<解放後を取り上げ名作と名高いドラマ
黎明の瞳(여명의 눈동자)>
第2章 4節 現代-③
両国別名での建国に至るまで
皆さんは朝鮮と韓国どちらを名乗るか、呼ぶかで困りませんか?
私は拉致問題以来日本の人に朝鮮と言うのはタブーに近いので韓国や在日、コリアンとかを使いますが(最近は韓国も嫌韓で危ないが😅)
これも皆国名が2つに分かれているせいです。
<同じく傑作と名高いドラマ野人時代(야인시대)>
中国も(過去にはドイツ、ベトナム、イエメン)
アイルランド、スーダン、果てはキプロスまで同じ名前を名乗って居るのに。
経緯については以前韓国の由来でも簡単には触れましたが、おさらいを兼ねつつ現代史をメインに述べます。
まず前述のとおり1897年国号を朝鮮から大韓帝国ヘと変更した事により正式には大韓、略式では韓国と呼び、一般的には朝鮮も使われました。
500年も続いたのです、一朝一夕には変わりません。
詳しくは2.大韓、韓国どっちがホント?をご覧ください。
↓その時の空気を吸って下さい↓
<大韓民国臨時政府(臨政)記念写真>
しかし1910年韓国を併合した日本が呼称を朝鮮に戻した為、1919年三一独立運動後、民族主義者(右派)が上海で作った独立団体名を「大韓民国 臨時政府」(臨政림정)と名乗った事も 以前述べました。
「大韓で滅びたのだから大韓で興そう」が合言葉でした。
多分、支援を受けた蒋介石らの中華民国の影響も受けてると思われます。(それについては後ほど)
<ドラマ ソウル1945>
その後1920年代から活発化した共産主義者(左派)は対立する右派に対抗して右派が使用した「韓国」の呼称を受け入れず現実重視の「朝鮮」を名乗る事となります。
つまりこの頃から呼称がイデオロギー色を帯びた訳です。
↓名前の分裂 詳しくはコチラ↓
<朴憲永(パクホニョン)と呂運亨(リョウニョン)>
1945年8月15日の日本降伏に際し、国内の呂運亨(リョ ウニョン려운형)ら中道左派を中心にソウルにて9月6日、朝鮮人民共和国(조선인민공화국:人共인공)が宣布されますが、内外から拙速との批判を浴び、38度線以南に進駐して来たアメリカも認め無かった為、建国準備委員会(건국준비위원회:건준)として統一政府樹立を目指します。
ちなみにこの時各地に支部として作られた人民委員会(인민위원회)が後の共和国政府の母体となりました。(北朝鮮人民委員会:북조선인민위원회)
<朝鮮人民軍 建軍式:太極旗が異彩を放つ>
この時の人共(인공)の閣僚として李承晩(리승만)を大統領とし(本人は拒否)、金九(김구)、曺晩植(조만식)など左右翼の人士、帰国前の名士達も承諾無しで組閣しており、もし実現して居たら面白いと思う向きが有ります(実現性は乏しかったですが)。
解放後の南の空気を知りたい方には松本清張の「北の詩人」が秀逸でお勧めです。
戦争後に北にて反革命嫌疑で処刑される朴憲永(パクホニョン박헌영)ら南の左派の動きがリアルに描かれています。
私も高校時代に読んで、南の社会を揺るがした信託統治問題を深く理解しました。
まだの方は是非一読を(!)
<演説するイスンマン(李承晩)元大統領>
一方、党派争いと資金難で青色吐息状態だった
臨政(림정)は連合国としても亡命政府とも認められず、解放後もアメリカが凱旋帰国を拒否、金九(김구)らは個人資格でソウルに帰国しました。
彼らは単独政府を拒否しますが、反共にまみれた李承晩は戦前アメリカで広報活動や国会にてロビー活動を行なった圧倒的な知名度を以って、帰国するやアメリカと組み単独政権を画策します。
省略しますがモスクワ三相会議、ソ米共同委員会、南北連席会議等様々なドラマの後、アメリカは掟破りの国連決議を得て南朝鮮で単独選挙を実施。
<大韓民国 宣布>
袂を分かった金九が首相を務めた臨政(림정:李承晩は名誉大統領だった)を利用して自分達の政権の正当性を持たせる為に大韓民国(대한민국)を名乗ります。
つまり1919年よりの伝統を持つ国家と言う触れ込みですね。
<ドラマ ソウル1945>
余談ですが、民国とは中国で生まれた言葉で人民共和国と言う意味です。(人民共和国は日本生まれの言葉です)
つまり現代風に言うと大韓人民共和国(대한인민공화국)とでもなる訳ですね。
何となく反共をイメージしてしまう言葉なので不思議ですが、1911年辛亥革命で清朝を打倒してアジア初の共和国を建てた孫文が作った由緒有る言葉です。
今も台湾は中華民国と名乗って居ます。
<朝鮮民主主義人民共和国 創建記念
ピョンヤン市民群衆大会>
それに対抗して北でも総選挙を行い統一戦線的な政府として朝鮮民主主義人民共和国(조선민주주의인민공화국)を名乗り今に至る訳です。
何故こんな長い名前になったかと言うと…
資本主義を経験していない国が社会主義を目指す道として新民主主義(인민민주주의:人民民主主義)が有ります。
<共和国を宣布する故キムイルソン(金日成)主席>
詳細は省きますが、その言葉を裏返した訳ですね。2つのどちらの語も譲れないと金日成首相が言った言葉が有名ですが、この頃の歴史は朝鮮学校の生徒は現代歴史で散々習いました。
コチラも知る人は知る話ですが、北は単独選挙では有りません。
南地域では弾圧を避け間接選挙(代議士立候補を立て布に賛成反対を針と糸で紡ぎ代表が北に赴いた)を行いましたが、れっきとした南北総選挙で、現在劣勢の共和国ですが(笑)建国当時はこちらに正当性が有ったと言って良いでしょう。
この様な経緯により、今でも韓国で国家建設の正当性としては北に有ると言う意見やチュサ派(주사파:主体思想주체사상 つまり共和国支持派)が一定数存在する事も事実です。
そして統一問題で今でも韓国にとってコンプレックスとなって居ます。
結ぶと、1920年代からイデオロギー色を帯び出した呼称が「政権の正当性」の問題に飛び火した訳で有り、一言で右派と左派の運動の分裂による歴史の帰着点と見て良いでしょう。
<映画 ワンス アポナ タイム>
オマケとなりましたが、この時期を描いたドラマ「黎明の瞳」「野人時代」は今も名作とされ昨年再放送もされました。
他にも「土地」「ソウル1945」「京城スキャンダル」など、この時期を描いたドラマや映画が有ります。
映画「太白山脈」は韓国で南部軍ブームを巻き起こしました。
以上、呼称の分断過程、解放後まとめでした。
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<参考文献>
集英社編 日本の歴史
山川出版社 世界歴史体系 朝鮮史2
山川出版社 朝鮮現代史
朝鮮史研究会編 朝鮮の歴史
松本清張 北の詩人
祥伝社 孫崎享 朝鮮戦争の正体
<ブームを巻き起こした映画 太伯山脈(태백산맥)>