「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾 -6ページ目

「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

学校、塾、キャリア、子育て、家族、心理学、脳の活性化!全部やります!
趣味は「教育」!!

自分の親たちが学生のころ、高度経済成長の熱さを感じながら、安心して就職できるという良い点があった。

ただ、学びたいと思える人全員が学べる時代ではなかった。

 

私が大学生のころ、それほど就職のことを考えず、自由を満喫できるという良い点があった。

ただ就職といっても、一体なにをどう探したらいいのかは手探りだった。

 

今、大学生とお話させてもらう機会がある。

確かに就活はいろいろと大変だろうと思う。入ったはいいものの、昔のような昇給はあまり望めないだろうし、会社に入れたからといって安心感を持てないかもしれない。

 

でも、今は今で良い点がある。

ネットでさまざまな情報にアクセスできるし、一歩踏み込めば、様々な大学生、社会人と繋がれる。

 

結局、どの時代であっても、よいことも悪いこともある。

だから、昔はよかったとか、今は大変だね~、とかそういう話ではなくて、今あるものをどう使うか、ということに思考をもっていったほうがいいだろうと思う。

 

これは社会状況だけではなくて、「人」も同じこと。

自分にはあれがない、これがない、ということを言っていても仕方がないわけで。

今あるものをどう使うか。

それがダイジ。

女性教師だからこその教育がある

 

いつもお世話になっている多賀先生。

7つの習慣のつながりで何度かお話したり、いっしょにセミナーを受けたことがある藤木先生。(藤木先生が書いた絵本、第3の習慣 大切なことから今すぐ先に (おやこで話そう7つの習慣kids) は何度も子どもたちと読みました!)

北海道で教鞭を取られている宇野弘恵先生。お会いしたことはありませんが、フェイスブックで多賀先生や堀先生とのやりとりを見ているととても楽しそうな先生。

 

「女性教師だからこその教育がある。」

こういう視点はすごく多賀先生らしいよな~と思って手に取りました。

 

自分が学校で働いているわけではないので、改めて言われるまで気づかなかった、

「小学校現場では、女性教師が6割。」

その割にセミナーで出会うのは8割方男性だし、手に取る著書もそれくらいの割合のような気がする。

おそらく私の家には女性教師による本は一冊もない。

そんな状況でもあるので、とても貴重な一冊。

 

第一章、多賀先生の「なぜ今、女性教師論なのか」というところから始まり、

第二章「女性だからこその教育がある」第三章「学級・授業づくり論」第四章「職場論」第五章「仕事術」そして鼎談へとづづく。

それぞれの章の最後に多賀先生による「多賀一郎の視点」としてまとめがある。

 

全体を通して思ったことが、どういう状態であれ、現状から目をそらさずに自分にできることに真摯に取り組んでいらっしゃるということ。

今回はテーマ上「女性教師」という視点であるけれど、これは一人一人すべての人に言えることだと思う。

自分ができること、できないことが目の前にあって、それを人と比べたりして傲慢になったり、甘えすぎたり、ひるんでしまうのではなく、まずはそこがスタート!という感じで、「ではどうすればいいのか?」ということ。

「女の先生だとちょっと不安だよね。」という保護者の目や「だから女の先生はダメだ」という意識をもっている男の先生(まだまだいるらしい・・・)、そして、自分自身が持っている男女の差に対する差別・・・・

こんなことはないほうがいいのだろうけれど、そういうことも現実にはあるわけで・・・でも、それに文句を言っても仕方ない。

では、どうしたらいいのか?というスタンス。

基本矢印は「自分」

人には向けない。

 

ほかにもいろいろ思ったけど、多賀先生がしっかり「多賀一郎の視点」で書かれているので、書くことがない(笑)

 

仕事術のところでは、「アイロン」「食事」「皿洗い」「洗濯」「買い物」「お弁当」というキーワードが出てくる。

このキーワードは、男性教師が書いた本ではおそらく出てくることは少ない。ぜひこういう視点でも男性教師にも書いてもらいたい。

特に共働きの場合はどうしているのか?ということとか。

共働きも、同業の場合とそうでない場合はまた違うところもあると思う。

 

あと思ったのが、10年選手の女性教師の話も聞いてみたいなぁということ。

男性教師が思う女性教師のステキなところ、も。

 

今まで「教師」ということで男女一括りになっていたことを、改めてそれぞれについて考えることは大切だと思う。

今までは「一括り」にすることで、対等感、平等感を保っていたのかもしれないけれど、現代社会の多様性に少しでも対応するためにも、それぞれの性差の強み、弱みをお互いが知ることはとても大切なことだと思う。そして、最終的には個性に応じてというところになる。(これも多賀一郎の視点にしっかり書かれています!!)

