<ドラマ アスダル年代記>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
131.古朝鮮の謎①檀君神話タングン シンファ(シヌァ)
 
 
 
 
現在137話まで進んで居るワンポイントコラムですが、とうとうネタ切れになって来ました(笑)。
 
仕方が無いので、切り札を出します(笑)。
檀君神話タングン シヌァについてです。
ウリハッキョを出た方々は
良く知って居る筈です。
 
と、それだけでは面白く無いので、古朝鮮の謎と一連の流れを述べる事にしました。
 
まずは初めて檀君神話を収録した一然イリョン「三国遺事」の件(くだり)をご覧下さい。
 
 
まずは原文を、そして訳文を載せます。
 
魏書云 乃往二千載 有壇君王儉 立都阿斯達(經云無葉山 亦云白岳 在白州地 或云在開城東 今白岳宮是) 開國號朝鮮 與高同時 
 
古記云 昔有桓因(謂帝釋也) 庶子桓雄 數意天下 貪求人世 
父知子意 下視三危太伯 可以弘益人間 乃授天符印三箇 遣往理之 雄率徒三千 降於太伯山頂(卽太伯今妙香山) 神壇樹下
 
謂之神市 是謂桓雄天王也 
將風伯雨師雲師 而主穀主命主病主刑主善惡 凡主人間三百六十餘事 在世理化 
 
時有一熊一虎 同穴而居 常祈于神雄 願化爲人 時神遺靈艾一炷 蒜二十枚曰 爾輩食之 不見日光百日 便得人形 熊虎得而食之 忌三七日 熊得女身 虎不能忌 而不得人身 熊女者無與爲婚 故每於壇樹下 呪願有孕 雄乃假化而婚之 孕生子 號曰壇君王儉 
 
以唐高卽位五十年庚寅(唐高卽位元年戊辰 則五十年丁巳 非庚寅也 疑其未實) 
都平壤城(今西京) 始稱朝鮮 又移都於白岳山阿斯達 又名弓(一作方)忽山 又今彌達 御國一千五百年 周虎王卽位己卯 封箕子於朝鮮 壇君乃移藏唐京 後還隱於阿斯達 爲山神 壽一千九百八歲 
 
唐裵矩傳云 高麗本孤竹國(今海州) 周以封箕子爲朝鮮 漢分置三郡 謂玄 -樂浪-帶方(北帶方) 通典亦同此說(漢書則眞臨樂玄四郡 今云三郡 名又不同 何耶)
 
原文の漢文を読める方は
チャレンジをどうぞ(笑)。
 
 
私達朝鮮大学校の「歴史・地理学部」(当時)では1年生の漢文の授業で解読させられました(笑)。
 
次に訳文をどうぞ。
多少私の「超訳(意訳)」が入ってます。
 
『魏書』でこう言った。「今から2,000年前に檀君王儉タングンワンゴムが居た。
彼はアサダル阿斯達(經には無葉山とし、または白岳とも呼んだが、白州に有った。或いはまた開城の東に有ったとも有る。これは、まさに今の白岳宮である)に都を定め、新たな国を立て国号を朝鮮と呼んだので、これは堯帝と同じ時期だった。」
 
 
また、『古記』ではこう言った。「昔ファニン(桓因;ジェソク帝釋をいう)の庶子ファヌン(桓雄)と言う者が居たが、いつも天下を占める志を持ち、人が住む世界を欲していた。その父が息子の志を知り、三位太白山を見下ろすと、広く人間世界に利益を与えられそうで有った。
 
ここにファニンは天符印三つをファヌン(桓雄)に与え、人間の世界を治めさせた。
ファヌンは、群れ3,000人を率いて太白山の頂(すなわち太白山は今の妙香山)のシンダンス(神檀樹)の下に降りて来た。
 
ここをシンシ(神市)とし、これを桓雄天王と呼ぶ。
彼はプンベク(風伯)・ウサ(雨師)・ウンサ(雲師)を率いて穀物・寿命・病気・刑罰・善悪などと、凡そ全ての人間の360余種の仕事を主管して、世界を支配し敎化した。
 
