「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。
「勇気はいかに回復されるのか」
第一章の「失われた勇気」
前回に引き続き、勇気と自信を失う
前回は、自分が注目の中心にいなければならないと思っているとき、また、期待に応えなければならないと思っているとき、人生の課題を前に勇気や自信を失いやすいということでした。
今回は残りの2つ。
他者への関心が持てない
「協力は、神経症的な傾向を発達させることに抵抗する唯一の安全装置である。
協力することを妨げることはどんなことも深刻な結果をもたらすだろう。
例えば、甘やかされた子どもは、自分のことにだけ関心を持つことを学んできたので、一緒に学校で学ぶ子どもたちに関心を持たない。
勉強には関心を持つけれども、教師からほめられると思っている限りにおいてである。
自分に有利だと思うことだけを聞く。
大人になっていくと共同体感覚がかけていることはいよいよ明らかになる。
人生の意味を最初に誤解した時、責任と自立に向けて自分を訓練することをやめてしまったのである。
今ではどんな人生の試練にも困難にも準備ができていない。」
ここでも「褒める」ということについての弊害が書かれている。
もう100年近く前のことなのに、未だにこの例に当てはまる節があるのは残念。
むしろこういう意味での「甘やかし」は増加しいてるといってもいいかもしれない。
わが子のためだけを強く思ってしまうと、こういう傾向になりがち。
中学生でよくあることは、
「テストに出ます!」といったときだけ急に先生の話を聞くようになっているときであり。
そういう中学生は物事の捉え方がいびつなことになっているということ。
そして、自分さえよければいい、という考え方をもってしまうと、大人になったときに(あるいは共同体に入った時に)課題に対して有用に対処できずに、自信は失われていく。
協力を知らない
「親は子どもたちを社会のすぐれた一員にすることを望んだのかもしれない。
しかしどうすればいいか知らなかったのである。
独裁的で厳格であれば、成功するチャンスはなかっただろう。
もしも子どもを甘やかし、舞台の中心に立つようにさせていれば、子どもに、他の人からよく思われるに値するために何の努力もしないで、ただいるだけで、自分は重要であると思うことを教えただろう。
それゆえ、このような子どもたちは、努力を維持する能力を失っている。
彼(女)らはいつも注目されたいと思い、いつも何かを期待している。もしも満足を得る安直な方法を見出さなければ、そのことで何か、あるいは、誰かを責めるのである。」
共同体にいると、自分でできることは限られている。それに人にやってもらうにも限界がある。
その点において、協力するということをしなければ、課題をうまく乗り越えられないことが多々出てくる。
しかし、協力の仕方を知らなければ、その結果として勇気と自信は失われていく。
岸見先生も書かれていますが、存在するだけで十分だ、という見方は親が子どもにすることであって、子どもが自分でそう思うこととは違うということ。
子どもは(大人も)自分の視点からみれば、その自分が選んでいる場において、できるかぎりのベストは尽くす必要はある。
この点はとても大切だと思う。
以上のことを考えると、教育のなかで子どもに伝えていきたいことが見えてくる。
1・注目の中心になることが共同体に属しているということではないということ。自分にできる役に立つことをすることが大切
2・成功、失敗という結果は次に生かすものだと考えて、注力するのはプロセスのだということを伝える
3・他者は仲間なんだということを伝える。
4・協力の仕方を伝える。
そんなことを小さいころから意識して親が伝えていくことは大切だろう。
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