稽古風景






約30年ぶりの、再演。



遊園地再生事業団における、砂漠監視隊シリーズ、その第1弾。



第1弾ではあるが、これ以前の… 舞台(コント)『亜熱帯の人』において、すでに宮沢章夫は、砂漠監視隊を描いていた、とある。

1987年に。




これは、初演時にもアナウンスされていたコトだったが…

わたしは、『亜熱帯の人』の、砂漠監視隊がどんなコントだったのか、おぼえていない。



その数年後の、そのものズバリのタイトル『砂漠監視隊』とゆう舞台(やっぱりコント)は、少しおぼえている。


砂漠とゆうか、砂が…

舞台にあった気がする。よくおぼえてないが。





亜熱帯から、砂漠へ。

そこに宮沢章夫の、南方志向を見るコトも出来るだろうが… 誰もそんな指摘はするハズもなかった。


宮沢章夫の南方志向がね、などとは、誰も言わなかった。


いや、それは嘘で、もしかしたら別役実のような人が…

南方演劇論といった文章を発表しているのかもしれない。


そこで、砂漠が… うんぬん… なぜ南極や北極の監視隊ではなく、砂漠監視隊なのか…

と書く、別役実。


そんな文章は、たぶん、ない。




よく知らない。

念を押すようだが、わたし・五円木比克は演劇には無知である。


なにからなにまで、見ていない。

70年代も、80年代も… 静かな演劇の人たちも…

ケラ、松尾… それ以降の最近の人も、なにもかもだ。






池袋の夜を、少しうろうろしてみた。

それは、この『砂の国の遠い声』の開演前に。東京芸術劇場のまわりを。



『サーチエンジン システムクラッシュ』。


あの、宮沢章夫による小説は、何年の作品だったのだろう?



それはそれとして、この『砂の国の遠い声』の、初演時には…

まだネットも携帯電話も、一般的ではなかった。

30年前だからだ。


しかし、どこかはわからないが、都会と隔絶された場所と思われる…

砂漠においては、なにもかも関係ないといえた。

都会から、遠く離れた砂漠。


もちろん、上演しているのは… 池袋にある東京芸術劇場のシアター・ウェストだ。


池袋の夜。

そのなかに、虚構の舞台として存在する、砂漠監視隊。

虚構と日常。

砂漠監視隊の、7人の男たちの日常。







「この作品は、大きく分けて5つの部分から出来ていますが、そのあいだの、4つの省略された部分にドラマはあります」(宮沢章夫)


省略された部分に…




そうだった。

人が、いなくなったり、かと思えば帰ってきたりする、ドラマ。




「あいつ、いないけど… どこいったんだ?」

「あ、書き置きがある!」


とか。


「おい、コバヤシ帰ってきたぞ」

とゆう劇的な部分を省略しているのだった。



すると。


砂漠における、茫然とした日常しかない舞台、そんな構造になるのだった。


虚構。そして、日常。




この『砂の国の遠い声』ではなく、『砂漠監視隊』について、ケラリーノ・サンドロヴィッチは

「より不条理で、強い虚無感、孤独感を内包した… 」

存在になっていたと、パンフレットに書いている。


砂漠監視隊の、虚無感。




小説『サーチエンジン システムクラッシュ』は、「虚学」なるゼミが、かつてあったとゆうハナシから始まる。


虚構とは、何か。

あるいは逆に、日常とは、生活とは、何か。




実業。実生活。


身体を、生きる。生かすほかない、生命。それは、身体は…

まぼろしではない、といえた。


だが、ほんとうにそうなのか? 

 …とゆう問いかけ、すべて、まぼろしじゃないのかと、そうハッキリとは言い切らないが…

宮沢章夫作品には、身体とは? 虚構とは?

とゆう問いかけがあったと、わたしはかんがえるのだった。





スピリチュアルは、得体が知れない。


だから?

 

身体は、ここにある。そこに、ある。



ゆえに、「わたしは身体です」と言ってまちがいはないのだろう。


だが、「わたしはスピリットです」と言ったときの、うさんくさい感じはなんなのだろうか。




身体とゆう具体と比較して… あまりに膨大な、意識。スピリット。


たぶん膨大な存在だと思われる… スピリットだが、個人個人の意識は、それこそ砂粒のように小さくも思える。

 

その砂粒が無数にある、砂漠。



砂漠とは、何か。




「いやー、何ですかね?」と言いつつ、砂漠監視隊は、砂に囲まれながら生活するのだった。














佐伯 新が演じている役は…

初演のときは山崎 一がやっていたよな、などと思いながら舞台を見ていた。



そして、「ああ、こんなコトやっていたのか」と思う。


忘れている。

初演から、30年。そりゃ忘れるよ。ああ、忘れるさ。

そうえば、数年前の…

『ヒネミの商人』の再演を見たときも、「こんなコトやっていたのか」と思ったものだが、その「こんなコト」がどんなコトだったのかも、もう忘れている。


まあ、いいじゃないか。


 


砂漠監視隊の、あり得ない日常。


遠い声とゆう、膨大な意識の謎の不意打ち。



おもしろすぎたなあ。


ケラさんゆうところの、虚無感は… さらに潜在化され…

ベースとしてありながらの、日常の愉快なやりとり。


基地の外は、砂漠。

砂漠のなかの日常。


茫漠たる日常で、退屈したりゲームをしたりする。






「○○さん! 顔の横に変なモノがついてる!」


「ええっ?」


「あ。 …耳だった」 (初演時の手塚とおるのセリフ)






  
東京芸術劇場シアター・ウエストにて鑑賞