<ドラマ鄭道伝の鄭夢周役イムホ>
 
第6章 朝鮮の人物ー18 近世2
鄭夢周チョンモンジュと鄭道伝チョンドジョン
 
 
 
 
リソンゲ李成桂について書いたついでに、彼を取り巻く人物たちに触れたいと思います。
まず思い浮かぶのはチョンドジョン鄭道伝ですが、彼の生涯についてはドラマレビューで既に詳しく述べているので簡単にのみ触れます。
 

彼は1342年生まれ、李穡を師として学問を修学しました。

1360年科挙に合格して官吏となるも、1375年権臣イイニム李仁任などの親元反明の政策に反対したため流刑に遭います。

1377年流刑生活の終了後、学問研究と教育に携り、1383年李成桂(太祖)の幕僚となり、後ろ盾を得ました。

 

威化島回軍を経て1389年李成桂が王を廃し恭譲王を擁立すると功臣として封ぜられるも再び流刑、釈放。しかし、李成桂が遊猟中に落馬して負傷する事件の最中、療養中のすきに鄭夢周らに弾劾され3度目の流刑に遭います。

 

李芳遠(太宗)が鄭夢周を暗殺すると釈放され、李成桂を王に推戴しました。

朝鮮王朝の建国後、すべての権限は鄭道伝に集中します。

 

その権力は国王である太祖を凌ぐとさえ言われるほどで、開国一等功臣の認定を受け、門下侍郎賛成事、判義興三軍府事など、殆どすべての要職を歴任して居ます。

 

漢城遷都以後、宮と宗廟の位置や称号などを定め、「朝鮮経国典」を著わし法制等の基礎を作成。

崇儒抑仏政策の理論的基礎を確立し、軍事的には「義興三軍府」の司令官として軍制を改革。

私兵化した軍隊を段階的に革罷し、国防力を強化させることに苦心しました。

 

政治的には太祖と自分の関係を劉邦と張良に準(なぞら)え、国王が全ての実権を握るより、宰相を中心とした士大夫が政治をリードすべきであると主張して居ます。

 

そのため強力な王権こそ社会の安定の根幹と考える李芳遠(太宗)と対立しました。

太祖と共に、幼い6男芳碩を太子に指名し、政権樹立に功績の芳遠を遠ざけるも、1398年「王子の乱」にて政敵、芳遠の軍勢により誅殺されてしまいます。

 

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今回は主に鄭道伝の元親友で有り、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵にもなってしまったライバルチョンモンジュ鄭夢周(13371392)を取り上げたいと思います。
 
チョンモンジュは朝鮮を代表する儒学者で、多くの尊敬を受けた人物です。
本貫は迎日、出生地は永川、元の名はチョンモンラン鄭夢蘭、その後モンリョン夢龍、モンジュ夢周、字(あざな)はタルカ達可、号はポウン圃隱です。
 
 
樞密院知奏事だったチョンスプミョン鄭襲明の子孫で、父はチョンウングァン鄭云瓘です。
母李氏が蘭の鉢植えを胸に抱いて地面に落とす夢を見て産んだのでモンラン夢蘭としたと有ります。
女の子みたいな名前ですが、後にモンリョン、モンジュと改名して居ます。
 
余談ですが、我が国の占い好きは格別で、特に胎夢(たいもう:妊娠中に見る夢)を大事にします。
偉人伝には必ず胎夢の話しが出て来ます。
現代においても韓国人は夢を大事にして、見た夢の意味を読み解こうとします。
夢占いは日本でも人気ですね。
 
 
ギムドゥクベ金得培の門生として修身し1357年(恭6)監試に合格、1360年文科に首席合格して1362年芸文館の檢閱・修撰となりました。
 
1363年東北面都指揮使ハンバンシン韓邦信の従事官として西北面(平安道)地域から女真族を追って来たリソンゲ李成桂に加勢して女真族討伐に参加、その後典寶都監判官・典農寺丞を務めました。
 
父母の葬礼に際し礼節を尽くしたと1366年国から孝子門を下賜されて居ます。
 
翌年礼曹正郎博士を兼任、太常少卿と成均館司藝・直講・司成などを歴任し儒者としての地位を固めて居ます。
 
1372年書狀官として明に行く途中暴風雨により船が難破し、一行12人が溺死しましたが、幸いな事に鄭夢周は13日間死境を彷徨うも明の救助船に救出され、翌年帰国しました。
 
<イソンゲとチョンモンジュ>
 
慶尚道按廉使・右司議大夫などを経て、1376年(禑王2)成均館大司成になりますが、イインイム李仁任・チユン池奫などが主張する
「排明親元」(明を排斥して元と親しくする)の外交方針に反対してオンヤン彦陽に流刑され翌年釈放されました。
 
当時倭寇の侵奪が激しかったので彼の主張により、使者を日本に送って和親を図ろうとしましたが、却って使者が逮捕されやっとの事で帰って来る事件が発生しました。
 
 
その事で鄭夢周に恨みを抱いた権臣たちにより、九州地方に行って倭寇の取締りを要請する任務を担う事になりました。
人々が皆彼の安全を危惧しましたが恐れる様子も無く日本に渡り、交隣の利害を説明して任務を遂行、倭寇に捕まって居た高麗の民数百人を帰国させる成果を挙げ戻りました。
 
