第2章 3節 近代-④ 大韓帝国と露日戦争
前回、甲午農民戦争の鎮圧と日清戦争を見ましたが、日本は朝鮮王朝政府にいち早く干渉し、
甲午改革を破綻させ、自らの要求する『改革』を貫徹させるべく親日内閣を組閣、
反感を持ちロシアに擦り寄ろうとする閔氏勢力を追い払うべく明成皇后を弑害すると言う
前代未聞の蛮行を行い、断髪令を強行しました。
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国母を奪われ、祖先伝来の髷(まげ)を強制的に
切り取れと言う日本の横暴は朝鮮民衆を
いきり立たせ、全国の儒生を中心に
義兵闘争が起こりました(第一次義兵)。
この様な流れの中で、日本の勢力拡張を願わぬ勢力は、国王高宗をロシア公使館に避難させると言う手段に打って出ます。
すなわち、明成王后閔氏暗殺と親日政権成立に対する反発から
国王高宗が1896年2月ロシア公使館へ
避難する(「俄館播遷(アグァンパチョン아관파천)」)と言う異常な事態になりました。
内閣は即刻解散、親ロ勢力により大臣が裁判も無しに街角で惨殺される事態を呼びました。
ロシアの影響力が増し、日本との新たな摩擦の時代が到来します。
この事態に自主を求める声は日増しに高まり、
高宗は1年後慶運宮(경운궁現徳寿宮덕수궁)へ還宮、
大韓帝国と改称し皇帝を名乗ります。
年号を光武(クァンム광무)とし、一連の改革を行いました。これを光武改革クァンム ケヒョクと呼んで居ます。
<独立協会が独立の象徴として建立した独立門>
韓国ではこれを高く評価しますが共和国では特に評価しません。
それは独立自強への根本的改革が無く目先の利益だけを追いかけた「改革」に終始したからです。
↓高宗の改革の本質はコチラ↓
高宗は自己権力の制限を嫌い専制君主制を目指し、皇室予算拡充を優先しました。
特に近代議会設立運動であった万民共同会(マンミンコンドンフェ만민공동회)運動と独立協会トンリプヒョプフェを弾圧解散させ、議会設立を霧散させる事でF.A.マッケンジーの著書「朝鮮の悲劇」にも有りますが「自ら頭上の王冠を転がり落とす」原因を作りました。
<万民共同会 鐘路 集会>
近代化と独立への最後のチャンスをみすみす逃した罪は決して小さく無く、亡国の君主の汚名を浴びる事となります。
最近義兵と旧韓末を描いたドラマ「ミスターサンシャイン」が好評でしたが、国王高宗が凛々しく気概の有る理知的な君主として描かれていました。
↓ドラマのレビュー記事はコチラ↓
確かに彼は日本に先んじてアジアで初めてソウル内の鉄道、電信電気などインフラをいち早く完備するなど開明君主的な面貌も見せており、無能とまでは行きませんが、日本に正面から立ち向かう勇気に欠けており、もしドラマの何分の1でも気概が有ったなら1904年〜1905年の一連の条約に毅然と立ち向かい易々と国を売る事は無かったのではとの感想を受けます。
<ドラマ ミスターサンシャインの国王高宗>
この時期、政治的にはロシアと日本の勢力が均衡状態となりますが、その中でも日本は着実に経済利権を手中にして行き、漢城-仁川間電車敷設権取得、銀行券通用などを通して韓国の日本への経済依存は増して行きます。
日本の経済浸透と貨幣介入により韓国の貨幣制度は無法化し、およそ国内で統一的に機能しないと言う大混乱に陥りました。
↓↓近代貨幣制度はコチラ↓↓↓
2024年から新一万円札の顔になる渋沢栄一の肖像が描かれた第一銀行紙幣が韓国初の紙幣として流通したのもこの頃です。
韓国ではこの事実ゆえに新紙幣発行を反対しています。
↓彼についてはコチラ↓
<旧韓国で流通した渋沢栄一 肖像入りの十円券>
1900年代に入り日本とロシアの矛盾は増して行きました。
日本はイギリス、アメリカとの同盟を進め1902年には日英同盟でイギリスのインド支配と引き換えに、1905年には桂−タフト秘密会談にてアメリカのフィリピン支配と引き換えに朝鮮の独占支配権を承認受けます。
欧米の庇護の下に有る限り国体は安体で有るとの「幻想」を抱いていた高宗と韓国政府の陰で、事は着々と進んで居たと言う訳です。
脇を固めた日本はいよいよロシアにターゲットを定め飛び掛かります。
1904年日露戦争の勃発です。
<当時の風刺漫画>
<参考文献>
황현 매천야록(梅泉野録)
新潮社 角田房子 閔妃暗殺
東洋文庫 F・Aマッケンジー朝鮮の悲劇
山川出版社 世界歴史体系 朝鮮史2
山川出版社 朝鮮現代史
朝鮮史研究会編 朝鮮の歴史
イサベラビショップ 朝鮮紀行
신용하 광무개혁에 대하여
<旧韓国皇室 集合写真>