で「愛国歌」が慣習上国歌として定着し、現在も大韓民国の国歌となって居ます。
 
<楽譜>
 
現在、「愛国歌」を大韓民国の国歌に直接規定した法律は有りません。
大韓民国国旗法施行令第4条第19条で、国旗の掲揚式と降下式を国歌の演奏に合わせて行うと有りますが、国歌を定めた条文は無く、1999年以前の日本の「君が代」同様慣習で、次回の国花で述べる木槿ムクゲや大韓民国の首都ソウル然(しか)りです。
 
2013年にセヌリ党国会議員が根拠法令を作るために<大韓民国国旗・国家法>改正案を発議しましたが、本会議の議決を通過出来ませんでした。
 
歌詞を翻訳します。
 
(1節)
東海水と白頭山が 乾いて摩耗するまで
神様が保佑されよ ウリナラ万歳
 
(リフレイン)
無窮花三千里 華麗なる江山
大韓人 大韓で 長く保全せよ
 
 
(2節)
南山の上にその松 鐵兜をかけた様に
風霜不変は 私たちの気象で有る
 
(3節)
秋の空広いのに 高き雲無く
明るい月は、私たちの胸一片丹心で有る
 
(4節)
この気象が好み 忠誠を尽くして
苦しくも楽しくも 国を愛せよ
 
音楽はコチラをご参照下さい

 
現在、作詞作曲家の親日派論議、歌詞内容や曲調など日本の「君が代」同様、賛否両論が有ります。
しかし、韓国民にとっては誇りに感じる部分も多く、センシティブな問題も含む為、論評は避けたいと思います。
ひとつだけ、大きな議論として作曲家アンイクテ安益泰の日帝期の親日派行為の存在が明るみになった事だけ記します。
 
<共和国愛国歌と共和国女子サッカーチーム>
 
次に共和国の国歌「愛國歌」を見たいと思います。
コチラはパク・セヨン朴世永作詞、キム・ウォンギュン金元均作曲で、名称も同じく「愛国歌」です。
 
最初の詩である「朝は輝け아침은 빛나라 (Let Morning Shine)」という名称でも知られます。
 
作詞は1947年5月、作曲は同年6月27日に完成し、6月29日共和国の人民委員会でこの曲を国歌に最終確定し、1948年半ばに普及し始めました。
 

<パクセヨン(左)とキムウォンギュン>

 
先程も述べた様に、1948年初めまで旧ラングサイン曲調に既存の国歌、俗に「独立軍愛国歌」とも呼ばれる国歌を斉唱して居ました。
 
この曲が完成した1947年には、まだ大韓民国政府が樹立されず、統一朝鮮の政府樹立の可能性を念頭に置いたので、確定だけされ、普及は先送りしました。
 
その為か、1948年共和国政府が樹立された時、人民民主主義憲法にも対応する関連法令は無く、1992年の修正憲法を発布する際、初めて成文化されました。
 
<楽譜>
 
即ち、法的に国に指定されては居ない韓国の国歌とは異なり、共和国の憲法第1節第171条に、朝鮮民主主義人民共和国の国歌は「愛国歌」で有ると規定されて居ます。
 
全2節で、歌詞は以下の通りです。
 
(1節)
朝は輝けこの江山 銀金の資源もいっぱいな
三千里美しい私の祖國 五千年の長い歴史に
 
(リフレイン)
輝かしい文化で育った 知恵有る人民のこの栄光
体と心すべて捧げこの朝鮮 長く受け継がれよ
 
(2節)
白頭山の気象をすべて抱え 勤労の精神は宿って
真理にまとまった逞しい意志 世界に先立って行くであろう
湧く力怒濤も押し退け 人民の意志で立った国
限りなく富強する我が朝鮮 長く輝かせよ
 
音楽はコチラをご参照下さい

 
韓国の国歌と「江山」「三千里」「白頭山」のような言葉が重なります。
共和国を代表する歌としては珍しく、金日成、金正日など金氏一家の賛美が全く有りません。
当時、現在の韓国で歌われる「愛国歌」について問題を提起し、今後の国家建設にそぐわないとの判断で製作されました。
 
他の社会主義国では、時代と共に歌詞を変更する事が有りますが、共和国では金氏一家を称賛する内容などに歌詞を変えず、現在も使用して居ます。
 
<第二愛国歌と呼ばれる金日成将軍の歌>
 
歌詞の中の「怒涛」は、恐ろしく押し寄せる大波、あるいはそれに類似する難関を意味し、朝鮮語で良く出てくる単語です。
 
本歌詞では金銀では無く、銀金となって居るのも特異です。
サビ、リフレインは、2回繰り返して歌います。
金日成「朝鮮はきらびやかな文化に育った長い歴史を持つ国なのに、どうして一度だけ呼ぶことができるでしょうか?」と提案したエピソードが有名です。
 
尚、共和国では国歌を斉唱せず、音楽のみ流す事が多いのが特徴です。
 
<共和国 音楽祭>
 
金正日時代まで、国歌を公式行事で良く使用しませんでしたが、金正恩時代に入り「愛国」を強調する為か、対内行事でも国歌の使用が急激に増加して居て、パレードのみか様々な公演でも国歌を、様々なバージョンに編曲して演奏や歌唱して居ます。
 
以上、南北朝鮮の国歌を見ましたが、「南北統一旗」同様、南北統一チームの国歌として朝鮮民謡「アリラン」が使用されて居ます。
 
 
1991年日本幕張メッセで開催された「世界卓球選手権大会」で女子卓球チームが初めて中国チームを破って優勝した際に「アリラン」が演奏されました。
今後も統一チームで国歌演奏の際には使用される物と思われます。
 
<参考文献>
행정안전부 우리 나라 상징 애국가 
나무위키 
한국민족문화대백과사전
연합뉴스  "애국가에 숨은 '친일코드'"…"새 국가 제정해야"
 
 
<ミスターサンシャインの高宗>