<ドラマ 雲が描いた月明かり>
第2章 2節 近世-⑧ 勢道政治と大院君の登場前夜
1800年以降朝鮮王朝は勢道政治(セド チョンチ세도정치)へとひた走ります。
勢道政治とは国王に委任を受けた特定人、特に外戚家門の権力の寡占によって独断的に運営された朝鮮の政治形態で、60余年間続きました。
朝鮮を滅亡に追いやった一番の原因と言われています。
1800年第22代 正祖の急死で世子が第23代純祖(スンジョ순조)として11歳で即位しますが、英祖の未亡人貞純王后(チョンスン ワンフ정순왕후)が垂簾聽政(수렴청정:摂政)を行います。
この時期天主教(천주교カトリック)に対する迫害が始まりました。
貞純王后は5年後亡くなり外戚(王妃の実家)で有る金祖淳(キムジョスン김조순)が実権を握りました。これが名高い安東金氏(アンドン キム氏)による勢道政治の始まりです。
勢道政治が始まった原因はまず正祖自身に有ったと見ていいでしょう。
正祖は執権当初自分の即位を助けた臣下洪国栄(ホングギョン홍국영)に政治を一任し勢道政治の始初を作りました。
<ドラマ イサンでの洪国栄>
そして自分が亡くなった後、世子の後ろ盾を心配した正祖は政界の有力者で有った金祖淳の娘を世子嬪として選んだのです。
英祖、正祖期に蕩平(タンピョン탕평)政策により党派が壊滅し王に権力が集中したので王にコントロールする力が無いとパワーバランスが崩れて権力が偏ります。
そう考えると、正に党争が必然的に産んだ落とし子と言えます。
つまり朝鮮王朝システムの帰着点とも言えそうです。
元々摂政に抑えられていた純祖は1811年平安道農民戦争(ピョンアンド평안도농민전쟁)=洪景来(ホンギョンレ홍경래)の乱で政治意欲を失くしてしまい完全に外戚任せになります。
<ドラマ 雲が描いた月明かり 主演者陣>
元々病弱な彼は代理廳政(대리청정)を受け持った息子の孝明世子(ヒョミョン セジャ효명세자)が22歳で亡くなると2年後に後を追います。ちなみにこの孝明世子がパクポゴム主演で人気だったドラマ「雲が描いた月明かり(구르미 그린 달빛)」のモデルです。
孝明世子の1人息子の憲宗(ホンジョン헌종)が僅か8歳の史上最年少で第24代王として即位すると祖母で純祖妃の純元王后(スンウォン ワンフ순원왕후)金氏が垂簾聽政(수렴청정)を行い、安東金氏が要職を占める事になりました。
そして母親である神貞王后(シンジョン ワンフ신정왕후)趙氏も発言権を増し、豊壌趙氏(プンヤン チョ氏풍양조씨)も台頭する契機になります。
この時期朝鮮沿岸にイギリス、フランスなどの異様船(イヤンソン이양선:黒船)が出没し国内に不安を助長させて居ましたが、安東金氏勢力は権力争いと既得権益確保に明け暮れ何の対策も打ち出せず、天主教迫害を加速させました。
その頃三政(田政,軍政,還政)の紊乱によって民心が荒れ、遂に1862年には朝鮮最大の農民暴動(壬戌民乱イムスルミンラン임술민란)が発生します。
↓↓還政の紊乱と壬戌民乱についてはコチラ↓
<壬戌民乱임술민란 発生地>
哲宗は民心を掴むべく改革を試みますが、彼を案山子(かかし)位にしか思わない安東金氏勢力に軽くいなされ虚無感を感じ酒食に溺れて行き、結局33歳での若さで逝去しました。
子供達も皆早逝し、またもや次期王選びに躍起になる事態が生じました。
哲宗が登場するドラマは日本の仁のリメイクドラマDr JIN(ドクタージン)が有ります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200806/11/ichigayasongho/fb/fc/j/o0434033914799881943.jpg?caw=800)
<ドラマDr JIN(ドクタージン)>
ソンスンホン主演のこのドラマで哲宗は盲腸に掛かり治療を受けますが、安東金氏の勢道政治に押されて主張を出来ない弱々しい姿が描かれて居ます。
最近では彼をアンドン安東金氏の横暴の後ろで、実は改革意識を隠し持った意志の強い啓蒙君主として描いたコメディードラマ『チョリン哲仁ワンフ王后』が大ヒットしました。
↓ドラマチョリン王后のレビュー記事はコチラ
<チョリンワンフ>
こうして勢道政治が蔓延(はびこ)ったのは王達の早過ぎる死と後継難にも原因が有ったと言えます。
そして権謀術数の中、無頼人と呼ばれた李昰応(리하응リハウン)の次男を第26代高宗(コジョン고종)として迎え彼自身が興宣大院君(フンソン テウォングン흥선대원군)として権力を振るう激動期が到来、次回からの近代社会に突入します。
<参考文献>
山川出版社 世界歴史体系 朝鮮史1
キネマ旬報社 神田聡他訳
朝鮮王朝実録キネマ旬報社 金両基
ビジュアル版 朝鮮王朝の歴史
朝鮮史研究会編 朝鮮の歴史
平凡社 林鐘国他 ソウル城下に漢江は流れる