第7章 韓国ドラマ映画
58.ファンジニ黄真伊 2006
 
 
 
朝鮮王朝前期の人物をまとめて見て真っ先に思ったのがファンジニ黄真伊が抜けてしまってた」と言う事でした。
彼女は魅力的な人物で、是非書きたいと思って居たのに不覚でした。
 
 
今更なので以前放映したドラマのレビューに引っ掛けて書こうと思います。
これまた魅力的なハジウォンが主演して居て面白く鑑賞しましたから。
考えて見ると彼女が主演した史劇はほぼ全部観て居ますが、一度もレビューして居ませんでした。
 
ファンジ二(原題:황진이)」は2006年にKBSが制作した史劇です。
当時映画の制作も進み、こちらはソンヘギョでしたが、人気女優のファンジニ対決と騒がれました。
 
 
映画の方は植民地時代「リムコッチョン林巨正」で空前のブームを巻き起こし、
朝鮮の歴史小説の始祖と崇められて居る独立運動家兼作家の
ホンミョンフィ洪命熹(解放後共和国に越北)の孫で、共和国作家のホンソクチョンが執筆した
同名小説の映像化として話題をさらいましたが、いざ蓋を開けて見ると
演出の拙さからか惨敗で、見る影も有りませんでした。
 
<映画 ファンジニ>
 
一方ドラマの方は韓国での初回放送時の視聴率は20.1%と大ヒットで、ハジウォンの代表作の1つになりました。
実在人物では有るものの、伝わる史料が断片的でややもすれば退屈になりそうなエピソードを果敢にアレンジして、エキスのみ抽出した感が有り、そこそこ彼女を知る視聴者をも納得させる作りとなりました。
 
日本でもNHKで放送され、これまた人気をさらったドラマ「キファンフ奇皇后」と共にハジウォンの人気獲得に大きく寄与しました。
 
 
まずはあらすじを。
 
16世紀頃の朝鮮時代の妓生を描いた物語で有る。
朝鮮王朝は厳格な身分制度が敷かれており「両班(貴族階級)の子は両班、妓生(賎民階級)の子は妓生」と法で定められていた。
妓生は身分こそ卑しかったものの、両班を相手にする芸者で有ったため、両班たちと対等に渡り合えるだけの高い学識と、彼らを満足させられるだけの高度な芸の腕が必要であった。
 
妓生の娘として生まれた主人公のファン・ジニは、天性の舞や詩、音楽の才能と、その美貌で数々の男達を魅了していくのであった。
 
(引用 Wikipedia)
 
劇的な事件中心では無く、キーセン妓生の日常を中心に物語が進むので、あらすじを書くのも大変かもです(笑)。
 
キーセン妓生についてはコラムで書きました。
 
↓↓記事はコチラ↓↓↓
 
こちらは未だにアクセスが多い記事で、皆さんの関心の程が分かります(笑)。
 
先程も言いましたが、ドラマは史実の程よいエッセンスを振りかけ、開城妓生たち同士の軋轢、ソウル妓生との「キーセン対決」、中島敦の名作小説「名人伝」を彷彿とさせる師匠との葛藤、キーセン妓生としての愛と苦しみなど様々なテーマが入り飽きさせませんでした。
 
「色んなエピソードを上手く散りばめたなぁ〜」と言う所が私の1番の感想です(笑)。
でも流石に無理が有ったのか彼女が生涯思慕して敬愛したソギョンドク徐敬德は出ず仕舞いでした。
 
後に述べますが、彼女に恋慕して身を落とす青年役を若き日のチャングンソクが好演して居ます。
 
 
ここで黄真伊の生涯を辿りましょう。
生年不明ですが大体1506年頃から1567年頃迄生きたと言われて居ます。
 
壬辰倭乱当時の人物で実在か不明なロンゲ論介などとは異なり、ファンジニ黄真伊は間違い無く実在の人物ですが、フィクション性が高く何処までが本当のファンジニの話しで、何処からが作り話なのか知る術(すべ)が有りません。
 
ファンジニの話で伝わる話が多いという事は、妓生という仕事が特殊な業種で今で言う芸能人のトップスターやセレブの様な物なので、噂も多かったと見えファンジニの男性遍歴がどこまでが本当か取捨選択するのが難しいです。
そう言う見方をすれば、ワザと悪い噂が流され
記録で残った事も多いにあり得る訳です。
 
