ジョン・カーペンターによる、まさにミッドナインティーズの… 大傑作。


サム・ニール主演の、ま、ダークファンタジーであります。





封切り時、わたしは銀座あたりで、この『マウス・オブ・マッドネス』を見た記憶がある。


そして…
そのときは、「わるくはないけど、ありがちな悪夢って感じじゃね?」と。たいしたコトないよと。
そう思ったコトを告白しよう。



悪夢。

そして、ファンタジー。



それが、都会からスタートして…
サム・ニール演じる調査人の捜索があって、アメリカの田舎町に至る。














この、都会の、会社やカフェ、そしてストリートの描き方。

いつものカーペンター風なのだった。


いつものカーペンターなのだが、つまり、他の監督とは、どこか違う。


その印象は、どこから来るのか。

わからんのだけども。
要研究。




そして、悪夢がはじまり、ドライブのち田舎町に到着する。



この田舎町の、ストリートはともかく、ちょっとした丘にそびえ立つ教会がいい。

それは誰でもそう感じるだろう。














全体、非常に小気味良く、おもしろ演出を繰り出すのだった。


具体的には書かないけども!





いや、書こうかな。



あのババア… ホテルのフロントの。

なんでしょうか、あの悪夢描写は。
不気味。



ま、かつての「トワイライト・ゾーン」的な(って、そうか?)




ともかく、サクッと小気味良くまとめているのね。

ほんとうにサクサクしているんです。





つまり、大作感なんてクソくらえ、とばかりにコムパクトにまとめる、いつものカーペンター流儀の炸裂。


それを、黒沢 清は「ミニマリズム」と評し、
わたしは、「スケール小さい」「貧乏くさい」と評した。

って、マジかよ!



コムパクト、そして非現実。

ちょーおもしろい。







まず、サム・ニールのいるカフェの窓ガラスが…
突如割られるシーンとゆう、悪夢的な現実からはじまり。


デイヴィッド・リンチ風の…
夜の道を自転車で走る謎の男や、さっきも書いたホテルのフロントのババア。



教会、子どもたち、犬。


などを経て。





世界が破滅する。

















世界が破滅する映画。




その最後の最後は、カーペンターによる、映画讃歌。





「わたしは映画が好きだ」


とゆう、普通ならば うざくなる映画愛を、
「世界の破滅」とともに表明するジョン・カーペンターとゆう男の、尋常ならざるクールさに痺れるのだった。





いつだって、カーペンターはクールである。




(2020年11月8日)






ここから、追記。





この、『マウス・オブ・マッドネス』は、メタフィクション。

そう指摘する人がいる。


たしかに、それっぽい。
けれど…

全面的にメタフィクションかとゆうと、そうでもない。



ある作家の書いた小説の世界。

その世界に、サム・ニールが入っていく…
とか、

はっきり描いているワケじゃないのね。



だけど、
異世界(フィクション)だぞ、ここは!

とゆう戸惑い。

夢のようなデタラメ感。



そして、狂ったサム・ニール、入院。







ほとんど夢、みたいな構造の映画といえば。

北野武『TAKESHIS』が、あるけれども。
あそこまでいかない感じ。


夢のようなデタラメな世界で、サム・ニールが大混乱する。


まだギリギリ、「現実を模した」世界なのね。





『TAKESHIS』は、現実を模すことを放棄しちゃってる。

ゆえに。
緊張感がないの。

死んでも、死なない。みたいな。

夢=映画、とゆう図式なのね。




『マウス・オブ・マッドネス』の場合は。

現実=夢、そんなおかしな現実を模した映画、とゆう図式。


狂った現実。
狂ってるけど、現実は現実だと。

そうゆうフィクション。


それは、おもしろいよ!








(2020年11月21日)