<チョンヘイン ソンイェジン
食事おごってくれる優しいお姉さん>
 
<ドラマイサンより>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
72.実学
 
 
 
 
朝鮮後期に実学(シルハク=シラク)が盛んになりました。
実学とは朝鮮後期18世紀を前後して現れた、当時の社会矛盾に対する反省の結果として儒学の範囲内で性理学を脱皮しようとする王道政治論で、「実事求是」の思想の元、民本と為民を唱えた前近代的社会改革思想です。
 
ブログ歴史篇を参考に↓↓↓
朝鮮後期の実学者と呼ばれる人々は、経世致用的(社会問題改革など)な学問を強調したり、自分の著書で実学という単語を直接話すこともしました。
 
著名な人物を紹介しながら簡単に彼らの思想を述べます。
 
1.リュヒョンウォン(柳馨遠1622 ~1673)は社会、経済の幅広い改革を主張し、彼の多方面的な学問体系は、当代から社会に有益な学問として評価されました。
 
<リイク>
 
2.リイク(李瀷1681~1763)は、学問は国を治め天下を安定させる為に有用なことを目指すべきだと力説し、自分が直接「実学」という言葉を使用しました。彼の号を冠したソンホ(星湖)学派が有名です。
 
全くの余談ですが、彼の号(ペンネーム)のソンホは私の名前と同じなので(漢字は別)とても親近感を感じ、私もペンネームで『リイク利益』を使ってます😅
 
 
3.ホンデヨン(洪大容1731~1783)は、「実学」という言葉を駆使して老壮思想、仏教、性理学などとは違う学問体系を示そうとしました。
天文学で有名です。
 
<パクチウォン>
 
4.パクチウォン(朴趾源1737~1805) の場合にも、農工商の道理を知る学問を「実学」と呼びながら農業や手工業、商業に従事している人々が自分の仕事を全う出来ないのは、士(支配階級)に「実学」がないからだと言いました。
彼は熱河日記や両班伝などの著作でも有名で、実学の3大巨頭の1人です。
 
5.チョンヤギョン(丁若鏞1762~1836)は、彼の著書で「実学」という言葉を使用しませんが、旧来の儒教性理学を「雑学」と貶め、国を治め民を安らかにする人材育成を主張しました。
 
↓↓↓チョンヤギョンについてはコチラ↓↓

 

彼はドラマ イサンなどにも登場する
正祖の最側近で、我が国、百科全書的実学者として有名です。
 
<チョンヤギョン>
 
こちらも余談ですが、ソンイェジンと共演したドラマ「食事をおごってくれる優しいお姉さん」などで主演の若手人気俳優チョンヘインは彼の直系6代孫で、彼と顔が似ているそうです。
機会があれば作品で是非ご覧に。
 
<チョンヘイン>
 
6.19世紀のキムジョンヒ(金正喜、1786~1856)の場合には、「実事求是」を重視する学問態度を強調しました。金石文の研究で有名です。
 
7.チェハンギ(崔漢綺1803~1879)は、士農工商にわたる実際を探求して実践する事を提唱しながら自分の実学思想を表現しました。
前に人物紹介したキムジョンホと懇意でした。
 
実学の形成は、彼ら自身が置かれていた現実の世界の分析を通して、朱子学に基づく性理学が現実世界とかけ離れたものと判断した事に始まって居ます。
実学は性理学者と同じように王道政治論を尊重しましたが、ここでも彼らは朱子学だけの基準を拒否して古(いにしえ)の学問に基づい王道政治論を提示しました。
 
<実学者博物館にて>
 
実学発生の原因を整理すると以下の通りです。
 
1.朝鮮後期の社会の経済的変化と発展現象に注目出来ます。
17〜18世紀以来、3度の戦争を経た朝鮮社会は中世の身分秩序が大きく崩壊していき、身分の上下移動が激しくなりました。
実学はこれら社会現象の正確な診断と対策を模索し、これを通じての改革思想が形成されたのです。
 
2.外来的要因にもよります。
実学思想の発達には、内在的な要因と共に国際情勢の変動や、この時期に伝来した西学と清の学問の影響も一定に作用して居ます。
中国に伝わった西学思想は朝鮮にも伝播され、17世紀以来中国で出版された各種の漢文西学書のうちの相当数が当時の知識人たちに読まれていましたが、その中には、カトリックの思想を論じる書籍と一緒に数学、天文学、農学、測量、地図のような科学技術系の書籍がありました。
 
この様な複合的要因により実学が形成されたと言えます。
 
<ドラマイサン正祖イソジン>
 
実学思想は、その当時明確な特定の学派を標榜しませんでした。
しかし、彼らの思想では相互の類似性が表れています。
このため、実学思想の体系化作業により、おおむね17世紀中葉のリュヒョンウォン(柳馨遠)以降を実学発生とみなして居ます。
 
タイプの区分として
❶經世致用学派(18世紀前半)
❷利用厚生学派(18世紀後半)
❸そして実事求是学派(19世紀前半)などで実学思想を分類します。
 
<ドラマイサンより>
 
一方、実学思想の類型としてその人的系譜を重視した場合、例えばソンホ(星湖)リイクの門下をソンホ学派と呼んだりします。
 
また、実学思想が発生した地域を中心にして、
①近畿學派(ソウル近郊)
②江華學派
③湖南学派(全羅道地方)
などと呼ぶ場合も有ります。
 
<ドラマイサンより>
 
他にも実学思想の学術特性を中心に分類する方法として
❶重農学派(農業重視派) 
 リュヒョンウォン,チョンヤギョン,リイクなど
❷重商派(商業重視)
 ホンデヨン,パクチウォン,パクチェガなど
❸経世致用学派(社会改革重視)
   リイクなど
❹利用厚生学派(技術革新重視)
 パクチウォン,パクチェガなど
❺ 実事求是学派(古典考証)
 キムジョンフィなど
❻北学派ブクハクパ(脱性理学的、清朝文化受容)
    ホンデヨン,パクチウォン,パクチェガ
などの分類が出来ますが、キチンとした分け方では無く、今の視点での分類なので重なる部分も多いです。
 
<ドラマイサンより>
 
実学は先も述べた様に、18世紀英祖と特に正祖の治世下で、彼の庇護の下(もと)大きく花開き、
14〜15世紀世宗期に次ぐ、朝鮮王朝第2次「ルネサンス」期と言える文化の成熟と社会の発展に大きく寄与しました。
 
実学はあくまで儒学の範囲内での改革を目指したので有り、儒学を否定した社会変革(革命)を目指したのでは無かったと言う限界が有ります。
 
しかし、社会改革の必要性を訴えた事により、後の19世紀に発生する開花思想発生の基礎となったと評価されて居ます。
 
<丁若鏞6代孫チョンヘイン>
 
今回は少し長く、難しかったでしょうか?
なるべく分かりやすく述べたつもりでは有りますが、専門用語が多く分かりづらかったかも知れず申し訳ありません。
 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전 実学
 

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<イサンのチョンヤギョン役ソンチャンウィ>