彼女の生い立ちは巷間、ファンジンサ黄進士の庶子だったと言われる事が多いです。
しかし、記録を辿って行けば最も古い記録(1613年)には盲人の娘と有り本当の所はハッキリしません。
 
<風俗画 美人図>
 
子供の頃にはすでに四書三経を読破して詩、書芸、音楽と才能を見せ、ずば抜けた美貌の持ち主だったと言います。
 
有名な逸話が有ります。
 
15歳の時に街のとある独身の青年がファンジニを見て一目惚れをして想いわずらいに陥り、縁談を望みましたが上手く伝わらず結局そのせいで亡くなってしまいました。
 
 
お葬式に向かう途中、棺(ひつぎ)が彼女の家の前を通った途端止まってしまいビクともせず、彼女の知る事となりました。
 
経緯(いきさつ)を知ったファンジニが出て来て棺を撫でて慰めると(或いはチマ:スカートを架けたとも)スーッと動き出したとの事です。
この事件の後、自分が普通の女性として生きる事が難しいと悟った彼女は妓生キーセンの道を選んだとの事です。
 
 
しかし、最初からファンジニの母親が妓生だったとしたらファンジニも従母法によって妓生の道を歩んだ筈なので、あくまで説話として念頭に置いた方が良さそうです。
 
 
その後ファンジニ「ミョンウォル明月」という名前で妓生生活を始めました。
 
詩、書芸、歌舞全てに精通した超特級の妓生として名声を飛ばし著名な文人、学者たちと交流し、社会的な名声を得て行きます。
以前にもワンポイントコラムの欄でも述べましたが、今で言う芸能人とも言えるキーセン妓生は当代の女性では珍しい男性と肩を並べる教養人兼文化人でも有った訳です。
 
 
10年の間面壁(人と会わず壁に向かう事)の座禅で修行し「生き仏」と呼ばれた天摩山のチジョクソンサ知足禅師を誘惑して破戒させてしまった話しや、
王族ピョクケスが彼女との逢瀬を終え漢陽(ソウル)に戻ろうとした時、馬に乗ってビョクケスの道の前に現れて
「青山ピョクケスよ〜」と始まるシジョ詩調を詠うと、彼が驚いて馬から転がり落ちた話などの逸話が伝わります。
 
↓↓↓シジョ詩調についてはコチラ↓↓↓

 

それらの説話は前述のドラマに程よいタッチで挿入されて居ました。
そして、先の思い焦がれて亡くなってしまう青年役を、その後日本で大ブレイク現象を起こした若き日のチャングンソクが演じて居る事も話題になりました。
 
 
彼ら2人をおとした後、ソンド松都(開城)で著名な学者で有ったソギョンドク徐敬徳を訪ねて行って彼をも誘惑しようとしましたが、彼はファンジニの誘惑にも淡々とした態度で応じなかったと有ります。
ソギョンドクに感心したファンジニは彼を生涯師として仕え学問を学びました。
 
彼女は自ら松都三絶ソンドサムジョル송도삼절(開城三大名物)としてソギョンドク、ファンジニ、パクヨンポクポ朴淵瀑布挙げたと言います。
自分で自分をローカルの三大名物に選ぶとは何と言う自信でしょう(笑)。
 
<開城名所 パクヨンポクポ>
 
事実如何は今となっては藪(やぶ)の中ですが、彼女に係る伝説だとそれらしく聞こえるので不思議です(笑)。
 
早くして亡くなったと見ますが、彼女が亡くなる前に何かを悟ったのか
「私が死んだら松都の砂畑に投げ捨ててカラスの餌(えさ)にして放蕩女性の戒めとして欲しい」との遺言を残したと言います。
 
実際にはファンジニがカラスご飯になる事を残念がった開城の人が遺体をねんごろに葬ったそうです。
今も共和国にファンジニの墓が有ります。
墓碑銘はウリクルで「明月ファンジニの墓」と書かれ、貴重な遺跡として整備されて居ます。
 
 
ドラマの話に戻ると、最後にファンジニは妓生に囚われず自由人として開城に生きる事を選び、市井(しせい)の人となり終了します。
その生き方は型に囚われる事を嫌った彼女らしい生き方でした。
物足りない部分も有りましたが、ドラマとしてはまずまずの出来栄えで、未見の方は一度ご覧になっても良いかと思います。
 
<参考文献>
나무위키 
한국민족문화대백과사전
 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

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