「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾 -9ページ目

「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

学校、塾、キャリア、子育て、家族、心理学、脳の活性化!全部やります!
趣味は「教育」!!

先日の「みんなの学校」上映会で木村さんもいっていたけど、まず大人ができることは、ものの見方を変えること。

それだけで大きな変化は生まれる。

 

もちろん人に変わることを求めても仕方がないことは分かっているけれど、一応。

 

まず変えてもらいたい見方、考え方は、

「親や先生が適切な関わりをしていれば、学校(主に公立)には行ける」

というもの。

 

まぁ勉強していない人がいうのはまだわかるけれど、ある程度本をだしたり、教育者であったりする人がこういうことをいうのは本当にやめてほしい。

だって、そこをいってしまったら、すでに15万人近くいるとされてい不登校の親や学校の先生は「不適切な関わり」をしたということになってしまう。

そりゃぁ中にはそういうこともあるかもしれないけれど、一生懸命がんばっていたり、いろいろ考えたりした親や先生だってたくさんいるんだと思う。

そういう人たちの心情をイメージしたことがあるんだろうか。

まぁないんだろうけど(苦笑)

私はとてもそんなこと言えないし、言いたくもない。

まだ様々な学校のカタチがあるのだとすれば、100歩譲ってよしとしても、現在のような1つのカタチの学校しかない現状で、それはないわ、と思う。

価値観の多様化という時代の流れもあるわけだし。

楽屋でも話になったんだけど、

「もう学校だけですべての子どもを受け止めようとするのは、無理なんです。」

 

子どもにとっても「無理」なもんは、「無理」なんですよ。

ただそれだけ。

そこに理由や原因とか言われても困ると思います。

そりゃ~なんちゃらかんちゃらいってそれらしい理由や原因を取り繕うことはできますけどね。

それは子どもが悪いわけでも、大人が悪いわけでも、っていうか、誰が悪いとかじゃなくて、そういう現状が目の前にあるわけだから、じゃぁそこからどのようにしていくことができるのかっていうように、建設的な考え方をしたいな、と思うわけです。

 

ってかそれで行けるようになったとして、それがほんとうに子どもが「これからの社会」で幸せに生きるためにいいのかなんて誰が分かるんだよって思ったりもします。

今日は「勇気づけて躾ける」の読書会。

 

第三章の「勇気づけ」

勇気づけの章だけあって、大切なことがたくさん書いてあります。

この本、分厚いだけあって、事例も視点も考え方もかなりしっかり書いてあります。

ここをしっかり読めば、聞くだけのセミナーはいらないんじゃないか?というくらい(笑)

ただし、身につけることと知ることは違うので、やっぱり身につけるためのトレーニングと励まし合う仲間は必要ですけどね。

 

まず最初になぜ子どもたちには絶えず勇気づけが必要なのか?ということが書いてあります。

勇気づけなしには、成長することも所属感も持つことができないと書いてあります。

なぜならば・・・

子どもたちには、大人は途方もなく大きく、驚くほど有能で、信じられない能力をもった存在に映っているから。

 

これ、どれくらいイメージできますかね。

 

好きかどうかわからないし、やったこともトレーニングしたこともあまりないのに、本田とか香川とか岡崎とか長友と同じピッチに立ってサッカー試合するくらい、といったらイメージできますかね。

そんななかで、ミスをしたとしたら・・・(基本的に子どもは「できない」ことのほうが多いですしね)

 

あるいは・・・

自分が同じ大人だとしても、驚くほど有能だと自分が思っている人に囲まれ、そこで失敗したり、ミスしたりしたとき・・・

たまたま今日は教育仲間のSバタさんつながりが多かったので、いっしょにSバタさんと仕事になったとして、Sバタさんレベルの人が3人いたとして、そこでどんどん横で仕事されていっているときに、自分が失敗してしまったら・・・といったら、めちゃイメージできたようです(笑)

 

そんなときに勇気づけなしに成長できるでしょうか?

 

というところなんでしょうね。

私たちは自分たちもそうだったはずなのですが、いつの間にかそういう子どもの視点を忘れてしまうときがあります。

まずは子どもが見ている世界はそういう世界でありえるということを認識する必要がある。

 

そして、勇気づけ。

 

勇気づけの半分は・・・

 

屈辱あるいは過保護(現代は過干渉も含まれるかな)による挫折を取り除くことにある。

そして、残りの半分は勇気づけの方法を知ること。

いくら「勇気づけ」の方法を知っていて、完璧にできたとしても、コップは半分しか満たされないということですよね。

 

アドラー心理学も私の周りではだいぶ浸透してきて、「勇気づけ」といっても通じることが多くなってきていますが、この前半の半分はあまり語られないことが多いような気がしています。

屈辱を味あわせる。

「忘れものをしたら前に立たせる」から始まり、「他人の前(兄弟の前)で大声で怒鳴る」「テストの順位を知らせる」など。

過保護。

できることはずのことを本人にさせない。炊事洗濯なんて、昔は子どもの仕事だったわけですから、今やらせないのはある意味過保護。

親はよかれと思っているかもしれないけれど、自立に向けての勇気をくじいてしまっている。

 

