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「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

学校、塾、キャリア、子育て、家族、心理学、脳の活性化!全部やります!
趣味は「教育」!!

今日はママたちと勉強会。

「クラス会議で子どもが変わる」を中心に学び、その理論である「アドラー心理学」についても学んでいます。

 

今日はアドラー心理学でとても大切な概念「勇気づけ」の実践!ということで、

この本から、教育仲間の成田翔哉先生と深見太一先生の実践をみんなでやってみました。

最初にそれぞれのママたちの自分の名前の由来について。

みんないろいろあっておもしろい~~

ぐっと親近感を覚えるし、名前も記憶に残りますね~。

 

せっかくなので、自分の子どもに名前をどうやって付けたのかも話しました。

画数、気にしますね~

アメリカ人が聞いたら、????だらけになるのかな?(笑)

 

その後、名前リズムゲーム!

改めて自分の名前を発音することってないので、ちょっと不思議な感じでした。

ルールにもいろいろな心配りがあって、みんな「なるほど~」でした。

 

そして、お絵かき大会。

お題は・・・・

「波平さん!」

さ~みんながんばりましょう!!

で完成したのがこちら!


「うまい~」「人間に見えないね~」「何十年も見てきたのに書けないもんだね~」と大盛り上がり!

きっと、先生が最初におもしろい絵を見せるといいかもね~、などといいながら。

 

楽しい時間になりました。

 

ある程度いっしょに過ごしていても、知らないことはたくさん。

お互いを知る、という機会を持つことは大切!!

 

その後は、「クラス会議で子どもが変わる」をかみ砕きながら学びました。

 

今日もたくさん笑った勉強会でした!

「クラス会議で子どもが変わる」

子どもに向けたケアリングのメッセージについての章。

 

「救い出すこと・説明すること」よりも「問いかけること」

とある。

事例として、

ある寒い日・・・

”「外は寒いから、上着を忘れないようにね」

これは、説明し、救い出しています。

 

「休み時間に外へ出る前に、考える必要のあることは何ですか?自分を守るためにする必要のあることは何ですか」

これは問いかけ。”(「クラス会議で子どもが変わる」より引用)

 

家でこんなことやったら、うざがられること間違いなし(笑)

でも基本的には、説明し、救い出すのは自立に向けては得策ではないでしょうね。

家だったら、何も言わず「いってらっしゃい」でしょうね。

でも風邪をひかれて困るのは保護者なので、それでも何か言いたいならば、「今日の気温は最高気温12度、最低気温3度」くらいでしょうかね(笑)

それでも十分厭味ったらしいかもしれませんが(笑)

 

なんで厭味ったらしく聞こえるか・・・

それは自分の答えが正しいと思っているから。

 

こちらが答えとしてもっている、「寒いときは上着を着なきゃ風邪をひく」という答えが完璧に正しいと思っている。

そこに対しての誘導のような問いかけなので、嘘くさい問いかけだし、厭味ったらしく聞こえるのだろう。

 

「相手に悪いことしたら、どうするんだっけ?」

もちろん、謝る、という言葉を引き出すために言っている。

 

「帰ってきたらどうするんだっけ?」

もちろん、まず手を洗う。

 

でも、この「もちろん」はあくまで保護者の「もちろん」であって、例外は必ずある。

子どもにとったら、「帰ってきたら、まず友達の家に遊びに行く」かもしれないし。

あくまでも自分の「もちろん」であって、絶対的、普遍的正解ではない、と知っている、気づいているだけで、違った響きになると思う。

 

大人は子どもよりも確かに経験も多いし、思考もできる。

しかし、自分が経験したことが必ずしも正しいとは限らない。

私たち大人が見て、感じている世界と、子どもたちが見て、感じている世界はおそらく大きな違いがある。

その違いを認め、尊重し、相手のことを信頼し、そして「問いかける」ということが大切なんだろうと思う。

 

もしあえて私が何かを伝えなきゃいけないという状況であれば、

「俺の経験上は、こんな日は上着は来ていくかな。寒いの嫌だし。まぁでもこれはあくまで俺の場合だからね~ 君がどうするかは君が決めれば?」

って言うかな。

そして、どんな答えが返ってきても、「へ~」っていって終わりだろうし、もし上着を着ていかずに行って、帰ってきて、「やっぱり寒かったよ~」と言われたら、「ほらみろ!」という言葉はぐっとこらえて(笑)、「そっか、寒かったか~」と一言って感じかな。

 

ちょっと話しが飛んだかな。

特に自分が経験したり、うまくいったと思っていることなどに関して「問いかけ」をする場合は、あくまで自分の持っている答えは自分だけのものに過ぎない、という感覚を持つことが大切だと思う。