そして、お互いが助け合い、補い合い、協力することで、これまで以上の効果がでるのだと思う。

女性教師だからこその教育がある!

女性教師だからこその教育がある!

  • 著者多賀 一郎,藤木 美智代,宇野 弘恵
  • 価格¥ 1,728(2016/06/21 17:28時点)
  • 出版日2016/05/25
  • 商品ランキング21,658位
  • 単行本(ソフトカバー)192ページ
  • ISBN-104761922591
  • ISBN-139784761922597
  • 出版社学事出版

今日は自主学校瀬戸ツクルスクールで起業コンサルをした・・・

私にとってはとても大事な一歩だった。

 

オルタナティブ教育をスタートして、いったいどんなバリアがあるのだろうといろいろと考えた。

ひとつはお金。

でも、これはクリア。無料でやっているからね。

 

次の大きな見えない壁が、保護者の将来の不安。

オルタナティブ教育受けたとして、いったい将来はどうやって食っていくの?という不安。

さてはて、これをどうクリアしていくか、と考えたわけですね・・・

こういう教育をやっているからといって、将来どうやって働くのかってことをイメージとして見せる義務は私にはないけれど、こういった日本において知られていない、信頼も実績もない(実績があったとしても知られていない)教育に子どもを誘うのであれば、そこもある程度イメージしてもらえるくらいのことをすることはある意味責任だよな、と思ったわけです。

 

既存の教育を受けたらどうなっていくかっていうと、やっぱりサラリーマンになる、あるいは被雇用者になる、っていうイメージをもっているんだろうなぁと。

 

じゃあオルタナティブ教育、特に、瀬戸ツクルスクールのような教育を受けたら、どうなっていくのかというと、おそらく雇用者あるいは、自営業(個人事業主)になるんだろうな~というイメージを持たせられれればいいのかな、と。

 

では、どうやったらいいのか?って考えると、やっぱりそのつながりのある空間を見せることが一番だろうな、と。

そういう「自分でなんとかしよう!」とがんばっている人たちの横で子どもたちが過ごしている、という空間。

そんな空間を作れたら、一歩前進かなって思っていた。

それが今日出来た。

うん、まぁ一歩前進。

 

でもね、これが最大のボトルネックではないだろうな、と思っている。

でも、この先にこのボトルネックを解決できることがつながっていると思っている。

 

イメージすることの貧困さ

ブログの下書きに書いてあった・・・

なんでこんなことを思ったのかな(苦笑)

堀先生が「教師」という仕事がふた昔前とくらべて、ずいぶん大変な仕事になってしまった、というような記事を読んだときかな。

 

ふた昔前と何が違うのかな~とか思ったときに、単純に、「インターネット」の登場ということになるよな~

やっぱりインターネットがあると、知りたいことを文字情報として知ることができるし、好きな時に好きなものをすぐに観れてしまう。

以前は遠く離れた友人の噂話だったものが、目の前に画像とともに現れる。これはSNSは特に。

視覚からの情報といえば、「字幕」(テロップ)もそうだよな~

 

とにかくたくさんの視覚情報(イメージ)が押し寄せてくる。

イメージは基本的に聴覚の情報よりも分かりやすいし、記憶しやすい場合が多い。

その結果、その押し寄せるイメージに取りつかれてしまい、自らイメージを創造するということが少なくなる。

「考える」ということのひとつの要素である「イメージする」ということが少なくなるということになるか。

結果、自らイメージする力が貧困になっていく・・・という感じかな。

 

楽は楽だから、そちらに流されるのも分かる。「楽=幸せ」という価値観があるしね。

 