 
この時、虎一匹と熊一匹が同じ洞穴の中で暮らして居たが、彼らは常にシンウン(神雄)、すなわちファヌンに祈り、人になることを願った。
 
この時シンウンが神霊なヨモギ一握りとニンニク20個を与え「お前たちがこれを食べ、百日の間に光を見なければ、すぐに人になれる」と言った。
 
ここに熊と虎がこれを受けて食べ、サムチルイル(3X7=21日)の間、気をつけた所、熊は女性の体に変わったが、虎は辛抱出来ず人の体は得られなかった。
熊女は結婚して一緒に住む人が無い為、日々シンダンス(壇樹)の下で赤子の誕生をお祈りした。
 
桓雄がしばし偽り変化して彼女と婚姻した所、すぐに妊娠して息子を生んだ。
その赤子の名前をタングンワンゴム(檀君王儉)としたので有る。
 
檀君王儉は唐堯帝が即位してから50年の庚寅年(堯が即位した元年は戊辰年である。だから50年は丁巳で庚寅では無い。これが事実か否か疑わしい)に平壌城(今の西京)に都して初めてチョソン朝鮮と呼んだ。
 
<タングン>
 
また、都をベクアクサン白岳山アサダル(阿斯達)に移動した所、クンホルサン(弓忽山;別名パンホルサン方忽山)とも呼ばれて、金クムミダル(今彌達)とも呼ばれている。
彼は1500年の間、ここで国を治めた。
 
周の国虎王が即位した己年、箕子を朝鮮に封じ、ここにタングン(檀君)はチャンダンギョン(藏唐京)に移ったが、後に戻ってアサダルに隠れて山神となり、年齢は1908歳だったと言う。 」
 
唐の「ぺグジョン(裴矩傳)には、この様に伝える。「高麗は、元のコジュククク孤竹国(今のて海州)であった。周の国で箕子を封じて朝鮮とした。
 
漢の国は3郡に分けて(郡を)設置したので、これはすなわち玄土・楽浪・帶方(北帶方)である。 」
「通典」でもやはりこの言葉と同じで有る(漢書にチンボン眞蕃・リムドゥン臨屯・ランラン楽浪・ヒョント玄土の四郡となっている。
しかし、ここでは3郡となっており、その名前も同じで無いからどんな理由であろうか?)。
 
以上です。
カッコ書きは全て著書イリョンのものです。
彼なりに古文の解釈をして居る所が面白いです。
 
<三国遺事>
 
檀君神話が記録として伝わったのは上に挙げたイリョン一然「三国遺事」が最も古い物です。
その後、朝鮮時代にも「ウンジェシジュ應製詩註」の様に檀君神話の複数の記録が有ります。
 
しかし、朝鮮王朝時代の儒学者たちは檀君神話の内容が荒唐無稽であると考え、古朝鮮の存在は認めるも檀君王倹の存在には疑問を呈しました。
 
檀君と古朝鮮の存在を完全に否定する見解は、20世紀に入って日本官学者によって提起されました。
 
 
これらの論拠は、おおよそ次のとおりです。
 
❶まず、檀君神話が載っている最も古い記録である「三国遺事」は、13世紀に書かれた物で、古朝鮮は紀元前2世紀頃に滅亡したのだから、その時間的差異はなんと1500年を超えており、「三国遺事」に載っている檀君神話を信頼する事は困難である。
 
❷そして檀君神話に登場するファニンは、サンスクリット語の「チェファニンタラ(提桓因陀羅:天帝)」から借用した言葉で、4世紀以降仏教が受容された以降に使用された用語と言う点、
 
❸ プンベク(風伯)・ウサ(雨師)・ウンサ(雲師)なども道教的な用語として古朝鮮時代の神話に入る事が出来ない用語で有るという点
 
などが主な論拠でした。
 
<中国 山東省のレリーフ>
 
なので檀君神話はモンゴルとの30年にも渡る抗争の中でアイデンティティ鼓舞の為、
高麗後期に作られたとの見方が提示され、今も日本学会の定説となって居ます。
 
しかし、解放後我が国の学者達によって反論がなされて居ます。
 
例えば5世紀中葉の高句麗壁画古墳である「ガクジョ相撲塚」檀君神話のモチーフを盛り込んだ壁画が描かれており、注目を集めて居ます。
つまり、多くの鳥がとまっている大きな木の下に熊と虎が互いに座る壁画が描かれて居るのです。
 
<相撲塚の壁画>
 
熊と虎は檀君神話での非常に重要なモチーフです。
さらに、鳥は空と人間の世界を繋ぐ空の使者と信じられて来ました。
 
この信仰から、鳥がとまる大きな木は一種の信仰の対象、すなわち檀君神話のシンダンス神檀樹に想定する事が出来、この壁画は檀君神話の主なモチーフを含んで居ると解釈出来ます。
 