1380年に助戦元帥として李成桂に従い全羅道雲峯で倭寇を討伐しました。
この様に李成桂の片腕としての存在感を醸し出し、彼より絶大な信頼を得ます。
 
 
1384年の聖節使としてに行きました。
当時明は高麗に出兵しようと企図し、歲貢を増額するなど無理難題を吹っかけ両国の国交関係を悪化させていましたが、彼は使者の任務を果たし、緊張状態の関係を解消する大きな功を立てました。
 
高麗を立て直す為に李成桂と連合の道を選び、1389年李成桂と共に恭讓王を擁立、様々な功臣の号を受けて居ます。
 
しかし、1390年李成桂一派と反対勢力の葛藤が起き、李成桂一派はこの事件を契機に反対派を根こそぎ除去するべく獄事を起こしましたが、彼は当時朝廷から退いた旧派政客らを弁護して、却って弾劾を受けて居ます。
 
これは、反対勢力で有っても正義を優先する彼の信条が良く現れて居る出来事と言えます。
 
彼は地方の守令を清廉で潔白な人物を選んで任命し、監査を厳密にするなど紀綱を正す様に努め、無駄に採用される官員を無くし立派な人材の登用に努めました。
 
<六龍が飛ぶのリバンウォン役のユアイン>
 
ソウルには五部学堂を建て、地方には郷校を置いて教育の振興を図りましたし、貧民救済漕運円滑化など 傾く国運を立て直そうと努力して居ます。
 
1392年「大明律」・「至正條格」など明の法律と本国の法令を修正して新たな法律を作成、国の法秩序を確立しようと努力しました。
 
当時李成桂の威厳がますます高まり、趙浚・南誾・鄭道傳などが李成桂を国王に推戴するつもりで有る事を知ってこれらを除去しようとしました。
 
<ソンジュクキョ善竹橋>
 
そんな中、李成桂が黄州で狩りの途中馬から落ちビョクランド碧瀾渡で静養して居る事が分かると、その機会に李成桂の取り巻きを除去しようと図りました。
しかし、これに気付いたリバンウォン李芳遠が父・李成桂に危急を告げ、その夜に開京に戻り逆に鄭夢周を除去する計画を練りました。
 
 
鄭夢周もこれを知って情勢を見る為、李成桂を見舞いましたが帰宅途中ソンジュクキョ善竹橋でリバンウォンの刺客に殺害されました。
 
今も開城に国宝として保護されて居る石橋・ソンジュクキョに彼の血痕が残って居ると案内員の説明が有ります。
 
 
李成桂は彼を除去しようと持ち掛ける
度重なる勧告にも耳を貸さず、彼の才能を惜しみ最後まで自分の味方に引き入れる事を画策し、彼を誅殺したリバンウォン李芳遠をなじり、彼の死を惜しんだと言います。
 
機を見る事に疎く、愚直な程に高麗への忠誠を貫き通した彼の人生は元親友だったチョンドジョンのそれと対局を成すと言えます。
 
<チョンドジョン>
 
その様な人生から、チョンドジョンの評価が今尚賛否両論で有る事と正反対に、朝鮮王朝期全時代を通じてチョンモンジュ鄭夢周は儒者、忠臣、愛国者の誉れとして祀られ、人々の尊敬を受けて居ます。
 
儒学者としても前述の通り幼い頃から学問を好み、性理学の造詣が深かったそうです。
当時「朱子集」の鄭夢周の講議が意表を突く程優れて居ましたが、その内に宋の儒学者胡炳文の「司書通」が伝えられ、その内容が鄭夢周のそれと互いに合致する事を知り皆多いに感心したそうです。
 
<丹心歌碑>
 
鄭夢周の詩文は豪放で、詩調「丹心歌」は鄭夢周の忠誠を代弁する作品として後世まで多く語られて居ます。
これについてはワンポイントコラム
「シジョ詩調」で紹介しましたのでよろしければご覧ください。
 
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『427.現代にも残る詩歌?(OC127 時調シジョ)』ワンポイントコラム127.時調シジョドラマ「六龍が飛ぶ」を見て居るとチョンモンジュ鄭夢周がリバンウォンに善竹橋で誅殺される定番の場面が有り、これまた定番の「丹…リンクameblo.jp

 

文集に「ポウン圃隱集」が伝えられて居ます。

 
大司成リセク李穡は鄭夢周を高く評価し「東方理学の始祖」と崇めました。
政治的にもチョンモンジュ鄭夢周は高麗末の困難な時期に政丞の地位に上り、いくら大変な事に出くわしても静かに理詰めで処理し、清廉潔白で有ったと評価されて居ます。
 
1401年(太宗1)大匡輔國崇祿大夫領議政府事修文殿大提學監藝文春秋館事益陽府院君が追贈され、1517年(中宗12)2つの王朝に仕えず、2君にまみえなかった旨を明らかにし、スンヤン崧陽書院など13個の書院に祀られました。
 
史劇でもドラマ「チョンドジュン」など高麗末期、朝鮮王朝初期のドラマには必ず彼が登場して、ドラマの深みに味を添えて居ます。
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전

 

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