<ドラマ成均館スキャンダル正祖とファソン>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
199. スウォン水原ファソン華城
 
 
 
現在KBSワールドで放映中のドラマ「成均館スキャンダル」が佳境に入って来ました。
主人公たち4人を始め、登場人物が皆生き生きとしており、特にコロ役を演じるユアインが良いです。
 
共演したパクミヨンも撮影終了後のインタビューで、自分ならコロを選んだと述べており、この作品で彼がブレイクした理由が分かります。
 
< ユアイン>
 
ヒットドラマは概して、主人公のみか周辺人物たちの造形も良いのは何故でしょう。
若いヒロインたちのバックで、成均館講師の丁若鏞、国王正祖の存在感も逃せません。
今週とうとう秘密の書、『金縢之詞クムドゥンジサ』が発見されました。
 
<ユニとチョンヤギョン>
 
政府を反対してねずみ小僧の様に首都漢陽を騒がす「ホンビョクソ紅壁書」として捕まったイソンジュン釈放の為の成均館儒生たちの闘いを含め、どう展開して行くのか眼が離せません。
 
今回は、ドラマ「成均館スキャンダル」繋がりとして、以前にも何回か紹介済みの、正祖が建てた『スウォン水原ファソン華城』について語ります。
 
<八達門>
 
現在コロナで韓国への旅行もままなりませんが、解禁されたら真っ先に観光したい観光地ナンバーワンです。
 
スウォンファソン水原華城若しくは単に華城とも呼ばれますが、コチラは京畿道水原市八達区と長安区にまたがる長さ5.52キロの城です。
総面積130ha(東京ドーム約28個分)の広い城です。
 
<散策出来る城壁>
 
1963年韓国史跡3号に指定され、1997年ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
 
水原華城は、韓国式城郭の構成要素である甕城オンソン(小堡)、城門、石門、山臺、城雉(出城)、望楼、砲台、烽火台などを備え、朝鮮式城郭の建築技術を集大成した城として高く評価されて居ます。
 
地形に合わせて邑城(平地城)と山城の構造の特徴を合体させて築造されました。
 
 
<ファソン地図>
 
一説には国王チョンジョ正祖が、自分の父親である、父王ヨンジョ英祖により米櫃(びつ)に閉じ込められ亡くなった思悼世子の墓を移し、邑治所を移転、住民を移住させる事が出来る新都市を建設する為に、敵からの防御に耐え得る構造で造成したと言われて居ます。
 
丁若鏞の設計と監督により、当時発明されたクレーンで有る挙重機が実用化され、1794年2月に着工し、僅か2年半に渡る工事にて完成された事でも有名です。
 
 
<遺跡分布 全景>
 
高さ4〜6mの壁が130㏊の面積を取り囲んで居ます。
 
❶最初から計画されて新築された城であるという点、
❷居住地としての邑城防御用山城を合わせて一つの城下町にした点、
❸朝鮮と東洋の伝統的な築城技術と、西洋の新たな科学的知識と技術を積極的に活用した点、
❹それまでの朝鮮式城郭には珍しい様々な防御用施設が沢山導入された点、
❺周辺の地形に応じて自然な形で造成独特の美しさを見せてくれる点など
多くの新たな特徴を備えており、城の建築史上に於いても大きな意義を持って居ます。
 
< 設計図 華城城役儀軌>
 
1801年に出版された華城の竣工報告書である
「華城城役儀軌」を使用して工事の詳細顛末を知る事が出来ると言う点でも特異で、この様な事実により世界遺産に登載されました。
 
正祖が華城を建てた最大の理由は、正祖が彼自身の理想的な都市を作る為だったと言われて居ます。
彼は、自分が夢見る都市を作る為に、大臣たちとトコトン相談して、徹底的に計画して築城を行っており、洗練された石造術を見せてくれて居ます。
 
<ファソン城内の行宮>
 
又、華城築造を通じて首都の南の軍事防御拠点を設ける事により、王権強化に努めたと言います。
 
一説によると、最終的には、晩年に王世子   スンジョ純祖に王位を譲ったのち、王妃と共にここで老後の余生を送ろうとして居たとも言われますが、正祖が早くに逝去してしまい、実現されなかったとも言われて居ます。
 
