第7章 韓国ドラマ映画
51.六龍が飛ぶ❷육룡이 나르샤
上記ドラマ遂に完走しました。
50話、流石にキツいです。
テレビのプログラムに便乗して観て行くのもそれなりに辛いですが、いっぺんに何話も観て行くのは違う意味でエネルギーが必要になります。
↓↓前回のをご覧になる方はコチラ↓↓↓
このドラマ、ムミョン(無名?)やファサダン花師団など秘密組織が多く登場し、サブストーリーになって居るので分かりにくく、色んな筋を一緒に追って行かないといけないので頭がこんがらがります。
その上、前回も言いましたが、堂々巡りで中々進展しないので、前半はダレて飽き飽きします(笑)。
ムダな枝葉が多いのです。
それらは基本フィクションなので、オマケだと思うと尚更邪魔です(笑)。
そんな事せずに話数を半分に減らして欲しいと思ってしまいます。
ドラマを楽しみたいのか歴史を楽しみたいのかの違いだと思うんですけど。
史劇はフィクションが付き物ですから、それが嫌なら観るなと言われそうですね(笑)。
6人の群像劇として青春一代記を描いた面は斬新で特筆すべきだと思います。
その内の半分は架空の人物で、彼らの活躍を見せる為、アクションシーンが多いです。
武侠ドラマかと見間違える程です。
朝鮮王朝時代のドラマは政治的な陰謀劇になりがちなので、 違いを狙ったと思いますが珍しいです。
同じ時代、同じ人物を扱う史劇として最近、KBSの「チョンドジョン鄭道伝」を観たばかりだったので2つの違いが際立ち、面白かったです。
あちらはムダな枝葉は無く、殆ど史実に則り描いて居ますので。
基本的なベースになる「根の深い木」뿌리 깊은 나무や「龍の涙」용의 눈물 を見て居ないので、それらを観た上で観たら描き方の違いをより楽しめたのでしょうね。
題名は「六龍」で、一応6人を描いては居るのですが、主役は何と言ってもユアイン演じるリバンウォン李芳遠です。
サブはキンミョンミン演じるチョンドジョンで、彼は流石の存在感を出して居ますが、この2人以外はハッキリ言って脇役です。
太宗テジョンことリバンウォン李芳遠は兄弟親族を殺して王座を奪った非道な武闘派的な人物をイメージしてしまいがちなので、そのギャップに酷く苦しみました(ちょっとオーバーな表現で言ってます)。
なので、気になって彼について少々調べました。
すると意外な側面が。
しばしリバンウォンの生涯を見る事にしましょう。
テジョン太宗ことリバンウォンは1367年(恭愍王16年)ハムフン咸興でリソンゲ李成桂と第一夫人シンイワンフ神懿王后 ハン韓氏の5番目の息子として生まれました。
リソンゲの子女は8男5女と多く、他の息子は武人として成長しますが、バンウォンは子供の頃から武芸よりも学問が好きで、良く勉強したと言います。
1382年(偶王9) に進士試、翌年に文科に親の七光り無しに7番目と言う優秀な成績で合格し、リソンゲが涙を流し喜んだそうです。
1388年威化島回軍の当時、故郷に避難しており、リセク李穡に伴い明への使節として行った後に、父を助けて高麗王朝勢力の除去に尽力しました。
1390年仕官、翌年実母が死亡すると喪に服し墓守りで帰郷して居ますが、鄭夢周一派が李成桂を除去する計画を立てると、継母で有る神徳王后カン康氏の呼び掛けに応じて墓守りを中断させ開京に戻りました。
1392年(恭譲王4)に李成桂が狩りの途中、馬から転げ落ち負傷する事件が起こりました。
鄭夢周はこの事件をきっかけに李成桂勢力を追放して、これまでの改革法令を廃止しようとする計画を立てます。
バンウォンは父李成桂に鄭夢周を除去する事を勧告しましたが、李成桂は信義から反対し、逆に鄭夢周を自分側に付く様に説得せよと彼に命じます。
バンウォンは鄭夢周を自宅に招き、鄭夢周は情勢を知る為訪問しました。
バンウォンと鄭夢周がこの時交わしたシジョ時調が前に紹介したハヨガ何如歌とタンシムガ丹心歌です。
↓↓時調はコチラ↓↓↓
結局、鄭夢周を懐柔する事は出来ず、
無理な人物だと結論を下したバンウォンは彼を除去する事を決意し、善竹橋で誅殺しました。
その後も反対派を除去し、李成桂を中心とした新進勢力の基盤を堅固にし、新しい朝鮮王朝の建国に大きく貢献しました。
1392年李成桂が太祖に登板し、バンウォンはチョンアングン靖安君に封ぜられました。
年長者を王世子に立てる原則により太祖の長男リバンウ李芳雨を立てるべきですが、高麗と密接な関係が有る為除外され、臣下は年齢と功労を勘案し、次男で実質の長男リバングァ李芳果又はバンウォンを世子に立てるべきと進言しました。
特にリバンウォンが太祖の息子の中で最も多くの功を立て第1候補でしたが、当時実権を握って居たチョンドジョンは「王権よりも臣権で国を治めるべきで、そうしてこそ国政が安定する」と唱え、彼が王位に登ると自分たちを除去すると恐れ、継妃の息子8男パンソク芳碩を選択しました。
1394年彼は元モンゴル官僚で朝鮮の外交官チョバン趙胖に伴い燕京(ペキン)と南京を訪問し、
