「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。
「勇気はいかに回復されるのか」
今回で第1章の「失われた勇気」が終了。
人生の課題とは何か。
そこから逃避するということはどういうことか。
なぜ課題から逃げるのか。
逃避の手段。
そして、今回の、
勇気と自信を失うとき
どんなときに勇気と自信を失うのか。
注目の中心に立てない
「患者(神経症)は、あたかも自分の権利、即ち、注目の中心に立つという権利を奪われたように感じ、責任を誰かに被せて責めたい、と考えるのである。」
注目を得ていることが重要だ、というものの見方をしていると、いずれ勇気はくじかれてく。
いつもいつも自分が注目の中心にいられるということはないから。
でも結構勘違いしている人もいると思う。
家族の中心でなければいけない。
クラスでは常にしっかりとした中心人物でいなければならない。(先生も含め)
と思っている人は、必ず勇気はくじかれるでしょうね。
共同体に居場所がある、ということと、共同体の中心でいる、ということは違うことだと岸見先生も書かれています。
期待に応えられない
「思春期には、確立された傾向における明らかな逆転が見られる。多くのことを期待された子どもたちが、勉強や仕事で失敗し始めるのであり、他方、以前はあまり才能がないと思えた子どもたちが、追いつき、思いもよらぬ能力を表し始める。このことは以前の出来事とは矛盾しない。おそらく、非常に前途有望だった子どもが、担ってきた期待を裏切ることになるのではないか、と心配になるのである。支持され褒められている間は、前に進むことができた。しかし、自分で努力する時がやってくると、勇気は衰え、退却する。」
小学校のころはある程度勉強ができて、元気だった子も、中学校になるとそうではなくなるパターンはよくあります。
でも、ここに書いてあるように、実際は能力などが下がったわけではなく、以前の自分ではなくなってしまうようで心配で、不安になりる。
そこからの劣等コンプレックス
「どうせ真剣にやったってそんなにできないし。」
「オレばかだから仕方ないわ!」
を使うようになったり、
本来取り組むべき課題を投げ出し、まったくほかの部分であり、人生において有用ではない面で優越コンプレックス(無駄に人を見下してみたり、授業のなかで先生よりも上に立とうとしてみたり)を使ったりするという悪循環につながる。
この本でも岸見先生が指摘されていますが、ここが「褒める」ことの弊害についての考え方を伝えている箇所。
「支持され、褒めらえている間言は、前に進むことができた。しかし、自分で努力するときがやってくると、勇気は衰え、退却する。」
褒めないとやらなくなるし、もっと褒めてというし、褒めてもらうためには手段を選ばなくなるところまでいってします。
ずっと褒め続けるということは不可能なわけですからね。
ということで、褒められたり、期待されることが当たり前だと捉えている人は、ここで勇気をくじかれるということでしょう。
長くなったのであと2つは次回・・・
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