第141回 天皇賞(春)(GI) | いちファンの♪挑戦して行こう!♪

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2013年7月7日
祝日本武道館100回記念!

近代日本とともに歴史を積み重ねてきた伝統の一戦!

「第141回 天皇賞(春)」
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天皇賞(春)は、京都競馬場・芝3200mを舞台に古馬最高の栄誉をかけて争われる、長い歴史と伝統を誇る競走である。

■天皇賞の前身

1905年(明治38年)の5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した『エンペラーズカップ』が天皇賞の前身。翌1906年(明治39年)には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、福島、札幌、函館、小倉の計7つの競馬倶楽部で『帝室御賞典競走』として行われていた。

■第1回

1936年(昭和11年)に『日本競馬会』が設立されたのち、翌1937年(昭和12年)に各競馬倶楽部が『日本競馬会』に統合されたのを機に、『帝室御賞典競走』は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回開催されることとなり、同年の秋季のレースが第1回の天皇賞とみなされ、東京競馬場・芝2600mで行われた。

その後、第2回の1938年(昭和13年)春は阪神競馬場・芝2700mで、4歳(現3歳)以上の馬によって争われ、第3回の1938年秋からは、「5歳(現4歳)以上、芝3200m」の競走条件となり、能力検定競走として非公開で開催された1944年(昭和19年)春まで『帝室御賞典競走』の名称で行われていた。

■戦争による中断と再開

1944年(昭和19年)秋季には、第二次世界大戦の影響により中断されたが、戦後の1947年(昭和22年)春に『平和賞』の名前で復活したのち、同年秋から現在の『天皇賞』に改称され、春は京都競馬場、秋は東京競馬場で開催されることになった。

■競走条件の変遷

1981年(昭和56年)春からは『勝ち抜き制』が廃止されて、過去の優勝馬にも出走権が与えられた。これまで、タマモクロス(1988年春・秋)、スーパークリーク(1989年秋、1990年春)、メジロマックイーン(1991年・1992年春)、ライスシャワー(1993年・1995年春)、スペシャルウィーク(1999年春・秋)、テイエムオペラオー(2000年春・秋、2001年春)、シンボリクリスエス(2002年・2003年秋)、そしてメイショウサムソン(2007年春・秋)の8頭が2回以上天皇賞に優勝している。

長年、『3200m・5歳(現4歳)以上』という条件で行われていた天皇賞であるが、1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000mに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には4歳(現3歳)馬が出走できるように条件が変更された。これにより、春は5歳(現4歳)以上のステイヤー日本一を決めるレース、秋は4歳(現3歳)以上の中距離ナンバー1決定戦と、その性格が明確に分けられた。

なお、1995年(平成7年)春から中央競馬指定交流競走となり、地方馬はステップ競走で2着以内に入った馬が出走可能となった。さらに2000年(平成12年)春から、中央競馬のGI(現2歳GI を除く)競走優勝馬で、本会に選出された馬にも出走が認められるようになった。さらに、2007年(春)からは、地方競馬指定交流競走のGI (2歳GI を除く)および指定された海外のG1(2歳G1を除く)優勝馬にも出走資格が与えられている。

また、天皇賞は長い間、出走資格を内国産の牡馬・牝馬のみに限定してきたが、2000年(平成12年)春に初めて外国産馬に門戸が開かれた。外国産馬の出走可能頭数は、当初2頭以内であったものが、2002年(平成14年)春から最大4頭、2004年(平成16年)秋には5頭まで出走可能となったのち、2005年(平成17年)春に国際競走に指定され、外国馬は5頭まで出走が認められたことを機に、外国産馬の出走頭数制限は撤廃された。さらに、2007年(平成18年)の日本のパートI 国昇格に伴い、外国馬の出走枠が9頭に拡大された。また、2008年(平成20年)より、国際交流競走として競走内容の充実を図る観点から、せん馬の出走が可能となった。


