こんばんは。
「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。
基本的に出会う大人の人たちはそこそこ元気も勇気もあることが多い。
でも、出会う子どもたちはそうでもないことがある。
「勇気はいかに回復されるのか」
仕事柄、このタイトルには魅かれる。
目次はこんな感じ
1・失われた勇気
2・勇気とは何か
3・勇気のくじき方
4・勇気づけの方法
5・カウンセリングでの援助
1・失われた勇気
まずは、なんのために勇気がいるのか、というところで、
「人生の課題」
について書かれている。
人生の課題には3つある
1・仕事の課題
(「われわれは、この宇宙の表面で、すべてのこの宇宙の資源、土壌の肥沃さ、鉱物資源、気候、風土と共に生きている。これkらの条件がわれわれに提示する問題への正しい答えを見出すことが、常に人類の課題である。」)
2・交友の課題
(「人類に所属しているという事実と他者と結びついて生きなければならないことである。われわれの態度と行動は、もしもわれわれだけがこの地球で生きているのであれば、まったく違ったものになるだろう。しかし、我々は常に他者を考慮し、他者に自分を適応させ、自分を他者に関心を持つようにしなければならない。」)
3・愛の課題
(「われわれが男あるいは女でしかありえないということである。われわれが人類が継続することに与れるかどうかは、われわれが異性に近づき、性の役割を成就することにかかっている。」)
生きている限り、これからの課題に出会わないことはない。
だからこそ、それらに対して克服しようという活力(勇気)が必要だということ。
そして、それぞれの課題は独立しているわけではなく、つながりあっている。
「仕事の問題を解決する最善の手段は、第二の問題、すなわち交友の問題による。」
「この第二の問題が解決すれば、われわれは最初の問題(仕事の課題)の解決へ大きく前進することができる。」
交友の課題というのは、人とのつながりの課題ともいえる。
仕事上のトラブルも紐解いてみると、ほとんど人対人のつながりに起因することがほとんどだと思う。
スキル上のものも多少あるだろうけれど、結局は人とのつながりが改善すれば、仕事のトラブルがあったとしても、それを乗り越えられような気がする。
そんなことを思いつつ、自分の仕事の視点から考えてみると、私が受けた学校教育のなかで、こういった人とのつながり、簡単にいえば、「協力」について学んだことはあまりなかった気がする。少なくとも教科学習の中では。
個人の力を上げることが何よりも大事で、他人の心配をするくらいならまずは自分、というくらいの勢いだったように感じていました。
「自分さえよければいい」
そんな考えが蔓延していた気がしますし、私もそう思っていたと思います。
そして、こういった思考回路がそのままで大人になると、
「足を引っ張るんじゃない!」
という言葉を発するようになるのかもしれません。
そして、頑丈に守られた学校という社会のなかでは、それでも通用してしまうという残念な状況。
しかし、それが一歩外の社会にでれば、まったく違うのだということに直面します。
能力のデコボコが当たり前。
必ずしもできる人が立場が上にあるというわけではないこともしばしば。
自分には合っていないだろうと思う職務につくことも。
それを「自分だけでなんとかしなきゃ」と思ってしまう。
もちろん自分の力をアップするということも大切だとは思いますが、それと同じくらい、いや、それ以上に大切なことが、ここでの2つ目の課題
交友の課題
ということになるのだろう。
なんとなく分かっていたことだとは思いますが、ようやくここにきてそこへの働きかけが増えてきたなと思ったりもする。
ファシリテーション
とか
アクティブ・ラーニング
とか。
そして、だからこそ、クラス会議、という学びに力を入れたいとも思っている。
第1章、まだまだ続く・・・
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アドラー心理学入門編@瀬戸市
8月10日(月)→https://www.facebook.com/events/1439871019654376/