<ドラマ チュノ推奴>
 
第4章 韓国朝鮮の文化-6
韓国朝鮮の姓氏と本貫
 
 
 
今回は我が国の姓氏(苗字)について見たいと思います。
 
世界的に苗字が多いのは移民国のアメリカと言われて居ます。
アメリカの苗字の数は約150万種類だそうです。
世界各地から集まって居るので、さもありなんと言った感です。
 
 
単一国で苗字が多い国は、イタリア約35万種類ドイツ15~30万種類日本10~30万種類で、トップクラスの多さです。
 
アジアではこの様に日本が苗字の多さが目立って居ます。
 
<日本の苗字ランキング>
 
一方、世界一人口の多い中国の苗字4千〜5千種類とかなり少ないですが、世界一数の少ないのは我が国で、200〜300種類と、かなりの少なさとなって居ます。
<韓国の姓氏一覧>
 
また、少数の姓氏に集中する構図となって居ます。
 
何故でしょうか?
その理由を紐解く上で、姓氏の意味と、我が国に於ける姓氏の時代別変遷を辿って見ましょう。
 
 

<韓国姓氏比率>

 
ここで、私達は普段、姓と氏を区別せずに使用しますが、「姓」出生の系統(血縁)「氏」出自の概念を指す『本貫』(地縁)を意味しており、本来は似て非なる物です。
元々「本貫」は中国で発生し、重要な意味を持ちましたが、現代中国ではさほど意味を持たなくなって居ます。
 
しかし、我が国では高麗時代本貫が本格的に登場し、現代でも大きな意味を持つ存在となって居ます。
後述しますが、この『本貫』の存在も、我が国の姓の少なさと関連すると言えます。
 
<韓国 本貫ランキング>
 
簡単に我が国の姓氏の変遷を辿りましょう。
「三國史記」「三國遺事」などによると高句麗、百済、新羅の三国は、国の初期から姓を使用したと記録されて居ます。
 
高句麗を建国した朱蒙は、国号を高句麗とした為、姓を「高氏」として、忠臣たちに克、仲室、小室などの姓を与えたと有ります。
百済扶餘氏新羅朴、昔、金氏など出自や神話に基づいた幾つかの姓が見られます。
これらの姓は我が国固有の「土着姓」と言えます。
 
<高句麗ドラマ 風の国>
 
しかし姓を使用した人々は王室、貴族など限られた人物で、一般的な民衆は使用しませんでした。
この時期に中国との交流の中で、文化発展の最先端を走って居た高句麗を中心に中国姓の導入が活発化します。
 
高麗時代に入り、太祖王建は国の功臣と地方の土豪勢力を統合する為に、積極的に姓と本貫を授けるなどの政策を広げますが、この時期に朝鮮の姓氏のシステムが確立されました。
 
  <ドラマ 太祖王建>
 
即ち、王建は940年、中国・唐の習慣を模倣して、貴族や豪族の家門を区別する為に、と共に全国の郡県の『本貫』を授け、家門を区分させました。
この時代、中国式の姓が大々的に導入され、我が国の姓の大勢を占める様になります。
 
以前にも述べましたが、1055年(文宗9年)、姓が無い者は科挙に受験する事が出来ないという法令を出した事が我が国で姓が普遍化されるキッカケになったと言われて居ます。(下記リンク参照)
 
<朝鮮王朝時代 階級比率>
 
朝鮮王朝時代に入り、良民も姓を名乗る事が一般化されましたが、奴婢など賎民階級は、朝鮮末期まで姓を名乗る事が無かった事も以前述べました。(下記リンク参照)
 
朝鮮王朝時代奴婢など賎民層が全体の約40%を占めたので、姓を持たない者もその位多かったと見え、彼らは1894年甲午改革奴婢制度廃止により初めて姓を名乗る事になったと言えます。
 
今となっては笑い話の様ですが、この時期、両班と常民の身分格差が無くなったので、族譜の売買が盛んに行われ、全国民が両班と名乗る様になったと言われて居ます。
 
チョクポについてはコチラ

 

<族譜>
 
その様な風潮の中では新たな姓を作るより、元主人の姓を付けたり、村ごとに同じ姓で囲い込む事も多く行われ、日本での名字作成とは正反対に、少ない姓に集中する傾向に名字作成が進んだと言えます。
 
 
その後、日本の支配する1909年、全ての人が姓を持つ様にする『民籍法』が施行され、我が国の国民すべてが本貫を取得する事になりました。
 
が同じでも本貫が違えば全く赤の他人で有る為、同門勢力を囲いたいパワーと有名派閥に加わりたいパワーが合流して、世界にも珍しい
『少数多派姓氏』が誕生する事になりました。
 
