ご訪問ありがとうございます
かずえです
クリスマスも過ぎてもうすぐ今年も終わりますね
早過ぎる
私は先日東京へ足を伸ばし少し早いクリスマスのお祝いをしたり、会いたい人たちに会ってきました。
それはまた別のブログに書こうと思います。
実は先日大好きな祖母が亡くなりました
97歳でした
先に書いた東京から帰ってきた翌21日の朝
祖母の危篤の連絡が入りました
私は小さい頃からおばあちゃん子でした
ピアノの先生をしていた母が、毎週土曜日には祖母の家でも教えていたので、毎週土曜日は祖母の家に行くのが恒例でした
祖母は小さな商店を営んでいました
雑貨やお菓子の販売、クリーニング、宅配便の集荷、外にはタバコと飲料の自販機が多い時には10台近く並んでいました
日曜日以外毎日働いていた祖母でした
祖母は店番の合間によくニラ煎餅や味噌おにぎりといったおやつを作ってくれました
時に、お店のお菓子50円分だけ選んで食べていいよと言われてアイスやお菓子を選んだ記憶が蘇ります
よくタバコや飲み物の自販機の補充を手伝ったりもしました(おかげでタバコの種類を見分けられる子どもでしたw)
自販機のお金を数えるのを手伝ったりもしたな
90歳の卒寿のお祝いの祖母の挨拶では初孫の私とお店で追いかけっこしたことを一番な思い出として嬉しそうに話してくれたのは嬉しかったです
慢性鼻炎にドクダミの葉っぱが効くと言われてドクダミの葉っぱを揉み込んだものを両鼻に詰められたのだけは臭くて勘弁してほしかった
私が大人になってからも母も一緒に親子3代で北海道旅行したり、祖母が時代とともにお店を辞めてからはお友達と国内外の旅行を楽しんでいました
そんな祖母も90歳の時に脳出血を患い、同居のおじ宅でリバビリをしながら過ごしていましたが
おじの体調も優れなかったので10月に施設に
その後徐々に老衰していき12月になってそろそろ危ないとの話があり12月に2回ほど会いに行ってました
これで間に合わなくても仕方ないと思っていたんですが
危篤の連絡が入った当日はたまたま午後からの仕事だったのですぐに最期の面会に駆けつけることができました
面会すると私も職業柄最期が近いことは状態からわかりました
おじたちも見守る中なかなか感謝を言葉にするのが恥ずかしい気持ちもあり何かを話すでもなくでしばらく手をさすったりしていたのですが
きちんと伝えたいことは伝えようと
『今までありがとう
たくさん可愛がってくれてありがとう
大好きだよ』
と伝えました
そしたら今まで目を閉じて荒い呼吸をしていた祖母がパッと目を開けて呼吸の調子も少し変わったんです
死期が近く意識がなくても聴力は最後まで聴こえてると言われています
ちゃんとおばあちゃんに私の言葉が届いたんだなときちんと言葉にして伝えることができて良かったなと思いました
そしてその日の午後旅立ちました
最近"地球大暴露"という本を読んだ後だったので
今頃祖母は『あ〜地球楽しかった』って言ってるんじゃないかなって思います
そして24日のクリスマスイヴに葬儀が執り行われました
これも何の因果なのかこの日は私の誕生日でもありました
誕生日にお葬式が重なるという珍しい出来事に
しかも大好きな祖母のお葬式
今年はリトリートを始め私自身心の変化も大きかったので、何だか私自身もいままでの古い自分を終わらせて新しい自分に生まれ変わるんだよ
そんな私のためのお葬式にも感じられました
今思うと今年の誕生日はなぜか予定がぽっかりと空いていて予定を入れようか悩んだ案件も結局見送り
まぁそういう誕生日もいいかと無理して入れないでいたのですが
何だか24日空けておきなさいよと言われているみたいで、誕生日に葬儀が重なったのも必然だったのかなと自分では思っています
きっとこれからも祖母は近くでいつも見守ってくれている
そんな風に感じています
長文読んでくださりありがとうございます