明の太祖朱元璋と4男で後の永楽帝とも会って居ます。
異腹弟のバンソク芳碩が世子に冊封されると元第1夫人所生の王子たちは大きく不満を表し、それは誰よりも朝鮮建国に功の有ったバンウォンも同じでした。
彼らは軍事力を有して居たので、宗親の政治参加を禁止する原則に違反するとしてチョンドジョン鄭道伝は建国の初めから太祖の指示の下、私兵廃止を推進しました。
これに反発したバンウォンは1398年父王太祖が寝たきりである事に乗じ、妻の後援を受けハリュン河崙など私兵廃止反対勢力、宗親、外戚と結託して「第1次王子の乱」を起こし鄭道伝、沈孝生などの功臣と異母弟であるパンボン芳番・世子パンソク芳碩などを殺害し、政権を掌握しました。
この事件が有り間も無く、太祖は権力の懐疑を感じ、次男パンクァ芳果に位を譲って咸興に発ってしまいました。
王位を受け継いだ太祖の次男芳果が
即ち朝鮮の第2代国王チョンジョン定宗です。
この時、父李成桂の異腹兄である李元桂の息子達が彼を支持してリバンウォンが国政を掌握しました。
しかし、兄弟たちの間で再び混乱が発生します。
第4子バンガン芳幹が王位を狙い1400年
「第2次王子の乱」を起こしたのです。
優れた将軍と兵士たちを擁していたリバンウォンは簡単に打ち払い、王位にまた一歩近づく事となりました。
その年正宗から王世子に冊封され、9ヶ月後譲位を受けて即位しました。
所謂(いわゆる)テジョン太宗です。
1401年明から朝鮮国王に冊封されました。
多くのドラマは概ねこれら史実に沿って居ます。
太宗は朝鮮初期の混乱を終息させる為に、官制改革を通じた王権強化と儒教政治に全力を注ぎました。
私兵を廃止して兵権を一元化、中央制度と地方制度を新たに整備して高麗の残滓を完全に失くしました。
兵曹の指揮権を確定し軍事制度を整備して国防力を強化、土地制度と税制の整備を通じ国の財政を安定、斥仏崇儒をさらに強化して、寺院を整理、寺院田を没収、また戶牌法、庶孼禁錮法などを実施して国家綱紀を安定させました。
彼が官僚をうまく制御する事が出来たのは、高麗末期に科挙に合格して、10年間官吏として過ごした経験が有ったからこそだと言われて居ます。
太宗は、王権の安定と強化の為には自らを応援してくれた功労者をも流刑・処刑しました。
これらの太宗の政策が当代と次の世宗代に朝鮮王朝が政治的安定と文化・軍事的発展を成す礎(いしずえ)となりました。
太宗は鋳字署を作りキェミジャ癸未字の活版を制作、直接これを監督しました。
↓↓金属活字はコチラ↓↓↓
後継者問題にも心血を注ぎました。
太宗の長男ヤンニョンテーグン讓寧大君は、王世子なのに学問研磨を怠り、自由奔放な活動が好きでした。
彼の廃位が有力視されると次男ヒョニョンテーグン孝寧大君は勉強に熱心に励みますが、父王太宗と王妃が弟のチュンニョンテーグン忠寧大君を念頭に置いている事を知ると失望し仏教に帰依しました。
1418年太宗は讓寧大君の放蕩生活を問い王世子から廃位、妻と相談の末、三男である忠寧大君を王世子としました。
太宗は1418年玉璽を忠寧大君(世宗)に渡した後、上王に退きました。
しかし上王になった後も、彼は4年間ずっと国政を監督し、兵権と人事権を掌握し続けました。
1422年鷹狩りの途中横になり、半月以上病床に着いた後、5月30日56歳で崩御しました。
この様に彼は朝鮮王朝の初期骨格を作ったと見て間違い無さそうです。
ドラマでユアインが長い事 髭(ヒゲ)を生やさず童顔な上、顔がツルツルしていて幼いイメージでした。
性格も気弱で真面目、一言で純真なイメージで巷間のリバンウォンとはかけ離れて居る様でした。
しかし、チョンドジョン鄭道伝と決別し王位を狙い始めた頃、厳密に言えば明から帰った時に髭を生やして登場し、強い印象を与える事に成功して居ます。
前半部分は正(まさ)しく関係性の薄い内容が延々と続きましたが、後半は大きな事件も登場し分かりやすかったです。
威化島回軍のちのチェヨン崔榮との戦闘場面などはKBSのチョンドジョンには到底及びませんでした。
聞けば予算や戦闘シーンのノウハウが大河ドラマを手掛けて来たKBSとは次元が違うとか。
その分フィクションの武侠シーンを増やして視聴者が見易くしてるのでしょう。
ユンギュンサンなど架空の人物の描き方がどうしてもおざなりになって居たのが残念でした。
視聴率は13%〜17%前後とまずまずだった様
です。
太宗リバンウォンの青春一代記的な描き方が斬新だったのでしょうか。
先にも挙げた通り、太宗に対するイメージが変化し、私にとっても有意義な視聴となりました。
<参考文献>
위키백과
나무위키
한국민족문화대사전
ブログ記事の書籍出版に向けて
現在クラウドファンディング挑戦中です。
ご協力ご支援お願いします。↓
#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画