「勇気づけ」って何をしたらいいんでしょう~ということですが、行為を与える、変えるということもそうですが、行為をやめる、ということも「勇気づけ」なんですよね。

 

ただ、確かに「やめる」というのはある意味困難なことでもあります。

代替行動を考える必要があるかもしれません。

それもできない場合は、その場から立ち去るというのがいいかもしれませんね~(笑)

勇気づけて躾ける―子どもを自立させる子育ての原理と方法

勇気づけて躾ける―子どもを自立させる子育ての原理と方法

  • 著者ルドルフ ドライカース,ビッキ ソルツ
  • 価格¥ 3,240(2016/05/30 10:38時点)
  • 出版日1993/03
  • 商品ランキング75,967位
  • 単行本480ページ
  • ISBN-104752850281
  • ISBN-139784752850281
  • 出版社一光社

 

 

昨日は映画、パネルトーク、そして、懇親会。

 

映画を映画として個人的に楽しむのであれば、ここに書くことは全くあてはまらない。

ただ教育現場に関わる人、あるいは関わろうという人が、この映画を学校現場と捉えて、それに感動して、取り組みや考え方を実際の学校教育現場にも!という自分以外にそのままあてはめるような浅はかな思考停止状態になることは避けてもらいたい。

しかもそれが基本的に「善意のかたまり」であることが非常に危険なことだと思う。

大人の「善意」が子どもにとって「善意」として受け取られるとは限らない。

でもその「善意」を振りかざして迫られると、子どもたちは受け止めざるをえなくなり、子どもたちの「助けて」という声を押さえこんでしまうことになりかねない。

 

木村さんも言っていたけど、本当にこれはちっさなレンズだけでとらえたものに過ぎない。

現場にはそれを取り巻く親がいて、なによりもこの映画にでてきて、多くの方が感動した子の50倍以上の子どもがそこにはいる。

そして、その子たちも同様に日々を精一杯生きている。

この映画を見ているとき、常にその子たちのことが気になった。

そこに写らない子どもたちのこころが気になった。

だから、どのエピソードを見ても泣くほどの感動はなかった。

 

木村さんから後日談をいろいろと聞き、子どもたちはそれぞれが柔軟にここで学んだことを消化し、吸収し、成長したんだろうな、と思った。

子どもはそういう力を持っている。

 

でも、だからといってそれがベストかどうかは、それこそ子どもに聞いてみないとわからない。

そこにいたから、伸びたかもしれない力が伸びなかった子もいるだろう。

究極的には、そこにいる本人以外どうだったかなんて判断はできないと思う。

「善意」が溢れている「学校」という場所だからこそ、そういう視点を常にもつ必要はあると思う。

 

 

感動は人を動かす原動力になる。

しかし、同時に感動は人を思考停止にもする性質もあると思う。

しかも、心が動いただけに、善意として胸に留まり、思考停止のまま原動力になってしまうことがある。

自分自身だけに対してのことであればいいが、それを自分以外の第三者に向けていくのであれば、その思考停止状態のままではいけない。

ずっと考え続けなければならないと思う。

そして、ずっと学び続けなければいけないと思う。

これですべてOK!と思った時点で、おそらくそれはNG。

これで子どもたちはすべてOK!という思いこそ、善意を含んだ人権侵害といってもいいかもしれない。

一人一人が違うのだから、全部OK!になんてならないはず。

 

あと気になったのは、周りが木村さんを持ち上げすぎてないか?ということ。

きっと木村さん自身も気持ち悪いのではないかと思う。

自分だったら気持ち悪い(笑)

木村さんも何度も繰り返していっていたけれど、特別なことは何もしていない。全力で子どもたちに向かっているだけである。

自分の仕事を全うしただけ。そのような自覚をしっかりとされているので、木村さん自身がぶれることはないだろう。

もちろん私は木村先生は素敵な先生だと思っているし、とても好きだ。

 

ただ、そうやって過剰な礼賛的関わり方をしている人を見ると、そういう関わり方をしている人の変な上下関係を感じてしまう。

「人はみな対等である」ということを常に思っているし、それを実践したいと思っている自分にとっては、気持ち悪い(笑)

まぁそうではない人にはそれほど違和感はないのかな。

まぁ木村さんはそんなことに振り回されるような人ではないから、どっちでもいいんだけど、気になったので。

 

と、いろいろと書いてみたけれど、伝えたいことは木村さんのいっていること変わらない。

 

目の前にいる「ひと」を大切にし、学び続け、理論や情報、資源などのリソースに振り回されることなく、うまく活用して、そこにいる当事者が協力しあってなんとかしていく、ということが大切なのだと思う。

今日は午前中は「蔵所長屋」へ!

6月から自主学校瀬戸ツクルスクールで使わせていただきます!

