<映画 王になった男>
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
104.正月④陰暦と24節期
前2回の記事を通じて陽暦、陰暦について見ましたが、
↓↓前回のおさらいはコチラ↓↓↓
総合すると曆に関連し、一般的に誤った認識が2つ確認出来ます。
❶1つは陽暦は科学的で、陰暦は非科学的であるという認識です。
結論から言えば、陰暦が地球と月の運行に基づいて徹底的に科学的に構成されて居るのに対し、陽暦の十二の月と閏年などは、科学的根拠なしに任意に作られた暦です。
陽暦は地球が太陽を1回転するのに掛かる時間を1年として作られ季節と一致しますが、1ヶ月が28日から31日までランダムで、2月が28日になった理由や7月と8月が31日とされた理由に科学的根拠が無く、ローマの皇帝が勝手に作った数字です。
❷2つ目は農業には陽暦が合わず、陰暦が正しいという認識です。
陰暦は潮の干満を知ったり月を見て大体の日付を知ることが出来る長所がありますが、季節と日付けが一致せず、そのままでは農業に適しません。
これが陰暦の欠点で、非科学的だと思われやすい点でも有ります。
前回も触れましたが、陰暦の欠点を補う為に太陽の運行に基づいて二十四節気が考案され今も使用されて居ます。
二十四節気とは1年を24等分に分け、その時々の季節の特徴を表した暦です。
簡単に言って太陽の動きのカレンダーです。
今回はまずこの二十四節気について詳しく見ましょう。難しいので忘れても結構です(笑)。
前回も簡単に述べましたが、19年の間に7回入る閏月(うるうづき)を無造作には入れません。
地球から見える太陽の軌道を黄道と言いますが、太陽は黄道を自動的に移動して1年で地球を1回転します。
黄道に沿って春分点から15°の間隔に分けて24等分して、太陽が各点を通る時期に名前を付し二十四節気としました。
二十四節気は陽暦の月に2つ入りますが、上旬に入る節気を節気、下旬の物を中気と言います。
節気と中気の別は後述します。
二十四節気は陽暦と一致します。
春分は3月21日であり、夏至は6月21日頃、秋分は9月22日頃、冬至は12月22日頃になります。
節気と中気の間は15.2日位です。
したがって陰暦月にも通常、節気と中気が1つずつ入りますが、2〜3年に1度、節気だけあって中気の入らない月が出来ます。
中気の入らない月の次に閏月を入れます。
2回あれば、最初の月だけ入れます。
なので2年や3年に1回入り、正確には19年に7回入ります。
ちなみに二十四節気は太陽の位置を基準にしたので当然、気候や季節と関連が深いですが、天候には太陽の動きだけでなく大気の流れなど、幾つかの要素が関連するので地域ごとに違いが有り、
現二十四節気の名称は中国の華北地方を基準に決めたので、現代朝鮮や日本では名称と気候がよく合いません。
この違いは、古くから知られていて、日本でも2011年、気象庁で新しい二十四節気作成の話が有りましたが、伝統文化重視で反対が多く中止しました。
二十四節気は節気と中気に分けられていますが、節気は区切り、中気はそのあいだと思えば良く
節気–大雪、小寒、立春、啓蟄、清明、立夏、
芒種、小暑、立秋、白露、寒露、立冬、
中気–冬至、大寒、雨水、春分、穀雨、小満、
夏至、大暑、処暑、秋分、霜降、小雪、
です。
考え方は
竹の節➡︎節気(:区切り)
竹の桿(かん)➡︎中気 (:あいだ)
と言う風に考えれば良いです。
↓↓イメージです↓↓↓
<イメージ>
1 大雪〜(冬至)〜小寒が冬至の月:子月:11月
2 小寒〜(大寒)〜立春が丑月:12月
3 立春〜(雨水)〜啓蟄が寅月:1月
4 啓蟄〜(春分)〜清明が卯月:2月
5 清明〜(穀雨)〜立夏が辰月:3月
6 立夏〜(小満)〜芒種が巳月:4月
7 芒種〜(夏至)〜小暑が午月:5月
8 小暑〜(大暑)〜立秋が未月:6月
9 立秋〜(処暑)〜白露が申月:7月
10白露〜(秋分)〜寒露が酉月:8月
11寒露〜(霜降)〜立冬が戌月:9月
12立冬〜(小雪)〜大雪が亥月: 10月
となっており、
寅月,卯月,辰月(立春〜立夏)が春、
巳月,午月,未月(立夏〜立秋)が夏、
申月,酉月,戌月(立秋〜立冬)が秋、
亥月,子月,丑月(立冬〜立春)が冬に
なって居ます。
二十四節気の考え方、簡単な覚え方が有りますが紙面が足りないので、別記事にします。
リンク先をご覧下さい。
↓↓二十四節気の覚え方はコチラ↓↓↓
二十四節気は2016年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。
陰暦の話しに戻りますが、冬至の月で有る11月が子月と言う名前になって居る事にご注意を。
干支と同じで子から始まり亥で終わるのです。
つまり冬至の有る月を中心に月名を付けたと言う事ですね。
事実、朝鮮では冬至を小さな正月として祝う風習が有ります。
夏時代は寅月を、殷時代は丑月を、周時代,戦国時代は子月を正月としたと有り、秦の始皇帝は亥月を正月にしましたが、漢の武帝時に夏の暦を復元させて寅月を1月元旦に固定したと有ります。
こうして三番目の月を意味する寅月が先頭に来るようになり、寅月という言葉は消え正月という言葉を使うようになりました。
月名は全て数字で表され、冬至の月は11月と呼ばれる様になりました。
陰暦の正月は通常立春2月4日前後が多いです。
先程も言いましたが我が国では冬至も正月も両方祝日でした。
正月はおそらく冬を過ごし今後の春を祝って一年の豊作を祈願する、農繁期前の最後のお祭りだったのでしょう。
では、冬至の代わりに元日が一年の開始になった理由は何故でしょう。
幾つか理由が考えられます。
1.ケプラーの法則により冬至周辺の日は太陽の公転が速く不安定です。
また、その後冬が本格化し寒さが厳しくなります。冬至を1月1日にするには不適と言えます。
2.次の大寒の月(丑月)も大寒が冬至の月(子月)に入る事も有り、正月として相応しく有りません。
3.春分の月(卯月)を正月にするとすぐに季節が夏になります。
4. 寅月を起点にすると冬が終わりを見せ、春の気配を感じさせる時期として相応しく感じます。
5.実際冬至は、科学的にも哲学的にも良い意味を持ちますが、普通の人が冬至が正確にいつなのか分かり辛くも有りました。
元日は月の形を見て、比較的簡単に分かります。
この様に、冬至の日は本格的な冬に入る時ですが、元日は立春に近く、冬の終わりなので、人々が祭りを楽しむには冬至の日よりも元日がより相応(ふさわ)しかったはずです。
こうして上に挙げた幾つもの複合的な理由で元日が徐々に一年の始まりとして定着したのではないかと思われます。いずれにせよ冬至を中心に据えて居る事には間違い無い様です。
次回は我が国のお正月の歴史について述べたいと思います。
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<参考文献>
한 해의 시작은 언제인가
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