<ドラマ 哲人王后チョリンワンフ>

第4章 韓国朝鮮の文化ー4
族譜チョクポ
 
 
 
前回のワンポイントコラムで我が国のハンリョル・トルリムチャについて見ましたので、今回はそれと関連して族譜チョクポについて見たいと思います。
 
ハンリョル・トルリムチャはコチラ

 

共和国では全廃され、在日韓国・朝鮮人社会でもやや縁が遠くなってしまって居ますが、現代の韓国に於いては未だに身近な存在で有るチョクポ
 
<世界最長の孔子世家譜>
 
族譜は中国を起源に東アジア各地で作られました。
父系血縁集団である宗族が、家系を中心に重要な人物の事績などを記載した図表形式の本で、一族の団結と祖先の崇拝という儒教的な家族観に基づいて製作されて居ます。
 
本家の中国では既に周の時代から製作されたとされ、隋唐の時代を過ぎ宗、明の時代にピークを迎えましたがその後徐々に衰退、現代では抑儒政策により絶滅したと言われて居ます。
 
 
我が国では高麗時代初期から王室の実録で高麗太祖の世系を記録した「聖原錄」があったと伝えられ、後に高麗の貴族たちも家系の体系的な記録を持ちました。
 
そして、朝鮮王朝が成立した14世紀頃から士大夫達により多く作られ始めました。
 
チョクポボチョプ譜牒とも呼ばれ、その他にもセボ세보世譜,パボ파보派譜, カスン가승家乘, セギェ세계世系, ソクポ속보續譜, テドンボ대동보大同譜, カボ가보家譜, カスンボ가승보家乘譜, キェボ계보系譜などの題が付けられて居ます。
 
族譜は同じ氏族の中でもポングァン本貫(一族の出身地)中心に、始祖以下の世代の系統を収録すると共に、名前と号,行跡などを詳細に記録し同族の起源を明らかにして世代の順序を知らせる目的で編纂されました。
 
 
家の祖先を崇拝し、祖先から派生した一族の上下関係を確認出来る様にし、これにより人物の社会的地位や背景、すなわち身分を明らかにする事、同族間の共同意識を付与する役割をしたと言えます。
 
族譜朝鮮王朝階級社会の産物であり、朝鮮中期以降党争が激しくなるにつれ争って作られ、両班の身分と族党関係を明らかにする重要な資料となりました。
 
 
韓国で代表的に知られている譜牒ポチョプの種類は次の通りです。
 
1 テドンボ大同譜
各本貫別の始祖以下のすべての派、同じ始祖から派生した氏族の全てを系統別に一つ残らず収録したポチョプ譜牒
同じ始祖から他の本貫を持っている一族までを乗せます。
テジョンボ大宗譜もほぼ同じ意味で使用されて居ます。
 
2 パボ派譜
分派された派だけを収録した譜牒
漏れる人物が無い様に徹底して、始祖の行跡を詳細に収録する事が出来るという長所が有ります。
 
3 セボ世譜
各派の系譜としてのパボとは異なり、詳細を明らかにして各派の系統と、各派の履歴などを入れる事が違います。
複数の派が集まって共同の譜牒を作成する為、セボをすべて集めればデドンボになり、コストを削減することが出来るという長所が有ります。
 
世誌とも呼ばれて、2宗派以上が同譜、または合譜にして編纂したり、いずれかの派属だけ収録すると言う事も有ります。
 
4 カスンボ家乘譜
個人の直系系統と主要祖先の誕生日、忌日などを参考にする為に作成した譜牒
個人の直系尊属のみ収録するのが通常で、卑属はすべて収録します。
 
家乘カスンとも呼び、始祖から自分の直系尊属と卑属に至るまでの名前と事績を記録する譜牒で、他の譜牒編纂の基本となります。
ガチョプ家牒とも言います。
 
5  ネウェボ内外譜
インアボ姻亜譜とも呼ばれている譜牒。
歴代の祖先の配偶者の全てを対象に、配偶者の一族の始祖からその配偶者に至るまでの系譜を記録しました。
 
6  ケーボ系譜
系統だけ明らかにするために、各派、または個人の先祖の名前のみ記録した系列図や世図の表を指します。
西洋の家系図に近いです。
ちなみに族譜は家系図とは異なり、家系図は族譜を現代的にアレンジした物だと言えます。
 
7  マンソンボ萬姓譜
全ての苗字を網羅した族譜で、有力一族の系譜を中心に編纂されます。
萬姓デドンボとも呼ばれ、すべての苗字の族譜から大きな幹を選り抜き集成し、族譜の辞典の役割をします。
 