月曜日、火曜日とママーズでした。

学ぶ内容は共通なんだけれど、それぞれ感じるところが違っておもしろい。

月曜日は主に

「言わなきゃ伝わらないんだよね~」

勝手に推測したりするわけよ。

大人も子供も。男も女も。

いろいろ書きたいけど、具体的すぎて書けない(笑)

あ、でもだいたい最近みているドラマで・・・

 

「お迎えデス」で、大学教授が、生徒にひたすら論文についてダメ出し。そして、生徒逆切れて、セクハラ事件ねつ造。

教授は、その生徒に見込みがあり、もう一歩のレベルアップを自分でできれば大きく成長すると思い、ダメ出し。

しかし、生徒は、もう内定も決まっていて、ここで単位がとれなければ、それがふいになってしまうという状況。そこで実力行使。

 

お互いの状況をしっかりと説明すれば、歩み寄れたはずなんですけどね~。

言葉で伝えることはとても面倒くさい。

自分の気持ちですら言葉で表現するのは難しい。

でも、だからといって、行動だけで分かってもらうというのはやっぱり誤解を生む。

自分には見えていても、相手には見えていないこともたくさんある。

だから、やっぱり言わないと伝わらない。

親子だからこそ、とか、夫婦だからこそ、というのは幻想。

逆に、親子だから見えないこと、夫婦だから見えないことがたくさんある、くらいがちょうどいいと思う。

現在の自主学校のスタイルは、基本的にこちらからはなにも与えません。

そういうスタイルをとっているオルタナティブスクールは結構あります。

 

そんなときに、たまに聞こえてくるのが、

「教科学習と出会う機会を子どもが逃してしまっているのではないか。」

ということ。

 

では、学校に行っていたら、最低限「機会」は保証されるのか?

たしかに「出会う」ということは保証されるかもしれないけど、さらにその先の「身につける」ことを考えると、果たしてそれでいいのか?と思うことがある。

 

教科との出会いを「先生」という媒体を通じて行うのであれば、そこにはなんらかの感情が伴うことが多い。

ということは、どうしても好きになれない先生と出会ってしまった場合、その教科にまで負の感情がついてきてしまう。

中学生ならまだよいが、小学生の場合は、すべての教科を基本的には担任が受け持つのだから、かなり悲惨だ。

この「好き嫌い」というのは「身につける」上で結構重要だから。

 

そう考えると、瀬戸ツクルスクールのようなカリキュラムや教科学習をこちらから与えない場合、スタートがフラットという状態になれる。

プラスにはならないかもしれないけれど、少なくともマイナスにはならない。

 

逆に、学校に行くことで、「嫌い」になってしまうこともある。

それはある意味、先生が学習の機会を奪っているということにもなるのではないだろうか。

私も含めて、実は先生は、「学習の機会」を奪うことがあるということを肝に銘じておかなければならないんだよなぁと思った。

今たまたまのご縁で「学校」ということについていろいろと考えることができている。

子どもの成長という視点だけでは見えないところ。

 

そして、実感したのは、学校はやはり国家戦略施設としての教育機関であるということ。

国の機関である文部科学省がトップなのだから当たり前なのだけれど。

そして、その内容や結果を見てみると、やはり中央集権国家として国を強くしようとしている。

そのための教育といってもいいと思う。

いい例が「学力向上」

地方ががんばって、子どもたちの学力を向上させたとして、その学力が向上した生徒はどこにいくのか。

基本的に大都市に流れる。

学力が高い人が優秀というわけではないけれど、国が判断している優秀な人材というのは地方には残らない可能性が高いということになる。

まぁ一部の人が中央を支えてくれれば国はいいわけで、そこに漏れた人に関しては、どうでもいいんだろうと思う。

いわゆるエリート教育というやつ。

ただ、国として必要な人材がそういうものなのだとすれば、それはそれで妥当な戦略だとも言える。

 

だから、地方は地方での教育戦略が必要なのだと思う。

国が必要としている人の能力と地方が必要としている人の能力は違うように想う。

また、その地方が必要としていう人材も、その地方地方で違っていると思う。

それぞれの地方に住んでいる人が、当事者意識をもって、自分の地域ではどういう人材が必要であるかということを考える必要があると思っている。

いい例が以前岐阜で話を聞いた可児高校の取り組みだと思う。

そこには、一旦地元外にでていったとしても、いずれ戻ってきたいと思わせるような仕組みを作っている。

 

地域は地域の教育戦略を持つことで、地域の特色がでると思うし、愛着も持てる。そして、それが当事者意識につながっていき、地域の力になっていくと思う。

そんなことも考えつつ、自主学校 瀬戸ツクルスクールもやっていたりする。

国が見向きしなかった人たちが才能を開花し、地域の人たちの力で地域を盛り上げていく。

そんなことができたら、すごく痛快だ。