「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾 -4ページ目

「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

学校、塾、キャリア、子育て、家族、心理学、脳の活性化!全部やります!
趣味は「教育」!!

自主学校 瀬戸ツクルスクールの毎日のミーティングは、アドラー心理学をバックボーンとした「クラス会議」という手法に基づいている。

そのなかに、「ハッピー・サンキュー・ナイス」という時間がある。

それほど難しいものではない。

最近あったハッピーなこと、だれかにありがとうと思うこと、よかったと思うことを一人一人が発言していくもの。

(このルールのなかで、「パスOK」というものがあり、それもとても大切な要素なのだけれど、それについてはまたいずれ。)

 

この「ハッピー・サンキュー・ナイス」

いろいろな目的が入っているのだけれど、ざっくりいってしまえば、「温かい雰囲気になること」

(その目的を達成できれば、特に「ハッピー・サンキュー・ナイス」である必要はない。)

 

瀬戸ツクルスクールでは、毎日これをやっている。

しかし、そんなに毎日特別な事柄が起こるわけではない。

「電車に乗り遅れなかった。」「無事ツクルスクールについた。」

一見些細なことに聞こえるかもしれないけれど、こうやって淡々とした毎日のなかの当たり前になっていることに目を向ける

そうしていくと、だんだん「あぁ何を言ってもいいだな。」という雰囲気になる。

そして、今までパスをしている生徒も、ぽろぽろと言い出す。

すごくパーソナルなこと。

その喜びは他の人はわからないかもしれないこと。

でも、それを拍手という形でコンプリメントをもらえる。

話す方もうれしいけれど、実は聞いている方もうれしかったりする。

そういう自分事のハッピーをみんなと共有してくれたということ。

あなたのハッピーは私のハッピーでもある。

そんなことをなんとなく子どもたちは感じるのではないかと思う。

劇的に変わるものではないし、即時的に影響があるものでもないと思う。

でも、普段のツクルスクール生の行動を見ていると、ここかしこに見られる気がする。

 

ほかにもたくさんのいいことがあるけれど、それはまたいずれ・・・

 

話し合いをするとき、相互尊敬、相互信頼、対等がベースにあると、実のある話し合いになると思う。

いきなり家族会議はやっぱりうまくいかない。(しかも大概なにかもめたときに家族会議をしたりするので・・・)

普段の生活のなかで、ミーティングのような形式は取らなくてもいいけれど、日々の「ハッピー・サンキュー・ナイス」を伝えておくことは大切だと思う。

会社の会議もそうだし、ファシリテーションもそうだと思う。そこがあれば、もっとよい会議や話し合いができるのだと思う。

全員が喜んで書く! 作文指導のネタ事典

福山先生から本を送っていただいた。

福山先生との衝撃の出会いは、2010年の7月。愛知教育大学でのセミナー。

そのエネルギッシュさと授業を楽しんでいる姿に圧倒されました。

そして、それを支えていると感じた「覚悟」と「子どもに対する信頼」

 

あれから何度もセミナーを受けたり、お話をさせていただいたりしているけれど、年々研ぎ澄まされていっているような気がしている。

 

そんな福山先生の本。

こんな風に作文に関われたら、「自分にも書ける!」という気持ちになると思うし、「書きたくなる!」とも思う。

 

現在夏休みに読書感想文講座を開いて、子どもたちといっしょに作文を書いているが、子どもたちは自分が作文を書けると、本当にうれしそうな顔をする。

自分の気持ちが言葉になることは、創作活動であり、図工や美術と同様な楽しさがある。

自己表現できることの楽しさ。

子どもたちは「書く」ということが、本来は好きなのだと思う。

それを最大限に引き出すことのできる本だと思う。

それは、この本の目的が「上手な作文を書かせることが目的ではない」ということがある。

「書く楽しさ」につなげることが目的。

だからこそ、子どもたちもきっと楽しく取り組めるのだと思う。

 

この本は実践の仕方から、配布するものまですべて準備されている。

低学年であれば、事例だけで22事例。

まずは2週間に1回というペースでも十分だと思う。

とてもスタートしやすい内容。

しかも、子どもたちが自分たちの日常にしっかりと目を向けられる内容もあれば、想像力を育む内容、家族や友人との交流を深める内容まで盛りだくさんだ。

 

作文指導、なにから手を付けたらいいかわからない、という先生にはうってつけだと思う。

全員が喜んで書く! 作文指導のネタ事典

  • 著者福山 憲市
  • 価格¥ 2,333(2016/06/28 19:45時点)
  • 出版日2016/06/16
  • 商品ランキング6,807位
  • 単行本168ページ
  • ISBN-104182299140
  • ISBN-139784182299148
  • 出版社明治図書出版