<韓国最古と言われている族譜>
 
現存する韓国の族譜のほとんどは朝鮮時代リャンバン層で作成された族譜ですが、近代以降に制作され始めた族譜も有ります。
 
南宋の性理学と農業技術が朝鮮に広がった16世紀に至って、朝鮮の士大夫が中国の士大夫のように家の中に所蔵されていた書籍を動員して系譜を作成し、この過程で有る程度考証に基づいた物から全く架空の物まで多様になりました。
 
譜牒発刊は宗衆会議で宗衆員の議決を経て製作しました。
通常1世代、約30年間隔で出版されましたが様々な条件などにより遅くなったり飛ばされる場合も有りました。
 
例えば「星州李氏族譜」の場合、
1次出版が1613年、
2次出版は74年後の1687年に、
3次出版は64年後の1751年、
4次出版は46年後の1797年に行われましたが、時代が下るほど出版間隔が短くなるのが共通の現象だった様です。
 
<戸口単子>
 
族譜に名前を上げる為には、族譜の作成の主体と同宗で有る事を証明する文書資料と戸口単子(官に提出する書類)などが必要で、証明を提出出来ない場合、載せられませんでした。
 
族譜の構成は一般的に以下の通りです。
 
1 序文〜普通、直系の子孫の中で学識のある人が記述
 
2 記または誌〜始祖または中始祖の史伝を記載。墓誌・祭文・言行録・年報等。
また始祖伝説、得姓事績、地名の歴史などを詳細に記録。その祖先に朝廷で下した詔勅や書文があれば、名誉として収録。
 
3 図表〜墓地の位置を描いた図面や絵。
 
4 編修者名記〜有司(編修者)を記録。
 
5 凡例〜族譜の読み方。家則や家訓なども記載
 
6 系譜表〜各々の名前、生没年、諡号と官職、配偶者の本貫と父親の氏名•官職、墓地、養子や庶子など。
 
<族譜の見方>
 
次に族譜で使用される用語について見ます。
 
始祖〜最初の祖先。
 
鼻祖〜始祖前の祖先の中で最も位の高い人。
 
中始祖〜始祖以下で衰退した家門を再興した祖先(中興祖)。
 
都始祖〜その名字の最高の祖先でその本貫の始祖でない場合。
 
得姓祖〜姓氏を獲得した祖先。
 
名字ミョンジャ〜族譜に上がった名前、成人した時の名前「冠名」を記す(それ以前に使用した名前はアミョン児名と言う)。
字や行名ハンミョン(ハンリョルの名前)•別号も記す。
 
※行列ハンリョルについては以下を参照↓↓↓
サソン嗣孫〜一家の宗嗣•系代を継ぐ子孫。
 
ボンサソン奉祀孫〜祖先の祭祀を奉る子孫。
 
フサ後嗣〜代を継ぐ子孫。後継者が居ない場合ムフ无后•無後と言う。
 
養子〜代を継ぐ甥っ子を指す。
※西洋との最大の違いで、血の繋がらない他人の相続が不可でした。
 
ソジャ庶子〜妾の子、またはその子孫。
ソオル庶蘖として一定の社会的制限が有りました
 
チョンガ宗家〜家門の長男のみ継いで来た大きな家。
 
<家系図>
 
族譜は、過去には支配層の特権を保証する文書として機能しましたが、今日では社会的な縁戚関係を確認する為の手段としてのみ使われて居ます。
 
しかし我が国の場合、壬辰倭乱、丙子胡乱以降身分制度が崩壊し、系図や戸籍を偽造する事例が頻繁に起こりました。
 
富農は軍役を逃れる為に金銭で購入し、貧困なリャンバンは族譜を売ったり偽の情報を書き入れるなどして金銭を得ました。
そして、19世紀〜20世紀に掛け印刷技術や財力の増加により族譜の出版が盛んになりました。
 
<系寸法(親族呼称)>
 
どれだけの氏族が族譜を発刊したのか、国立中央図書館に保管されている日本植民地時代の発行の族譜を調べてみると、族譜を出版した姓氏の種類は125姓に達し、1930年当時の朝鮮人姓氏総数250種の約半数にも上ります。
こうして族譜は幾何学的に増加して行きました。
 
 
今や韓国では族譜の存在により、ほぼ100%がリャンバンに名前が連なると言われて居ます。
これは朝鮮王朝時代数%に過ぎなかったリャンバンに、大多数を占めていた平民が偽造等によりなりすました結果だと言えそうです。
 
なので、幾つかの有力家門以外に族譜は史料的・文献的・書誌学的・社会的価値、つまり金銭的価値は無いとされて居ます。
 
この様に族譜の意味を肯定・否定面(特に否定面が大きい)の両面から眺める事が肝要で有る事を記しつつ筆を置きます。
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전 
한국인의 족보
위키백과 
나무위키