そして、自分で吟味することなく、その記憶させられたイメージをあたかも自分で考えたかのようになる。あるいは過度に一般化する。

そういった分かりやすさをモットーとした可視化された情報に思考をゆだねてしまって、その事柄やそこにいる人の気持ちなどをイメージすることなく、批判をしたり、賞賛したり、比較したりする。

そうやって確固たる自分の考えや一般論(と本人が思っているだけだと思うけど)があると思っているから、なんでもかんでも批判するモンスターがでてくるのかもしれない。

 

久々に不登校に関する本を読んだ。

オルタナティブ教育をやっているものとしては、まず前提として、オルタナティブ教育選んでいる生徒はそもそもこの対象にならないということ。

まぁもともと選ばせてもらっていないから、微妙なんだけど。

ここに関しては、おそらく、まずは子どもが小学校に上がるときに、どういう学校に行くかを親と子が選ばなきゃ、既存の学校に行けないのか、既存の学校に行かないのかという議論にもならないよな、と思った。

 

まぁでもそういう状態でもいいからとりあえず読んでみるかとがんばったけれど、きっとこの本に書かれている大切なことよりも、言葉の端々に気がいってしまった(苦笑)

 

 

不登校問題の解決に時間がかかる、とか。そもそも解決っていっている時点で問題視してるよねぇ~ 不登校であることは意味があることといいつつ・・・

困っているのは子どもだ、とか。本当に困っている子どもたちばかりだろうか。だいたい困っているのは先生という役割を全うしなければいけないと思っている大人のような気がしないでもない。

定期的な家庭訪問、とか。これと朝の確認電話。こういったものが親にとってどれくらい負担になっているか考えたことがあるのかな、と思ったりもする。

もちろんどれにしても、相手との話し合いが大事なわけで・・・

 

基本的に、「子どもは学校に行きたい」と思っている前提がすべてにあるわけで・・・

また、「学校に行かせたい」と思っている親がいるわけで・・・

そのうえでの対策。

 

でも行きたいと思っているかどうかなんて本人にはわからないことも多い。

そうなると、結局「いけない」という事実を創り上げているということで判断するしかなくて、それは「行かない」ということだと思う。

親だって、必ずしも「行かせたい」とは思っていないこともある。

もし自分が子どもの頃いじめにあっていて、それと同じようないじめに子どもがあったとしたら、行かせたいと思うだろうか・・・

 

 

子どもも親も学校に行きたい!とはっきりと意思表示している状態という前提での対応の仕方だと感じた。

そして、「既存の学校教育が絶対子どもにとってはいいものだ!」というような揺るぎない正論を感じた。

それが一番気がかりだったかも。

 

 

私は逆に学校に何の疑問も抱かずに、通っている生徒の方が心配だ。

何にも気づかずに学校の持っている価値観に染まっていってしまうから。

さらに最近は、疑問に思ったとしても、「疲れる、面倒くさい」という理由で、その疑問を忘れて楽に学校に通うということも増えていると思う。

だからこそ「学校自体」が自分たちの持っている価値観を正論とするのではなく、常に懐疑的にいる必要性があると思う。

そして、常に教員は、「学校とは?」「教育とは?」「社会とは?」ということを考え続ける必要があると思う。

 

なんだか話がごちゃごちゃだけどまぁいいか・・・

 

一人一人違う存在なわけだから、これをやったら大丈夫!というものは絶対にない。

結局は一人一人との関わりのなかで、そのとき思うベストの関わりをするしかない。

そして、なんのためにそれを選んでいるのかということを常に頭においておきたい。

 

ただ、今の学校現場がそれに対応できるのか?というと、かなり困難だと思う。

もちろんだからといって、対応を改善しないのはおかしいから、様々な書籍を読んで、しっかりとその子にあった、その保護者にあった対応していってもらいたい。

 

で、今の自分にできることは何なのかということを考えると、やはり瀬戸ツクルスクールのようなオルタナティブ教育を知ってもらい、理解してもらうことなのかな、と思った。

 

なんていろいろ書いているうちに、だいぶ落ち着いた(笑)

オルタナティブ教育がないという地域や親が子どもを見ていられないという家庭では、確かに書いてあったような手立ては必要だと思うし、有効な手立てだと思う内容だと思った。