<子供ドラマジャンプ 金属活字を守れ>

昨日この文章を作成した直後、
なんらかの理由でデータが消失してしまい、大ショックを受けましたが、
データを初期化してバックアップ復元にて奇跡的に復活しました。
時間はかかりましたが感謝です🥲
この文章、
再度書ける自信が有りません(笑)。
気を付けます。では↓↓↓
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
98.金属活字
 
 
 
 
今回は我が国で世界最初に発明された金属活字について見ます。
金属活字は鋳字とも呼ばれ、材料に応じて銅活字・鉄活字・鉛活字などに分けられます。
 
 
その内トンファルジャ銅活字は銅・亜鉛・スズ・鉛・鉄などの合金で作られた真鍮活字をいい、最も多く製作使用されました。
 
金属活字の発明と使用は我が国が世界で初めてですが、記録が伝わっておらず、それがいつ誰によって行われたか正確に知ることは出来ません。
しかし高麗時代、遅くとも13世紀前期に始まった事に間違い有りません。
 
 
現存しませんが「詳定古今例文」と言う本を1234年(高宗21年)活字で刷ったと言う記録から、
我が国初さらには世界初の金属活字本がこの時には既に存在した事を示しており、
共和国では金属活字の発明を便宜上1234年として居ます。
 
<詳定古今例文」と言う本を1234年(高宗21年)活字で刷った記録>
 
現存する世界最古の活字印刷本は1239年に印刷された「南明泉和尙頌證道歌」です。
この本には「禪門で最も重大な本で有るが、伝えることが難しく見にくいので、鑄字本を1239年に再刻して広く伝える」と注意書きが有ります。
 
<世界最古の活字印刷本 南明泉和尙頌證道歌>
 
特記すべきは、開京から遠く離れた地方寺院でもこの時期、活字を鋳造して仏教書籍を印刷した事実で、1377年淸州郊外の興徳寺が印刷した「白雲和尙抄錄仏組直指心体要節」によって鋳字による印刷が寺院にまで及んだ事を知る事が出来ます。
 
高麗の現存活字では開京(ケソン)の個人墓から出土したと記録されている『㠅』복ポク
の活字一個が韓国国立中央博物館に保管されています。
この活字は高麗の金属活字鋳造と組版技術史の研究で非常に重要な実物史料となって居ます。
 
<最古の活字『㠅』복ポク>
 
朝鮮王朝時代に金属活字は、世界の印刷文化史上その類例を見ないほど大きく発達しました。
 
1403年(太宗3)初めてチュジャソ鑄字所を設置して金属活字を鋳造しましたが、これがケミジャ癸未字です。
鋳造法が改良されたため、活字が比較的均等で、文字の形が同等に表示されています。
 
< ケミジャ癸未字>
 
また、高麗の『㠅』
の活字と比較して見ても活字裏面が改良されて居ます。
 
1420年に鋳造されたキョンジャジャ庚子字に至って印刷技術は第2段階に入りました。
小型化しながらも迫力あり綺麗に形成され、組版用銅板と活字を平らにし、互いによく合うように改良するなど発展が見えます。
 
3番目に改良された活字は1434年に鋳造したガプインジャ甲寅字で、大小文字が整然と並び、版組みに竹などを使用して完全組み立て制にするなど改良を施し、墨も濃く印刷が美しくなりました。
 
このように金属活字はカプインジャ甲寅字で絶頂に達したと言えます。
 
< カプインジャ甲寅字>
 
そしてこの時、初めてウリクル(ハングル)活字が鋳造併用された点が特記するに値いします。
ハングル活字は撮影された印本を見るとその優雅さや精巧度が我が国の金属活字の白眉とすることができます。
 
<ウリクル(ハングル)活字>
 
世宗期以来朝鮮王朝末期に至るまで、多くの種類の活字が作られましたが、活字系譜に上がった金属活字だけでも、その種類はなんと35種にのぼります。
朝鮮名筆家の字体を元にした活字が17種、中国の各時代の刊本字体を元にしたものが18種もあります。
 
余談ですが、1592年から起こった壬辰倭乱が別名「文化戦争」と呼ばれる程に陶磁器や書籍、工匠や文人など日本軍が持ち帰った朝鮮文化は多いですが、活字や印刷術も例外では無く、この時に伝わった印刷技術が江戸時代の印刷に大きな影響を与えました。
 
残念ながら、その時期をピークに朝鮮王朝で印刷技術の発展が下り坂に入る事を付け加えないといけません。
そしてヨーロッパで発明されたグーデンベルクの印刷術に大きく水を開けられる事になります。
 
<グーデンベルクの活字>
 
この事実には漢字(及びハングル)とローマ字の活字数の違い、中央集権で官僚制が確立した朝鮮王朝と封建領主制が市場経済(つまりは資本主義)を発展させたヨーロッパとの社会的差異も念頭に置く必要があります。
 
話は戻り、朝鮮王朝で鋳造は主に官衙で作られましたが、民間で作られた活字もありました。高麗から朝鮮王朝末期まで出た各種の金属活字本を調査•比較するとその鋳造に様々な形式を発見することが出来ます。
 
<製作過程>
 
金属活字の製作法は色々ですが我が国の方式は大まかに言って、まず蜜蝋(ろう)と硬く彫刻しやすい木に文字を裏返しエンボス加工(陽刻)で彫刻します。
そして彫刻された文字を砂型に打ち溶融金属を注ぎ鋳造します。
 
<チュジャソ鋳字署>
 
この鋳物砂を用いた鋳造法は一定のオミジャ(母字)を作成して、類似する文字は必要に応じて鋳型を刷って活字を作り出すので、その文字の形がすべて同等になります。
これは朝鮮の官鋳活字で見ることができる大きな特徴です。
 
<チュジャソ鋳字署趾>
 
朝鮮王朝の金属活字は1883年(高宗20)に設置されたパクムングク博文局で日本の新式•鉛活字が導入された後、徐々に廃れ韓末に至りました。
 
 
その最後の印本は、1914年に開催された朝鮮博覧会に展示された壬辰字本「靑丘詩鈔」だそうです。
 
この様に高麗から朝鮮王朝に掛けて世界有数に発達した印刷技術は、限界が有ったにせよ我が国の書籍文化を強く後押ししました。
 
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전 金属活字
조선 활자 인쇄술이 일본 古活字本 인쇄에 미친 영향
이재정 국립중앙박물관 학예연구관
우리 력사넷   인쇄문화의 발달
국가문화유산포털
<歴史ドキュメンタリー>