夏休みには「ぼくらが決めるSUMMER DAYS」を開催します。

なんと100年近く前の古民家。

今日はみんなで床張り。

私はもっぱら広報担当なので、実働はしませんでしたが、いろいろ写真を取りました。


中にはツクルスクールの生徒もいて、自分の手で学校を作っていくってどんな気持ちなんだろう・・・と思いながら見ていました。

私自身もツクルスクール3年目に入り、さてどうしようか・・・と感じていたところだったので、こういう新しい環境の変化はとても刺激をくれます。

どうなっていくんだろう、とワクワクです。

 

こうやって一歩新しいことに踏み出すと、新しいワクワクに出会える。

踏み出すまでは不安や心配があるかもしれないけれど、そんなものは一歩踏み出すとあっという間に消えていくなぁ。

 

午後は、「みんなの学校」上映会&パネルトークにパネラーの一人として登壇させていただきました。

「みんなの学校」の木村元校長先生とお会いするのは2回目。

今回は、教育委員会の先生も参加。3人で楽屋でいろいろお話できたことが本当によかった。

パネルトークでは、ツクルスクールの紹介もさせてもらえたので、ありがたい時間でした。

改めて友人に撮影してもらった動画を観て、伝え方でいろいろと改善するべきところが見えました。

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この上映会、映画はすでに観ていたので、私のなかでのメインイベントは、せと・しごと塾で出会い、今回この会を企画、運営した澤井くん。

彼のがんばりや成長や変化を楽しく見守らせてもらってきて、今回のチャレンジを見届けたいという思い。

保護者的目線(笑)

彼は、せと・しごと塾に入ってきたとき、「瀬戸に映画館を作りたいっす」とかなりの斜に構え度を持ちつつ、たばこの臭いをプンプンさせながら言っていた。

その彼がかれこれ6年?経ち、この上映会を成立させた。

 

ちょうど心がけの授業で、生徒たちに「夢は形を変えて叶うんだよ」と伝えたところだったので、まさにその瞬間に立ち会わせてもらったな、という感じ。

映画のように感動的には見えないけれど、絶え間ない日常のなかで、少しずつ何かにチャレンジしたり、失敗したり、喜んだり、落ち込んだりしながらも前に進んだ彼の成長がうれしかった。

澤井君、おつかれさまでした。

 

「立ち止まる学校」を立ち上げるに際して、いろいろと考えている。

この学校に来てどうなって卒業してほしいか。

「あぁいろいろ考えたけど、まずはこの進路で行こう!」という感覚で卒業すること。

 

自己決定感を持って卒業・・・

 

で、なんで「自己決定感」?

自己決定感があるとどんないいことがあると思っているの?

「心地よいスピード感ある個人の成長(変化)」

自己決定感は、これを達成するためのよい促進剤的役割を果たせるのでは?

 

今まで通りじゃだめなの?

そうだね~。とりあえず人口減るからさ、減っていく分どうするか?って単純に考えると、一人一人のパワーアップじゃん。

会社構造が変わって、会社が人の成長を面倒みるような構造じゃなくなったじゃん。だから自分でやらなきゃね。

一旦身に着いたと思ったスキルもさ、1年経たないうちに使わなくなっちゃったりすることもあるしさ。

働くっていってもね、一緒に働く人が日本人だけとは限らないし、市場だって日本だけで考えているだけじゃぁ生き残れないかもしれない。そう思うと、いろんな人と付き合わざるを得ないよね、きっと。

なんてことを考えると、昭和的なスピードでやっていては、とてもじゃないけど、ついていけない気がするんだよね。

 

で、スピードアップするために「自己決定感」は有効なのか?

うーん、何かを始めるときは、確かにそこは有効。

いやいややるよりも、よしやるぞ!っていったほうが、きっとスピード早いよね・・・

まぁでも人に頼まれごとでやっていても、楽しんでやれればそれはそれで身につくから、必ず自己決定感がいるってことではないよな。

あとは、くじけそうになったときやへこんだとき、大変なことになったときに、

「まぁでも自分で決めたことだしな」って思えると、そのマイナスの感情も切り替えられるかな。

そう考えると、スタートダッシュにおいての有効性と、大変なときなどの切り替えのときの有効性は確かだな。

ただ、やりだしたら、いかに集中できるか、楽しめるかってことも成長には大切かもな。

そして、素直さ。

 

なるほど・・・自己決定感があることで、行動の初速のスピード、落ち込んだときの切り替えのスピードが速くなるわけね。

無駄にくよくよする時間が減って、その分相対的に行動する時間が増える。また切り替えが早いだけにチャレンジ精神にもつながるかな。

 

で、取り組みだしたら、その取り組みをどう楽しむか、どう集中するか、どう捉えるか、というところが大切なのかな。

 

うーん、だとすると、人生の土台の強さ、ということかな。

そういう人生を支える土台である自己決定感を持てる1年が、「立ち止まる学校」の一年ということか・・・

もう少し考えよう・・・

 

フェイスブックでいろいろ投げてみると、意見がでてこちらも活性化しておもしろいし、ありがたい。

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