<映画 マルモイ>
 
ちなみに、日帝期に姓氏が確立したと書くと、歴史修正主義者が喜びそうですが、あくまで異国支配をスムーズにする為で有り、1930年代からは悪名高い『創氏改名』が始まるのですから、「本性見たり」と言った所です。
 
我が国の名字制度はこの様に、高麗時代以降の中国の影響を大きく受けたと言えますが、その受容と普及に於いて、本貫の区分など名字システムが特異かつ複雑でユニークに展開した事を見て取れます。
 
また、近年、日本に於いて選択性夫婦別姓が叫ばれて居ますが、中国・朝鮮で女性は嫁いでも姓を変えず、姓は男系の血族を表示する称号として一生変わらず、家族全体を代表する共同の呼び名は存在しません。
 
そして先程も述べましたが、同姓でも本貫が違えば同族では無く、本貫もしくはその中の「派」で同族を規定します。
 
<金氏の本貫>
 
例えば、「ソウルで金さん探し」と言う言葉が有る様に、韓国では金氏が全人口の20%を占めますが、本貫600種類以上にも上り、同じ本貫の人と出会うのはまず少ないそうです。
 
現在では廃止されましたが、韓国では2005年まで同姓同本は結婚禁止でしたので、出会った男女も本貫を名乗り合って恋愛したと言います。
 
共和国では元々同姓同本の結婚禁止は無く、本貫封建的遺習だと言う事で、法的には廃止されて居ます。
 
<本貫別 名字ランキング>
 
所で朝鮮の姓はどんな姓が有るでしょうか?
朝鮮王朝英祖時代リウィヒョン李宜顯が書いた「陶谷叢說」では当時の298姓を挙げ、以下の様に分類しました。
さほど量は無いので転載します。
参考にご覧下さい。
 
저성著姓(多い姓): 金·李·朴·鄭·尹·崔·柳·洪·申·權·趙·韓(12姓)
 
다음저성次の著姓: 吳·姜·沈·安·許·張·閔·任·南·徐·具·成·宋·兪·元·黃(16姓)
 
그 다음 다음 저성(次次著姓): 曺·林·呂·梁·禹·羅·孫·盧·魚·睦·蔡·辛·丁·裵·孟·郭·卞·邊·愼·慶·白·全·康·嚴·高(25姓)
 
희성稀姓(まれな姓): 田·玄·文·尙·河·蘇·池·奇·陳·庾·琴·吉·延·朱·周·廉·潘·房·方·孔·偰·王·劉·秦·卓·咸·楊·薛·奉·太·馬·表·殷·余·卜·芮·牟·魯·玉·丘·宣 (41姓)
 
그 다음 희성次稀姓: 都·蔣·陸·魏·車·邢·韋·唐·仇·邕·明·莊·葉(섭)·皮·甘·鞠·承·公·石(19姓)
 
벽성僻姓(珍しい姓): 印·昔·龔·杜·智·甄·於·晉·伍·拓·夜·賓·門·于·秋·桓·胡·雙·伊·榮·思·邵·貢·史·異·陶·龐·溫·陰·龍·諸·夫·景·强·扈·錢·桂·簡(38姓)
 
그 다음 벽성貴姓: 段·彭·范·千·片·葛·頓·乃·間·路·平·馮·翁·童·鍾·酆·宗·江·蒙·董·陽·章·桑·萇·程·荊·耿·敬·寗·京·荀·井·原·袁·萬·班·員·堅·騫·燕·時·傅·瞿·嵇·米·艾·梅·雷·柴·聶·包·何·和·賀·花·華·賈·夏·麻·牛·僧·俊·曲·栢·翟·畢·谷·弓·種·邦·凉·良·芳·卿·刑·永·乘·登·昇·勝·信·順·侯·藩·端·鮮·芊·牙·水·彌·吾·珠·斧·甫·部·素·附·凡·固·台·才·對·標·肖·那·瓜·化·壽·祐·價·尋·森·占·汎·克·郁·翌·宅·直·則·澤·綠·赫·冊·濯·骨·燭·律·物·別·實·弼·合·乜·鴌·揚(136姓)
 
복성復姓: 南宮·皇甫·鮮于·石抹·扶餘·獨孤·令狐·東方·西門·司馬·司空(11姓)
 
多少の変化は有りますが、これらの姓が今も我が国の姓の基本と言えます。
 
<韓国での姓氏の分布>
 
以上見た様に、我が国の姓氏が中国の影響の元、独特な発展を辿って存在する事を簡単ながら俯瞰しましたが、ご理解頂けましたでしょうか?
 
他にも述べ出すとキリが有りませんが、これ位にさせて頂きます。
 
名前についても記事が有りますので、よろしかったらご覧下さい。↓↓↓コチラ↓↓

 

 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전
통계청 우리나라의 성씨는 몇 개나 될까?
나무위키
 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

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