競走名:1~14回は「帝室御賞典」。14回は能力検定競走。15回は「平和賞」。89回から(春)(秋)がつく。96回は(天皇賞競走施行 50周年記念)がつく。130回は(日本中央競馬会創立50周年記念)がつく。132回は(エンペラーズカップ100年記念)がつく。 134回は(悠仁親王殿下御誕生慶祝)がつく。
競馬場:2、4、6、8、10、12、51、61、81、109回は阪神。56、126回は中山。
距 離:1回は2,600m。2回は2,700m。秋季の3~88回は3,200m。
負担重量:1~3回は馬齢重量。4~13回は4歳58㎏・5歳以上60㎏・牝1.5㎏減。15、16回は牡60㎏・牝2㎏減。17~25回は4歳58㎏・5歳以上60㎏・牝2㎏減。26回は牡58㎏・牝2㎏減。春季の27~135回は牡58㎏・牝56㎏。秋季の28~94回は牡58㎏・牝56㎏。
条 件:1、2回は3歳以上。秋季の3~94回は4歳以上。1~136回は牡・牝。64~120回までは内国産馬限定。83回より勝抜制度を廃止。111回から(指定)となる。121回から 外国産馬の出走が可能となる(121~124回は2頭以内。125~128回は2頭以内(条件付で4頭以内)。129回は4頭以内。130回は5頭以内)。131回から(国際)となる。
備 考:14回は能力検定競走として施行されたため、馬券の発売はなし。1944年秋、1945、1946年は施行せず。139、140回は「JRAプレミアム」対象レース。
失 格:第22回(1950年秋)エゾテツザン・第2位入線。第95回(1987年春)ニシノライデン・第2位入線。
降 着:第104回(1991年秋)メジロマックイーン・第1位入線(タイム2:02.9・着差6馬身)→他馬の進路を妨害したため18着に降着。

天皇賞(春)レコード:(京都・芝3,200m・外) 3:13.4 ディープインパクト 2006年4月30日(第133回)


京都2010年 3回 4日10R(5月 2日)
第141回 天皇賞(春)(GI)
4歳以上オープン(国際)(指定)
3200m 芝右 出走頭数:18頭 発走時刻:15:40


枠番 馬番 馬名 性齢 騎手 負担重量 調教師名
1 1 カネトシソレイユ 牡 6 幸英明 58.0kg 大橋勇樹
1 2 エアジパング せん 7 岩田康誠 58.0kg 藤原英昭
2 3 フォゲッタブル 牡 4 内田博幸 58.0kg 池江泰郎
2 4 メイショウドンタク 牡 4 武幸四郎 58.0kg 本田優
3 5 フィールドベアー 牡 7 秋山真一郎 58.0kg 野村彰彦
3 6 トウカイトリック 牡 8 藤田伸二 58.0kg 野中賢二
4 7 ナムラクレセント 牡 5 小牧太 58.0kg 福島信晴
4 8 トーセンクラウン 牡 6 江田照男 58.0kg 菅原泰夫
5 9 メインストリーム 牡 5 川田将雅 58.0kg 角居勝彦
5 10 テイエムアンコール 牡 6 浜中俊 58.0kg 柴田政見
6 11 ミッキーペトラ 牡 4 池添謙一 58.0kg 森秀行
6 12 ジャガーメイル 牡 6 C.ウィリアムズ 58.0kg
7 13 ジャミール 牡 4 安藤勝己 58.0kg 松元茂樹
7 14 メイショウベルーガ 牝 5 福永祐一 56.0kg 池添兼雄
7 15 エアシェイディ 牡 9 戸崎圭太 58.0kg 伊藤正徳
8 16 マイネルキッツ 牡 7 松岡正海 58.0kg 国枝栄
8 17 ゴールデンメイン せん10 太宰啓介 58.0kg 新川恵
8 18 ベルウッドローツェ 牡 4 的場勇人 58.0kg 小島茂之


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いちファンのいち押しビックリマーク

父:ダンスインザダーク母:エアグルーヴ(トニービン)合格

3 フォゲッタブル 牡 4 内田博幸


あとは…

12 ジャガーメイル 牡 6 C.ウィリアムズ

13 ジャミール 牡 4 安藤勝己

14 メイショウベルーガ 牝 5 福永祐一

16 マイネルキッツ 牡 7 松岡正海


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