勿論、いくつかの類似したモチーフだけで壁画が檀君神話に関連付け出来ると断定する事は難しいです。
 
ただし、この壁画史料が5世紀頃に作られたという点で、少なくとも檀君神話と同様のモチーフが非常に早い時期から朝鮮半島とその周辺地域に広がって居た事だけは確認出来ます。
 
<太王四神記>
 
この様にたとえ「三国遺事」以前の記録で檀君神話の存在が確認されて居ないとしても、檀君神話を高麗時代の創作品と見る事は出来ません。
 
何故なら、たとえ現在伝わる檀君神話に仏教⋅道教的用語が登場するとしても、これは単に後代にこれらの用語を使って潤色した物と見る事が出来るからです。
神話とは本来人々に膾炙(かいしゃ)され付け足されて伝わる物なのです。
 
❶ファニンと言う存在は本来空の神、天神という概念をジェソク帝釋信仰が流行した高麗時代の仏教用語に変えて表現した物に過ぎないと見ます。
 
プンベク(風伯)・ウサ(雨師)・ウンサ(雲師)という用語も農耕社会では当然崇拝する風神⋅雨神⋅雲神を道教用語に変えた物に過ぎないと見ます。
 
檀君神話がいつ登場したのかは、いくつかの後代的な用語で判断するのでは無く、檀君神話の神話的構造と主要モチーフが果たしてどの時期の歴史的産物であるかに焦点を当てるべきなのです。
 
 
檀君神話の核心は、天神の息子であるファヌン桓雄がシンダンス神檀樹の下に降りて来てシンシ神市を開き、多くの群れを率いて世界の仕事を主管している途中、熊女と組み合い檀君を生み、この檀君が古朝鮮を建国したという内容です。
 
❷この様に建国の始祖が天神の息子という天孫降臨型の神話は、近くは高句麗のチュモン朱蒙神話や新羅のパクヒョッコセ朴赫居世説話、伽耶のスロ首露王の物語をはじめ、北東アジアに広く分布する古代国家の建国神話です。
 
 
❸そして獣と結合して建国の始祖が生まれたと言う神話も、古代的な考え方の一つとして、特に熊を氏神とするトーテム信仰はシベリア一帯に分布したツングース族の古アジア族の間で広まっている信仰です。
 
この様な面から見ると、檀君神話は北東アジア一帯の古代神話のタイプとしてよく見られる内容で、その点でこの地域の古代国家の建国神話として全く遜色のない内容と構成を備えていると言えるのです。
 
❹次に、ファヌン桓雄が空から太白山神檀樹の下に降りてそこにシンシ(神市)を設けたという内容では、山岳信仰の形も伺う事が出来ます。
 
シンダンス神檀樹は人間に変身した熊女が妊娠する事を願っていた所でも有り、太白山と神檀樹は天上の世界と人間の世界が出会う接点でも有ったのです。
 
 
<太白山 天祭壇>
 
同様の山岳信仰の形は伽耶王国の始祖キム・スロ金首露がグジボン龜旨峰に降りて来た説話でも見つける事が出来ます。
すなわち、檀君神話の太白山やキム・スロ説話のグジボンは天神を迎える場所として宗教行事や祭天イベントが実施される所という意味で、山岳信仰の姿を推測する事が出来ると言えるのです。
 
このような山岳信仰はシベリアや日本の神話に表出される、いわゆる「宇宙山」または「世界の山」という姿と関連づけて見ることが出来ます。
 
もちろん檀君神話の太白山がこの世界と宇宙の中心という表現はされて居ません。
しかしファヌンが「三位太白」を見下ろしファヌン桓雄に天符印を与え、桓雄が太白山頂上に降りた内容を見ると、太白山が世界の中心という意味が込められていると思われるのです。
 
以上の様な点で檀君神話に見える山岳信仰も古代初期の信仰の一つと考えることが出来ます。
 
これら幾つかの特徴を見て、檀君神話が古朝鮮当時に形成された建国神話と見るのが妥当だと言う結論を下す事が出来るのです。
 
次回はもう少し詳しく檀君神話を見たいと思います。
 
↓↓コチラです↓↓↓
<参考文献>
국사편찬위원회  우리 역사넷
한국 민족문화대사전
단군신화 네이버블로그

 

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