今日は月に一度のママーズの日。

ママーズとは、「なんとか学校の先生をサポートできる術はないものか?」と思って立ち上げた学習会。

現在は、「クラス会議」という手法やアドラー心理学について学んでいます。

グループは全部で3グループ。

今日はそのなかでも一番長く続いているグループの日。

 

まずはこちら

クラス会議で子どもが変わる―アドラー心理学でポジティブ学級づくり

クラス会議で子どもが変わる―アドラー心理学でポジティブ学級づくり

  • 著者ジェーン ネルセン,H.ステファン グレン,リン ロット,諸富 祥彦
  • 価格¥ 1,944(2016/06/28 23:01時点)
  • 出版日2000/10
  • 商品ランキング287,606位
  • 単行本275ページ
  • ISBN-104434005901
  • ISBN-139784434005909
  • 出版社コスモスライブラリー

今日は「ユーモアのセンスを持つこと」「生徒の学校以外に関する興味を尊重すること」

ユーモア・・・なかなか難しいけれど、やっぱりこれもトレーニング!

テレビを見るもよし、落語を聞くもよし。

ただし!!!これはだめ!というのが2項目

・生徒を押さえつけるためにユーモアの衣をまとった皮肉を使う教師

・生徒をだしにして「笑いをとる」教師

実は2つめの項目は家庭でもやってしまいがちなのかもしれないね~

ちょっと雰囲気悪いときとかに、子どもやパートナーをだしにしてしまったり・・・

「笑いがとれればそれでOK」的な雰囲気があるのかな・・・

どうしたらだれも傷つけずに笑いを取れるのかなという話から、そういえば、「天丼」ってのがあるらしいよ、という話にも。

 

生徒と学校以外の話をすることもとっても大事。

私の塾でも、はじめて会うときは必ず勉強以外のことも話したりします。

最近は、「がんちゃん」という言葉をよく使います。特に女の子ね。

もちろんプライベートでもあるので、なんでもかんでもガンガン聞くわけではありませんけどね・・・

 

その後、ヒューマン・ギルドが出版している「アドラー心理学教科書」で

「劣等感」について。

劣等性:生活上不利に機能する客観的な属性。この中にも3つの劣等性が。器官劣等性、社会的劣等性、実存的劣等性

劣等感:主観的に、自分の何らかの属性を劣等であると感じること

劣等コンプレックス:ライフタスクへの対処を避ける口実として劣等感を使うこと。

優越コンプレックス:深い劣等感を自分からも他者からも覆い隠すために、あたかも自分が優越であるかのようにふるまうこと。

 

アドラーが若いころは、劣等感の補償が人間を目標追及にかりたてる原動力なのだと考えていましたが、やがて目標追及性のほうが先にあって、劣等感はその副産物だと考えるようになったとのことです。

現代アドラー心理学では、劣等感やその補償の概念はあまり使われることはないそうです。

 

と、書くとなんだか堅苦しい感じがしますが、学習会はおもしろい実例だらけでしたね~

「人間が生まれてはじめて抱く欲求は、自分の面倒を自分で見られるようになりたいという欲求です。子供は自分の面倒を自分で見ることを学ぶ必要があり、この学習プロセスは生まれ落ちた瞬間から始まっているのです。」

このあたりは実際に赤ちゃんに聞くことはできないし、脳の中身を調べることはできないけれど、アドラー心理学(ルドルフ・ドライカースとビッキ・ソルツ)は、赤ちゃんの行動などを見て、そのように捉えたということ。

子育ての目標が「自立」であるとするならば、私はこの考えを支持したい。

このように捉えたほうが「信頼」につながると思うから。

このように生まれたときから子どもに「自分の面倒は自分で見られるようになりたい!」という欲求があるのだとすれば、私たちができることはいかにその思いを妨げないように関わるか、サポートするか、といいうことであり、何かを与えることではないということになる。

 

 

「子どもの要求をなんでも聞き入れてやるのが必ずしも「良い母親」とは言えません。自分が常に家族の中心にいないと満足できない赤ん坊は、決して幸福な子どもとは言えないのです。真の幸福とは、他人の注目に頼らず、自分の面倒を自分で見ているうちに自然と生まれてくるものです。」

ここは「良い母親」となっているけれど、「母親」に限る必要はない。

父親も祖父母も上司も教師も友達も。すべてに共通することだと思う。

特に祖父母に伝えたい人は結構いるだろう(笑)

そして、真の幸福とは~のところがアドラーらしいところなのかな。

人からどう見られるか、とか、自分が他者に承認されているかどうかということは真の幸福ではない。もし他者からの承認をもって幸福だといしている人がいれば、それは幸福ではない、ということ。

人としての仲間に認められるということは必要だとは思うけれど、それに「頼って」はいけないということ。

 

 