   <ドラマ イサンより>
 
父の王陵を移し、王の直属軍で有る『チャンヨンヨン壮勇営』の外営をここに置いたという点では、単に思い付きで築城したとは思えず、平地の交通の要所であるスウォンに敢えて築城したと言う点では、以前「シネトンゴン辛亥通共」でも述べましたが、商業の流通を活性化しようとする、彼の意志の表れとも取れます。
 
↓↓↓辛亥通共の記事はコチラ↓↓

 

但し、良く話題にされるスウォン「遷都説」はあくまで話題に過ぎません。
何故なら首都 ハニャン漢陽(ソウル)に比べると水原華城は1/16に過ぎず、とても首都として賄い切れません。
華城の正宮と言える『ヘングン行宮』の規模もソウルのそれと比べると小さ過ぎて、首都としての機能を果たせません。
 
先にも述べましたが、正祖の父親で有るサド思悼世子は、朝鮮王朝第21代の王であるヨンジョ英祖の次男で、世子に冊封されました。
 
   <ドラマの衣装イラスト>
 
しかし、思悼世子は党争に巻き込まれて王位に上がる事が出来ず、父英祖の命令で米びつの中で悲惨な生涯を終えました。
正祖は英祖の王位を継承した後、思悼世子の王陵を朝鮮最高の穴場的な風水の明堂、スウォンの華山に移し、華山付近にあった邑治(役所)をスウォンの八達山の麓(ふもと)、現在のファソン華城の位置に移し城を築城したのです。
 
<映画 王の運命より英祖と思悼世子>
 
水原華城には正祖の父親への孝行心がその築城の根本で有っただけでなく、党争による党派政治の根絶と、強力な王道政治の実現の為の遠大な政治的抱負が込められた政治構想の中心として建てられた物です。
 
水原華城は奎章閣の文臣で、彼が寵愛して重用した、我が国の百科全書的な実学者チョンヤギョン丁若鏞が、東洋と西洋の技術書を参考にして作成された「ファソンジュリャク城華籌略)」(1793)を指針にして、総指揮を務め、蔡済恭の総括の下に完成されました。
 
↓↓チョンヤギョンについてはコチラを参照

 

築城当時、彼は先の挙重機と共にロクロ(滑車機構)など建築の先進機械を考案、大規模な石を積む為に実用し工期を大幅に短縮するなど、我が国実学者の腕を如実に見せてくれており、彼らの存在が如何に重要だったかを知らしめてくれます。
 

<発明したクレーン 挙重機>

 
水原華城の築城と共に、付属施設として華城行宮、中鋪舍、内鋪舍、社稷壇など多くの施設を建設しましたが、戦乱で消滅してしまい、現在の華城行宮の一部で有る『ラクナムホン洛南軒』だけが残って居ます。
この施設は公式行事や宴会に使われる建物です。
 
水原華城は日本植民地時代を経て、特に朝鮮戦争を経験し城の一部が大きく破損してしまいましたが、先に述べた築城設計図「華城城役儀軌」が存在する為、その図面に基づき殆ど築城当時の姿どおり保守、復元され、現在に至って居ます。
 
<チョンヤギョンと6代孫 チョンヘイン>
 
城施設は門、水門、鋪、楼、咆、角楼、石門など合計で48個の施設で城を成して居ますが、この中で7つの施設が消滅し、4つの施設がまだ復元されず残って居ます。
現在も完全復元に向けて工事進行中です。
長い年月により人々が生活して来たので買収も容易では無く、完全復元にはなお大きな隘路が残って居ます。
 
<魅力的な夜景>
 
どうしても現代の生活インフラが邪魔して、敢えて復元を断念した箇所も有ります。
 
また、文化指定区域に指定され、開発が制限される為、地域活性化の面では衰退する憂慮も有りましたが、スウォン市長の果断な政策により文化都市として再生し、新たな活気を取り戻して居ます。
 
<成均館スキャンダルの正祖>
 
どうあれ、水原は築城した際の城の輪郭がほぼ原型のまま保存されて居る他、北水門(華虹門)を介して流れていた水原川が現在もそのまま流れていて、八達門長安門、華城行宮長龍門をつなぐ街路網が、現在も都市内部の重要な街路網として機能しているなど、200年前に城の骨格がそのまま残っている、とても稀な都市だと言えます。
 
