第12章 朝鮮の人物-12 古代中世12
太祖王建テジョ ワンゴン
今回紹介する人物は皆さん良くご存知の
高麗王朝のテジョ太祖ワンゴン王建(生年877〜943)です。
建国神話や歴史篇でも述べて居ますので、
重複しない範囲で述べたいと思います。
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彼は在位918年~943年、姓は王、名前は建、字(あざな)は若天、生まれは松嶽(開城)、父は金星太守だった王隆、母はハン韓氏です。
後期新羅が分裂した後三国時代、朝鮮半島中部地方を席巻したクンイェ弓裔がチョルウォン鉄原に都を定めた頃、弓裔の部下となりました。
900年に弓裔の命令で広州・忠州・靑州・唐城・槐壤などの郡県を打って平定した功績によりアチャン阿湌となりました。
903年3月には艦隊を率いて西海を航海、後百済の錦城郡を攻撃、陥落させ、近隣の10以上の郡県を奪い帰還しました。
ちなみにこの時、弓裔は金星郡をラージュ羅州に改名して居ます。
また、良州帥キムインフン金忍訓が危機を訴えると救援するなど、弓裔と周囲の信頼を得てアルチャン閼湌に昇進し、913年にはパジンチャン波珍湌に上りシジュン侍中となりました。
その後弓裔の失政が重なるとホンユ洪儒・ベヒョンギョン裵玄慶・シンスンギョム申崇謙・ボクジギョム卜智謙などの推戴を受け、918年6月に弓裔を追い出し新しい王朝の太祖となりました。
チョルウォン鉄原の布政殿で即位して国号を高麗、年号を天授としました。
しかしこの頃彼には多くの難関が待ち構えていました。
まず内にはハンソンギル桓宣吉・イフンオム伊昕巖など、王権に挑戦する敵対勢力に対処する必要が有りました。
また民心を収拾、豪族勢力を懐柔、包摂する対策を講ずる必要が有りました。
太祖は即位当初から民心安定に最も重点を置き、新羅末期以降乱れた土地制度を正し、弓裔の過酷な収税を軽減する措置を講じました。
また新たな政治勢力として登場した豪族勢力には、有力な豪族の娘と政略結婚し、地方の豪族を優遇・包摂するなどの政策を展開して行きました。
そして919年(太祖2)1月には開城に都を移して居ます。
これと共に外には後百済キョンフォン甄萱の勢力に対抗する戦いが伴いました。
新羅・後百済・高麗の後三国が本格的に展開されたのは920年からですが、太祖は新羅に対し親和政策を採りました。
それは後百済との戦いに勝つ為に、新羅との親善が必要だったからです。
彼はこの年の10月に甄萱が新羅を侵犯すると新羅に救援兵を送って居ます。
一方後百済とは和戰両面政策を採りました。
後百済との軍事的対決で高麗は当初劣勢を免れませんでした。
後百済は高麗と新羅の通路を遮断する目的で、今の慶尚北道安東一帯を軍事的に圧迫しました。
この地域は高麗も重要視した為、激しい戦闘が続きましたが、930年コチャン古昌の戦闘で甄萱の主力部隊を大破する事により、ようやく優勢に立つ事が出来ました。
この様に彼は、新羅・後百済との微妙な関係の中で、新しい王朝の安定と国力伸長の為に努力し、着実に力を得て居ます。
王建は弓裔や甄萱に無い新しい時代の要請に応える政治的力量を持ち、短い期間に新しい王朝の王権を安定させる力を備えて居たと言えます。
遂に935年、王室内紛により王位から追放された甄萱を迎え入れ手厚く待遇し、同年10月に新羅王の自主的降伏を受けるに至りました。
これにより高麗が後三国統一の主役となる可能性が確実になりました。そしてとうとう、936年後百済と一善郡付近にて最後の決戦を繰り広げ、後百済を滅ぼし後三国の統一を達成しました。
我が国初の統一王朝成立です。
この事実は「三韓一統」と後々迄語り継がれ、近代に於いても重大な影響を与えました。
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彼は統一直後、「政誡」1巻と「誡百寮書」8編を執筆、中外に頒布して居ます。
この著述は、新しい統一王朝の政治と臣下たちが守るべき掟を訓戒する内容ですが、現在伝わりません。
そして死ぬ少し前に大匡バクスルフイ朴述熙を内殿に呼び入れ「フンヨシプジョ訓要十條」を親授して、後継者が手本にする様お願いして居ます。
「フンヨシプジョ訓要十條」は太祖の政治思想を窺わせる貴重な史料ですが、
現在残る史料は朝鮮王朝編纂の史料で有り、
改竄の可能性を排除出来ない為、扱いに注意が必要です。
彼は統一後の948年逝去しました。
諡号は神聖です。
彼を描いたドラマは有名な「太祖王建テジョワンゴン」が有ります。
200話、最高視聴率60.8%を記録し、
ドラマ「ホジュン」と共に史劇のレジェンドとして君臨して居ます。
あらすじを。
新羅が三国を統一して230年。
衰退した新羅では王位剥奪合戦が繰り返され、豪族や民衆が反乱を起こし、貴族は独自に勢力を保持していた。
農民出身であり西南海で軍功を立てて頭角を現したキョンフォンは、百済の領土だった土地に後百済を建国する。
一方、高句麗だった地では僧侶であたクンイェがそのカリスマ性を武器に民衆の心を掴み、勢力を強めていた。
しかし、クンイェは次第に権力に固執して暴政を振るうようになる。
それを見かねた王建は反旗を翻し、自ら王となって高麗を建国する。
王建は2国に対して和合を唱え、新羅との合併を果たし、キョンフォン率いる後百済との長い戦いにも勝利して半島再統一の偉業を成し遂げる。
(引用 BS朝日 公式サイト)
これまた「コジョン高宗 スンジョン純宗 チェスジョン」のチェスジョンが主演しており、彼の人気を不動にして居ます。
私もまだ未見なので、是非観たい作品です。
太祖テジョ王建ワンゴンの名前は我が国初の統一王朝高麗王朝の名前と共に、未来永劫我が国の歴史において輝く存在で有る事でしょう。
<参考文献>
한국민족문화대백과사전