「スタンの母親は、息子を事故から守ろうとしているつもりが実際は、彼の無能力さを指摘し、危険に対する彼の恐怖心をあおっているのだろいうことに気づくべきなのです。」

この文の前で、スタンの母親は、息子の公園での遊び方にあれやこれやと口を出している場面が描かれています。「そうやってブランコのっちゃあぶないでしょ!」「滑り台を登るときは気を付けてね。落ちたら大変だから。」などなど。

母親の気持ちは分からないでもない。確かに落ちてけがをしてしまったら大変だし、なによりも自分の時間を病院通いなどで取られてしまうかもしれないですからね。

ただ、自分の取っている行動が、なんらかのものとトレードオフされているという自覚は持ってほしいな。

 

 

「子どもには危険な状況に対する対応能力を伸ばし、試すチャンスが与えられるべきなのです。子どもから目を離していなさいということではありません。ただ、その子が自分の手に余る事柄に挑戦しているときに、そばで見守ってやればいいのです。」

この試すチャンスを奪い続けていると、「自分からやる」ということをやめてしまうことにつながります。

さらに試すチャンスを与えていても、その結果に対して非難は批判、評価をすると、「自分からやる」ということをやめてしまうことにつながります。

そして、その両方をやっているにも関わらず「自分からやろうとしないんです・・・」

当然の結末なんですけどね。

 

といったように、今回もたくさんの納得の文章がありました。

 

こんな感じで丁寧に、でも、ゆる~くやっている読書会。

具体例もたくさんあるし、みなさんの子育てあるあるも聞けて、楽しい読書会です。

本を持ってなくても大丈夫!

場所も昭和の香り漂うゆったり感満点の長屋です。

ぜひ次回参加してみてはいかがでしょうか

「勇気づけて躾ける 読書会」次回は7月12日(火)

 

勇気づけて躾ける―子どもを自立させる子育ての原理と方法

勇気づけて躾ける―子どもを自立させる子育ての原理と方法

  • 著者ルドルフ ドライカース,ビッキ ソルツ
  • 価格¥ 3,240(2016/06/28 21:50時点)
  • 出版日1993/03
  • 商品ランキング233,334位
  • 単行本480ページ
  • ISBN-104752850281
  • ISBN-139784752850281
  • 出版社一光社

学校教育の絶対則

「指導と評価」

そういうシステムだからそれでいいんだけど、なんだか中途半端なんだよな~

どうせなら、リーダーシップとか友だち作り力とか独創性、行動力とかそういうのも1~5でつけちゃえばいいのに。

どうやってつけたらいいかって思うかもしれないけど、突き詰めれば、どの教科だって、単純に1~5なんかで成績つけられるわけないんだし。

義務教育レベルのテストができることと、本当にその教科の理解ができているかどうかとは別だろうし。

完全にテスト結果だけで判断しているならそれでいいけど、そうではないのが実態だし。

常に「指導と評価」が一体なのであれば、そういう、なんていうの?キャラクター?性格?生きる力?的な項目も評価したらいいのに。

でもきっとそういうことをいったら、「そんな人間性に評価はつけられない」っていう人が結構いるだろな。

でも、5教科の評価だって、受け取る子どもからしたらある意味「人間性」を評価されているようなもんなんだから、今更なんだそれって思ったりもする。

逆にそれでテストはできないけれど、自分の独創性を認めれてもらえてうれしい!って子もでてくるだろうに・・・

まぁそんなこと絶対やらないと思うけどね(笑)

ということで、なんだか中途半端っていうか。

中途半端なことやっておいて、結果だけ求めるっていうか。まぁそんな白黒つけられないってのも分からないでもないんだけどね・・・

でもやっぱり「本気」でやりたいなら、ね。

 

吉野家はやっぱり牛丼で勝負しなきゃね。少なくとも肉で。ちょっと讃岐うどんが売れ行き好調だからって、中途半端にそちらに手を出してもうまくいかないほうが多いよね・・・あるいは、もう牛丼やめ!!これからはこちらでやります!とか、単純に合併!ってことで、やっぱり基本は牛丼!的な。

とか書いておきながら、そんな感じでちょっと手を出してみて、うまくいった事例も結構あるので、なんともいえないといえないけど(笑) でも、だとしても、やっぱりそこに後付けであっても「本気」はいると思うんだよね~

 

これはこういう学力重視教育以外のことをやっている人たちに対しても思う。

自由に伸び伸びやっていけばいいですよね~とか言っておいて、

結局「~大学行きました!」的なこととか、「テストで来ました!」的なことを賞賛する。

全然おもしろくないわw

言っていることとやっていること、考えていることが違うやろって。

なんやねん、結局学力重視かい!と思ってしまうこと多々あり。

 

まぁでもそうやってのらりくらりやるのが日本人的なのかな~とも思ってみたり。