長い歴史の戦乱により多くの文化財が失われた我が国の文化財の中では、関連文化財がよく保存されている方だと言えます。
 

<行宮内部の施設>

 

先に述べたファソンの設計図書「華城城役儀軌」には、築城計画、制度、法式だけでなく、動員された人員の個人情報、材料の出所と用途、予算と賃金の計算、施工機械、材料加工法、工事日誌などが詳細に記録されて居ます。
 
この様な記録が残る事自体が珍しく、記録文化が世界的に見ても最高水準だった朝鮮王朝の文化的成熟の一端を示して居て、歴史的価値が非常に大きいです。
 
<水原華城の正門 長安チャンアン門>
 
余談ですが、ファソン華城建設は正祖期より遡る事100年、実学者の始祖の1人として良く知られリュヒョンウォン柳馨遠が提言して居ました。
これが正祖によって取り上げられ実現に至ったと言う訳です。
 
彼についてはまた後日、人物紹介で述べたいと思います。
実学者の先見の明が表れて居ます。
 
ファソン華城の重要ぬ施設の一つで有る砲樓も正祖や丁若鏞の独創的な企画では無く、壬辰倭乱期に李舜臣の朋友と知られ、「懲毖録」などを著した柳成龍が考案、提唱したと言います。
 
↓↓彼についての記事はコチラ↓↓↓

 

タラレバでは有りますが、彼の建議が取り入れられて居れば壬辰倭乱での朝鮮王朝のあれ程までの苦戦は無かったのでは無いでしょうか?

いつの世も偉大な臣下は居れど偉大な王様は存在せず、双方が合致した時のみ歴史が大きく動きます。
正祖の様な名君があと何人か続いてくれたら…と惜しい気持ちになります。
 
正祖は側近に華城をその名の通り、美しく造れと注文をしたと言います。
後で城が完成した後、正祖が自らあちこち見見て回り、臣下の一人が正祖に、「外敵を防御する為に造成した城を敢えて美しく作る必要があるのでしょうか?」かという質問をしたと言います。
すると正祖の答えは
「美しさが敵を負かすので有る!」と言うモノでした。
 
<正祖御眞>
 
正祖が言う主張は、城を壮大で美しく作れば、城を見上げ、攻撃する者の気持ちをも折ると言う意味で、壮大な美観が城を守る上で助けになると言う意味でした。
確かに水原華城は、美的にも多くの神経を使った建築物である事がは事実で、そう言う意味でも世界遺産に相応しいと言えます。
 
その後、江華島の城壁など、スウォンファソンの後継が作られましたが、このスウォンファソンを最後に、朝鮮式城郭が新たに大きく発展する事は有りませんでした。
その意味でもこのスウォンファソンは朝鮮式城郭の集大成と言えるでしょう。
 
<ファソン全景図>
 
現在、華城の全領域と八達門、華西門は文化財保護法に基づき、国の指定文化財として保存管理されて居ます。
また、文化財や保護区域の境界から500m以内の地域は、文化財保護法と京畿道文化財保護条例に基づいて、「歴史文化環境保全地域」に指定され、その範囲内で行われるすべての建設行為に対する事前審議が義務付けられて居ます。
 
<成均館スキャンダルのチョンヤギョン>
 
また、「水原市の世界文化遺産華城運営条例」は、華城と付帯設備の観覧と活用に関する事項を規定して居て、保存に必要な予算を配分して保守と維持管理を行って居ます。
 
近年のドラマ「イサン」の大ヒットなどにより、現在韓国では正祖人気ブームが巻き起こっており、ファソンは気軽な観光地としても人気ですが、コロナ禍による人々の移動制限により、これらがストップされて居るのが残念です。
コロナ禍が収まった際には是非ともスウォンファソンを見学、城壁を1周するなど1日掛けて過ごして頂き、先祖の叡智をその身で実体験して頂きたいと思います。

 

KBSニュースで取り上げられました

 

<参考文献>
유네스코 한국위원회 수원 화성 
나무위키 
위키백과 
사이언스 타임스

 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

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<ソンジュンギとパクユチョン>